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固茹でのパスタを掻き込みながら考えたこと

週末、村から戻ったころから風邪症状と食思不振、倦怠感でどうも体調がいまいち。
でも熱があるわけでもないし、毎日職場の状況が気がかりで出勤して、忙しさに身を任せて頑張ってみるものの疲弊する。そんな日々の繰り返しだった。

食欲もないので、夕食はお茶漬けかインスタントラーメンか食べないで寝てしまう日々。食生活の乱れがまた体力を消耗する悪循環。

そんな流れを断ち切りたくて、今日は1日休むことにした。
お昼ごはんは食べられなかったけれど、これじゃだめだと思って重い腰を上げて久々に夕食を作り始めた。
あとはパスタがゆであがれば調理が終了するというところで停電。沸騰直前のお湯にパスタを浸け、固ゆでのパスタを作って食べた。

食欲がないときの食事は全くおいしく感じられない。
たっぷりのにんにくとたくさんの野菜とタンパク質補給のための高級なツナ缶を使って作ったパスタなのに、いつもならおいしく感じるのに、おいしくない。
掻き込むように必死で食べたけれど食べきれなかった。

食べることって、健康を維持するために一番といっていいほど重要なこと。でも食べるってものすごくエネルギーを消費する。

すでに消耗状態にある低体重の赤ちゃんや病気の子どもにとって食べることってすごくすごく大変なことなんだろうな。栄養指導をしたり、経口栄養補助食品を一時的にあげたところで経口摂取だけで回復するのってすごく難しいことだろうな。じゃあいま私がしてることってなんなんだろう…じゃあ結局なにをしたらいいんだろう…

自分の体調を整えるための食事をしながら、考えていたことはそんなこと。

赴任して5か月が過ぎたころから自分のやりたいことがぼんやり見えてきて、それをもとに活動計画を立てて、それから電子カルテの導入で配属先が忙しくなって…

ここ最近頭も体も過活動だったのかもしれない。日本で働いていたときより、時間的にも体力的にも余裕がある生活をしているし、仕事に責任があるわけでも周りからの重圧があるわけでもない。だから全然頑張っていないと思っていた。

でも職場では常に戦闘モードで力んでいたし、家に帰ってからも常にどこかで村の赤ちゃんのことや職場のことを考えてしまっていた気がする。ボランティアだから責任はないはずだけれど、向き合っている課題や問題が日本よりも深刻で心をえぐられるようなことばかりだから知らず知らずのうちに消耗していたのかもしれない。

私がここにいられる期間は2年間。だれも成果なんてもとめていないし、期待もされていない。自分の無力さも重々自覚している。でもなにもできないとあきらめれば、不甲斐なさで苦しいし、あんなことがしたいこんなことがしたいと頑張れば焦りが襲ってくる。

自分ひとりじゃできないことばかりだから、配属先や任地の人々の協力が必要で、でもそれはいつも思い通りに進むわけじゃない。だから、周りの環境が自分の味方をしてくれているわずかなタイミングは逃してはいけない、逃したくないと思ってしまう。


生活に慣れるのにも、職場に慣れるのにも、周囲のひとに慣れてもらうのにも時間がかかるここでの暮らし。あと4か月ほどで1年目が終わる。そう思うと、2年間ではなにも変えることができないとわかっていてもどこか焦りを感じる自分がいる。

生活に慣れ、職場に慣れ、そのうち自分の活動の方向性が定まり、楽しさややりがいを感じながらも、焦りや責任感で肩が挙がってしまっていた。
いまの体調不良はそんな日々の蓄積が原因なんだろうな。

村で週末を過ごして感じた健康指標とひとの幸福感との乖離。その気づきがこれまでの興奮状態を鎮めると同時に、気力も奪ってしまった。

昨日もコミュニティーにでかけ、体重測定をした。昨日訪問した地域は、町の中心から車で20分程度のところにある規模の大きなコミュニティー。自宅出産が多く、低体重の子どもの数も多い。地域のボランティアさんに通訳を依頼しながら、低体重児や数か月にわたって体重増加がみられない子どもの養育者にカウンセリングを行っていった。

1歳を超えているのに、母乳しか与えていないお母さん。お粥は食べたがらないという。
バナナやさつまいもをつぶして、少量にして、複数回にわけて与えてみてとアドバイスをする。

以前は離乳食の作り方や、バランスのよい食事をとるよう指導を試みたこともあったけれど、最近はわかりやすい説明、安価で手に入りやすい食材を意識してアドバイスするよう心掛けている。
バナナは4本1クワチャ、さつまいもは10本5クワチャ程度で手に入る。それでもお母さんは、食糧を買うお金がないという。夫が仕事ができないという。

なにもいうことができなかった。なにもしてあげることができなかった。赤ちゃんの頭をなで、食糧が手に入ったときには、試してみてと言うしかできなかった。

村のみんなで畑を耕し、みんなで食料を分け合い、みんな現金収入が少ないけれど村のなかで役割があって、安全が保たれていて、ひととのつながりがあれば最低限ひとの欲求は満たせるのだから、自宅出産の数が多かろうと食事のバランスに偏りがあろうとそれはそれで村人が幸せならそれでいい。

でも昨日訪問したコミュニティーはそうではない。あるお母さんは英語が上手に話せて、子どもは健康に成長している。一方、別の家庭は貧しさで食料が十分に手に入らず、子どもの発育が不良で、健康状態が良くないので病気にもかかりやすく、下痢を繰り返し、いったんは良好な兆候をみせた発育もまた止まってしまう。でも、私やヘルスワーカーができることは栄養の与え方を指導したり、一時的に経口栄養補助食品を与えることくらい。問題の根本を取り除くことはできない。

だから活動計画では、公衆衛生的な視点で正確なデータ収集やアセスメントを徹底するような方向で考えた。活動計画を立てた時点で、ある程度割り切って考えられるようになったつもりでいた。正確なデータ収集をするためのフォーマットの作成や、データ処理の方法、コミュニティーと医療機関をつなげるコミュニケーションツールの作成、それらに躍起になってきた。

でも行きつく先は、私の手の届かないところにある問題の根源。

たとえ、不便でも貧しくても格差がなくて、よりどころとなる宗教や思想があればひとは幸せに生きていくことができる。文明や経済発展は格差を生む。開発の一環として介入している私たちボランティアも格差を生む一因なのかもしれない。アドバイスをもとに、生活を改善することができる家庭と、そうでない家庭。

こんな風に考えてしまう私は、この文脈で仕事を続けていくことに向いていないんだろうな。

ひとりでもいいから生活を良くすることができるのであれば、それを喜びとし、やりがいとしていけるひとは、きっと国際協力とか開発の分野がすごく向いていると思う。

『2年間一度も日本に帰りたいと思ったことはないし、ここで活動できることにすごく幸せを感じている。ここに来る前は2年間ではなにもできないと思っていたけれど、やろうと思えばなんでもできるし、たくさんの経験ができた。またすぐにでも戻ってきたい。』
そんな私とは真逆な感覚のツイートを見てしまって、こんな風に弱音なかり吐いていることに罪悪感でいっぱいになっている。

ここでの暮らしは楽しいこともあるし、この選択に後悔はない。ここでの時間も経験も価値のあるものだと思っているし、だれかが同じ挑戦をしたいと言ったら間違いなく背中を押すと思う。

でも感受性の強い私にはしんどいことも多い。
明日からなにに向かって走ればいいかな。
変えられない格差にあふれたこの社会で、だれかの幸せのために私にできることってなんだろう…

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