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夢に一歩近づいて思うこと

中学生のときの恩師から連絡が来た。母の勤める学校に転勤してきたそうだ。私が国際協力の道に進むことを決めたのは、中学生のときだった。その頃の私を知る恩師からの言葉は嬉しいし、とても励みになる。

"夢を叶えた"にはほど遠いけれど、今私はずっと目標だった国際協力の現場にいる。ここに辿り着くために高校に入って、大学受験をして、あの辛い看護実習を経て、国家試験を受け、病棟でお局Nsにいじめられながら新人看護師として働いた。学校や仕事の傍ら様々な研修に参加して、勉強もして、お金も時間もかけてきた。それもこれも国際協力、国際保健の仕事をするため。

協力隊に合格したときは、いままで手にした"合格"の中で一番うれしかったし、重たかった。やっと現場にいける!やっと国際協力の仕事ができる!これで嫌なことから解放されて前向きに夢に向かって邁進できる!と思っていた。

夢の第一歩である協力隊の一員になって、約2ヶ月。今の私は胸を張って楽しさや充実を語れる段階には至っていない。

むしろ、家族の反対を押し切り、友達からの心配をよそに、大切な恋人から離れ、自分の好きなことをやっているからそこ生まれるプレッシャーやプライドが私を覆って息が苦しい。

日本人がだれもいないこの地で、毎日ひとりで過ごし、外にでれば“チョンチョンチャーン”や"マリア"と常にヤジを飛ばされ、家の完成は延期が繰り返され、ホームステイ先では毎日家中に地響きがするほどの大音量でザンビアミュージックが流れ、毎日貸したペンは誰かに取られ、モノを強請られ...現地語は分からないし、英語も上手く話せないし、ご飯は美味しくないし、恋人とも上手く連絡が取れない...この1ヶ月2時間以上続けて寝られたことはない。

友達にも家族にも恋人にも会いたいし、美味しい日本食も食べたい、湯船に浸かりたい。

でも、ここにいるのは私が自分で望んだこと。そう思うと弱音なんてどうやって吐き出したらいいのか分からない。

日本では同級生たちが中堅ナースとしてプレッシャーのなかで戦っている。家族は毎日私の無事と健康を願い心配してくれている。協力隊の同期は各々孤独な環境で戦ってる。そしてお互いマンウントを張り合いながらなんとか自分を保とうとしている。 

一方私はボランティアというお気楽な身分で、仕事にノルマがあるわけでも、残業をしいられるわけでもなく、ゆったりとした時間を過ごしている。

いいことも、嬉しいことも時々は起こる。

村で食べたシマが美味しかったこと。新しい現地語を覚えたこと。ザンビア人に名前を覚えてもらえたこと。英語で反論できたこと。いい景色が見られたらこと。ザンビア人に優しくしてもらったこと。

その小さな嬉しいできごとを寄せ集め、前向きになろうと努力している。そしてザンビアを好きになろうと努力している。

でも、正直イヤなこと辛いことはたくさんあるし、ここでは美味しいものを食べたり、友達と話したり、お酒を飲んだり、買い物したり気分転換の術がない。ずっと頭のなかでは自分との対話が繰り返されている。

好きなことを仕事にしている人、夢を叶えた人は幸せだと思っていた。大変なことや忙しさも楽しめるものだと思っていた。でもそうではなかった。いままではこの勉強やこの仕事は本命じゃないからと自分に言い訳ができた。でも今は違う。言い訳はできないし、ここまでやってきたのにここで折れたら...という自分から自分へのプレッシャーがある。夢を叶えた先にある喜びや楽しさに辿り着けるのは、凄まじいプレッシャーのなか自分に負けず行動を起こし、それを続けたひとだけのようだ。

幸いにも電気、水へのアクセスが確保され、周囲の人に恵まれているおかげで、ストレスレベルはまだ黄色信号で止まっている。食事が取れて健康なうちはまだ頑張れる。いつかきっとトンネルの暗闇から出られるときがくるはず。

たくさんの失敗をお土産にして、2年間の任期を全うすることを目標に、細く長く活動が続けられるように気持ちとストレスのコントロールに日々必死に過ごしている。



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