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アフリカでの暮らしのこと

先週末に家の建築が終了し、やっと一人暮らしが始まった。

協力隊員の暮らしは地域や国、任地によって大きくことなる。電気がない、水道がない、電波が悪い、そんなないない尽くしの隊員もいれば、数世帯同居用の豪邸に住んでいる隊員もいる。
私の家は、水道と電気は使える。でも冷蔵庫、電子レンジ、炊飯器、洗濯機などの家電はない。あるのは電気ケトルと電熱線式のコンロだけ。

日本は元号が変わり令和の時代が始まった。
天皇即位にあたり、「三種の神器」という言葉を目にする。
昭和の時代に「三種の神器」と呼ばれた白黒テレビ、冷蔵庫、洗濯機
日本で暮らしていたころは、テレビ、冷蔵庫、洗濯機がない生活なんて想像できなかった。でも2019年、日本の元号が平成から令和に変わっても、私はアフリカでテレビも冷蔵庫も洗濯機も使わずに生活している。そう思うとなんだか感慨深い。

日本にいたときとはくらべものにならないくらい“生活”に使う時間は増えた。

蛇口からはお湯もでないので、シャワーを浴びるときはケトルと鍋でお湯を沸かす。
洗濯は桶に水をためて手洗いをする。すすぎと脱水が一苦労だ。
冷蔵庫はないので生もののまとめ買いはできない。その日使う分を市場に買いに行く。
炊飯器もないので鍋でお米を炊く。火力の調整ができない電熱コンロでザンビア産のお米を炊くのは想像以上難しい。保温ができないので翌日はチャーハンやピラフにして食べる。
電子レンジがないので温めるときは鍋を使う。
掃除機がないのでほうきで掃き掃除をする。
キッチンシンクからは水漏れがするのでバケツのセッティングが欠かせない。
トイレはタンクに水がうまくたまらないので蛇口から水を汲んでバケツで水を流す。

こんな生活を送っている。

日本で一人暮らしをしていた約4年間。こんなに自分の“生活”に時間をかけたことはない。東京で暮らしていた4年間、周囲には娯楽があふれていたし、会いたいひと、行きたいお店が尽きることはなかった。1日3食自炊して家で食事を摂った記憶もほとんどない。病院のコンビニの常連だったし、休日は人と会って外食することが多かった。ストレス解消と称した衝動買いにたくさんの時間とお金を使った。

任地に来てからほとんど外食することはなくなった。外食する場所がないのも一つだけれど、なにがどれだけ使われて、どんな調理工程を経ているのか不確かな食事への不信感もある。衛生観念が日本と大きく異なるアフリカでの食事には気を遣う。絵具のような色をしたジュースや、冷蔵庫に入れなくても長期保存がきく牛乳、温度管理されていない食材。日本ではあまり気にかけたことはなかった。自分の口に入るものがどんな工程で調理されたものなのか、どんなものが使用されているのか気にかける、そんな当たり前のことをいままで怠っていたことに気付く。自分で食事を作るようになって、自分の基準のなかで清潔に保った環境や食材で、自分の目で選んだ材料を使って調理することができるようになった。作る工程に手間はかかるが、なにが使われているのか、どんな工程で作られているのかわからないものを日々口にするというストレスから解放された。

時々買い物もしたいと思うが、2年後日本に帰るとき持ち帰れないものだと思うと手が止まる。私の家ででたゴミは、敷地の中に堀られた穴に捨て、穴がいっぱいになったらその穴を埋め、別のところにまた新しい穴を掘る。土に還らないごみは地中に残り続ける。できるだけゴミを少なくしたいと思っていても、思った以上に1日で出るゴミの量は減らせない。日本で暮らしていたときには使い終わったあとのことを考えて買い物をすることはあまりなかった。でもザンビアにきてからは買う前に使い終わったあとのことを考える。でも快適な生活をおくりたいし、たまには贅沢もしたい。いつもそんな葛藤を感じる。バランスをとるのはなかなか難しい。

一見不便が多い生活に思うかもしれないけれど、今の私には新鮮で楽しい。大した活動もできていないので、時間はたっぷりあるし、大きく不便に感じることはなく生活を送ることができている。
自分の生活だけが自分のコントロールが効く唯一のものだから自分の思うように生活を送ることができるようになってからすごく心が安定したように思う。

日本で仕事をしていたらこんなに自分の“生活”のために時間を使うのは難しい。きっと日本に帰ったら洗濯機も冷蔵庫も掃除機も買い揃えて、アフリカに来る前と同じように便利さを追求した生活に戻るだろう。だから今を貴重な時間だと思って大切にしたい。

自分の食べるもの、着るもの、寝る場所、住む場所。
アフリカで2年間、自分の暮らしと丁寧に向きあってみる。

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