アイドリッシュセブン2ndLIVE『REUNION』は時代の始まり~そして、また、この景色が答えだとわかるんだ

「やまろくさん、あのね、終わりが始まり、始まりが終わるんだよ」

メットライフドームに行く道すがらに言われた言葉ほど今回のREUNIONを端的に表している表現はありはしなかった。昨年の「RoadToInfinity」でセトリの最後に歌われた「NATSU☆しようぜ」で始まった今年のライブは、まさしく「再会」に相応しいステージだった。
1年間待ち焦がれたアイドルたちとの再会。まさに七夕の日に相応しい彼らとの束の間の逢瀬は、雨の降りしきる中でも、厚い雲に覆われても、その場所では満点の星空が浮かんでいた。
今をときめく豪華声優陣16人が一堂に会してのライブというその大規模さもさることながら、昨年以上のギミックが仕掛けられたステージ、360度見渡せるセンターステージ。電光得点盤も使用した会場の使い方、丁寧な仕事ぶりが伺える衣装やライティング、カメラワーク、会場を誘導するスタッフたち…。諸般の事情で2日目が初日参戦にしてファイナルだった私はあの会場に入った途端、その場で泣き崩れてしまった。
ステージの内容については、他の方がレポをあげていただいているのでこの場では割愛をさせていただくけれど(twitterでさんざん喚いたので)、個人的には「永遠性理論」「HappydaysCreation」「DAY BREAK INTERLUDE」「ナナツイロREALiZE」「MONSTER GENERATiON」の演出が特に好きだった。ZOOLのスタンドからみたときの歪な光もとても『らしさ』を感じたし。
そうして「終わりの始まり」であるセトリのラストの「MONSTER GENERATiON」。これは1stLIVEの時の一番最初に流れた曲だ。七瀬陸役の小野賢章さんが「僕たちの始まりの曲です」と高らかに笑った瞬間、ここからまた、アイドリッシュセブンは新しい未来への道を行くのだな、としみじみ感じていた。

※以下、REUNIONで情緒がどうにかなってしまった拗らせオタクの100%主観です。個人の見解であり、クラスタの総意ではございません。2週間たっても興奮が全く冷めやらぬまま文章を打っています。ご容赦ください。

※今回の記事作成に当たり、しなこさんを始めとしてフォロワー様とのキャス・ツイートの内容を参考にさせていただいています。ありがとうございます!

次世代のアイドルとしての在り方

去年のライブの感想ライブDVD発売にあたって感じたことでも話をしていたけれど、アイドリッシュセブンというプロジェクトにかかわる人、一人一人が非常に高い熱量をもって仕事に取り組んでいる。
「人間の手垢が感じられる仕事の在り方」という言い方をしてしまうと陳腐なのだが、プロジェクトにかかわるどんな人たちからも「熱」を感じることができる。それはコンテンツ自体の熱量を大きくしていくとともに、二次元コンテンツでありながら、まるで実在するアイドルをサポートするかのような動きをしている。一端をTwitterが大きな役割を担っていることは確かだろう。1stLIVE以後、Twitterを流し見していると、アイドリッシュセブンにかかわった人たちのツイートがちらほら流れてきている。そこには彼らの『アイナナ熱』とともに、無意識のうちにアイドリッシュセブンのアイドルたちが『存在』していると仮定したツイートがなされている。

否、違う。1年を経て確信した。
アイドリッシュセブンは存在している。

何をトチ狂ったことをこいつは言っているんだ???という意見はもっともだろう。書いている私が一番思っている。
このnoteの記事(天才しなこさんの記事です)で書かれているような仕組みと感情がそこにある。集団幻覚とかそういった類ではなくて、プロジェクトにかかわる一人一人が、アイナナを「いる」ものとして扱っている。
その一端が見えるのが実際の企業とのタイアップだろう。
1stLIVE以降、『アイドリッシュセブン』は現実世界の企業とのコラボの機会が得られた。それは「アンバサダー」という形を取り、商品の宣伝をアイドリッシュセブンというアイドルたちが行う、というものだ。
コンテンツ内の12人のアイドルたちが、「撮影」を行い、現実にある商品をPRする。そうして企業は彼らのコラボを、「宣伝キャラクターです!」というように扱う。

[DHC]


[JR東海ツアーズ]

(めちゃくちゃびっくりしたけど、ツアーズのTwitterみたらOFF旅固定ツイートになってて震えた)

二次元アイドルというのは今やまさに戦国時代だ。たくさんのアイドルたちが生まれて、その分だけファンがいる。だからこそ独自性というものが求められているんだろう。

以前書いたOFF旅の記事の中で、

コラボカフェや企画展などで「世界観の再現」がなされることは、もう当然のようにどんな作品でも行われている。そういったコラボは、はっきりと現実と虚構の境界線がはっきりと線引きされていて、私たちは「再現」の中に入り込んで作品の世界に埋没する。ある意味従来の「聖地巡り」というのも、作品の世界へ自分がトリップするという感覚に近いのかもしれない。
しかしOFF旅は全く逆だ。アイドリッシュセブンたちが実在する店を巡り、実際の旅行パンフレットとしてそれを紹介する。私たちと地続きの世界に彼らがいて、ただ時間が少しずれていただけで遭遇していたのかもしれない、という錯覚にとらわれる。

という話をした。

アイドリッシュセブンプロジェクトが目指すところは「アイドルの創出」だ。それは現実と引けをとらないとか、実在しているとか、そういった次元の話ではきっとなく、二次元であろうが三次元であろうが等しく存在することを目指しているような気がしてならない。
ARや技術に発展により、どんどんその垣根は曖昧になっていく。ネットの向こう側にいるのが人間か、ロボットかもわからない世界なんて、SFじみた話ではあるけれど、そういう世界がすぐ隣に広がっている。
いいのか悪いのかとか賛否も意見もたくさんあるだろうけど、二次元コンテンツのなかでそういう「作り方」がいま徐々に増えつつあるような気がしている。地域づくりの一環でアニメファンを巻き込むというのはいまや当然になってきたし、そうやって盛り上がっている地方が身近にもある。
広告塔の選択肢を三次元だけにする、という決まりはどこにもない。
アイドルとして作られたアイドリッシュセブンが「アイドルとして広告の仕事をする」なんてあまりにも当たり前で当然すぎる話だ。その時点で、「存在している」なんて言葉それ自体が妙な話に聞こえてくる。

…と、頭がどうにかなってしまったような話をしたけれど、二次元と三次元の垣根を歪めてくるアイドルの創出は、きっとこのプロジェクトチームの悲願でもあるのだろう。今更ながらに読み返した制作陣インタビューの「リアリティのあるアイドル」という言葉の意味を重く受け止めているところだ。

『現実』に迫る ――「言動」「場所」に次ぐ「感情」の想起

そういう様々な展開とともにこの一年をかけて思いっきり次元を歪めてきたアイドリッシュセブン、その起点は昨年の1stLIVEだと個人的には思っている。

そうして迎えた2ndライブには期待と不安と様々な思いがあった。
結論から言おう。
めちゃくちゃ最高だった。去年を超えたとかそういうのじゃない。まったく別のライブをみてそれぞれに完成度が無茶苦茶高かった。
それほどまでに完成されたあの空間は、「アイドリッシュセブン」というコンテンツを作り上げてキャストの声帯と映像を通して、アイドルたちを存在させた。
昨年はキャストやスタッフたちが描く、「アイドリッシュセブン、実在した」と認知させるような『言動』がそこにあった。舞台で作られた装置がここはアイドリッシュセブンが立っている『ステージ』でファンの我々はその世界に入り込んでいる、ということを感じさせられた。
二次元のコンテンツにリアリティを帯びさせるためには、二次元の世界と三次元の世界がオーバーラップすることが不可欠だ。
コスプレなどでキャラクターを三次元化させることで、「生きている」と思う人はいるだろうし、聖地巡りでモデルとなった場所をみることでもオーバーラップは起こる。
これはアイドリッシュセブンという作品内ではしばしば起こりえる現象であるし、それを総称してファンは「実在した…」と言っているだろう。
しかし、そんなところで終わるような生ぬるさで今回のライブは行われなかった。

オーバーラップできるのは言動と場所、果たしてそれだけだろうか?
今回、ZOOLがライブに初参戦を果たした。ストーリー内では比較的ヒールとして描かれる彼らが、他の3グループと同じようにライブで出演しました、という優しい演出をアイドリッシュセブンは許してはくれない。
ZOOLのパフォーマンスで大歓声の中、たった一人で舞台に立つTRIGGER。その光景を見た観客席から、どこからともなく叫びとも悲鳴ともつかない声が上がるほど。
その瞬間、ゾクリと背筋が凍った。
だってこれは、本編でやられたことをそのままライブでやったということじゃないか。本編のファンが感じていた感情を、そのまま16万人の観客がかんじたってことではないか。
ライブの演出は当日になるまでわからない。いくらストーリーの展開を多くのファンが知っているからと言っても、なんの予告もなしにその演出をされてしまったら、アイドリッシュセブンの世界線にいるTRIGGERファンの感情がそのまま再現されてしまうとしか言いようがない。
あの瞬間の生ぬるい気持ち悪さは天気のせいだけじゃない。アイナナ、ReValeときて、誰もがTRIGGERが来るだろうと無意識に信じていたところで、突然出てきたZOOL、そうしてあたかもその場所を奪われたように一人きりで出てきたTRIGGER。これだけの条件がそろえば、否が応でもあの瞬間の絶望を味わうことになる。
実際にZOOLのキャストのパフォーマンスのレベルはとんでもなく高く、あのライブのあとからZOOLファンは目に見えて増えた。グッズも急遽売り切れになった。まるでアイナナ3部の再現のような世界がそこに広がっていたし、彼らを受け入れる(または受け入れられない)という感情が「現実」のものとなった。
帰りの電車で「ZOOLすごかった!あれは好きになる!」と喋っていた女の子たちのことが忘れらない。
「この世界が作られたストーリーと同じ世界になってしまった」という錯覚を覚えながら、池袋まで揺られていたことが記憶に新しい。
そうやって、言動や場所(装置)といった現実感のみならず、ファンたちの感情にも「現実」を埋め込む仕組みが、「REUNION」には隠れていたのではないかと、そんなことを疑ってしまうほどに。

WHAT'S NON FICITION? 

現実感にこだわるのであれば、こんな風に感情を揺さぶらなくったって方法はいくらだってある。ARや場所の設定、それだけでもだいぶ実在感を感じることができる。だけど、それらは結局のところ「作り物」であって意図を汲めるかどうかというのは受け手にゆだねられる部分が大きい。
だけど、感情はそうはいかない。誰でも揺さぶられる感情は自分自身のものであるし、アイドリッシュセブンを介して得られた想いはなにがあっても本物でしかない。

そうして、ライブ翌日に貼られた広告の「WHAT'S NON FICTION」。
何が作り物で、何が違うのか。
メットライフドームを背景にして背中を向けた16人のアイドルたちは、私たちに問いかける。アップにした瞳の奥に、ペンライトの光を見据えて、その光はなんなのかと問いかける。
いくらだって解釈の仕様はあるし、自分なりに何か一つ結論を、なんておもってみたけれど、そんなものは出せるはずがなかった。だってもうその問いかけ自体が覚悟を問われたものでしかないのだ。
「作り物」だった世界に揺るがされた感情は「本物」になった世界では、何が作り物で、何がそうじゃないのかはわからない。きっとこれを作っている制作陣だって、正解があるわけではないと思う。
「WHAT'S NON FICITION?」の問いかけはファンとともにこのプロジェクトを作り上げていくというメッセージなのかもしれない。
4周年記念サイトのメッセージとしてもこの問いかけは使われている。アプリゲームで4周年を迎えるアイドリッシュセブンが、これからどういう世界を展開していくかは、きっと誰もわからない。
その時その時で求められているものをこれまでのノウハウを生かして確かに一歩ずつやっていくしかない。
ファンも取り入れながら、その感情を揺さぶり続けながら、現実感を与えながら、次の1年へと向かっていくんだろう。

そういう考えを持ちながら『ナナツイロREALiZE』を聞いてみれば、ああこれが「アイドリッシュセブン」の「見据えた未来」なのだなあと思ってくる。

「何にもない日も自然とそばにいる 
僕らはそんな風に  そんな人になってみたいんだよ」
「そろそろさ、未来じゃなくて今日に夢中になって」

という一節は、アイドリッシュセブンが目指す場所を示しているように思える。そうやって聞いてみると、ナナツイロは感慨深い曲になってくるはずだ。

そう、「WHAT'S NON FICTION?」の一つのアンサーである「REALiZE」の言葉通りに。



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