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「私の未来のためにできること」をしていたら

 「私の未来のためにできること」をしていたら、そのうちの一つでも「誰かの未来のために」なっていればそれでいい。

 未来について考える時に必ずついてくるのが、過去。「障がいのある弟のために」そう思って生きてきた20歳までの月日。自分が世間一般に話題になるようになった「アダルトチルドレン」であったのだと、福祉の道に進み大人になってから気づくことになった。いつだって前を向いて「未来のために」生きてきたつもりだったが、「弟の未来のために」生きていただけだった。18歳の時、大学の教授に「自分のためにしたいことを考えなよ。家族のために選ぶ道ではなく、自分のために進路を選ぶものだよ」と言われ、「何を言っているんだ。弟のために生きるのが私のしたいことなんだ」と反抗した。弟のために生きることが当たり前だという環境で生きていた価値観をひっくり返され、自身の存在に対して、自己を肯定できなくなったからだ。必要とされることで自己を肯定して生きてきたため、「自分のために未来を考える」なんてことは私にとっては簡単には認められず、苦痛だった。

 それから進路について悩んでいる大学4年間のうちに、「誰かのためにではなくて、私の未来のためにできることをしたらいいんだ」「ただ、誰かのためになることをすることで、未来の自分は過去を思い返して、自分が選んだ人生に価値を感じるはず。私は未来の自分が幸せに感じることを今、一生懸命に頑張ればいい」そう気づいて、家族から離れることができた。家族と離れることで、家族のために無理のない範囲で関われるようになった。自分を犠牲にするようなことは無くなった。

 誰かの未来のために、何かをするのは大事なこと。ただ、自分を犠牲にする必要はない。「私の未来のためにできること」をしていたら、そのうちの一つでも「誰かの未来のために」なっていればそれでいい。

 私は今、障がいのある子どもたちが通う学校で働いている。

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#未来のためにできること