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川崎市から見る戦後の警察の変化

 日本の治安を守る警察。今ある警察の姿は戦後に確立されたものである。川崎市の市政ニュース映画にて新しい警察の形が誕生した際の貴重な映像を見ることが出来た。旧警察と新しい警察の何が違うのだろうか。そこで、これを基に今ある警察の成り立ちについて掘り下げていこうと思う。


警察の誕生

 日本に警察が誕生したのは明治維新後のことである。明治維新により江戸幕府が崩壊すると明治政府は各藩の兵を治安維持にあたらせた。しかし江戸時代の名残もあり、これは「警察」ではなく、あくまでも「軍隊」にすぎなかった。そこで、1871年に邏卒と呼ばれる当時の警察が誕生し東京府に置かれる。のちに邏卒は新たに置かれた警察へと移管し、1874年警視庁が設置された。その他各道府県が管理下に置く地方警察の体制も出来ていく。そして当時の警察は国家警察を基本としており、内務大臣警視総監や府県知事等を指揮監督し、これらの地方長官警視庁と道府県警察署等を指揮監督していた。また、職務については違反者の取り締まりや妨害の防護などに加え、監獄、公衆衛生、消防など多岐にわたる業務をこなしていた。

邏卒

邏卒(右)の仕事である裸の取り締まり


特別高等警察の誕生

 当時、大日本帝国憲法下の政治体制であった日本は国家組織に反発する思想は危険思想としてみなされていた。そこで1911年、特別高等警察課が警視庁に設置された。これは1910年に社会主義者たちが天皇暗殺の計画によって逮捕されたことが始まりである。地方長官や警察部長などを介さず、内務省と一体となって社会主義運動や爆発物・印刷物による運動など多岐にわたる社会運動の取り締まりを行っていた。その後全国の警察に設置され広がりを見せた。1925年には治安維持法の制定により法的根拠が示され、より強固な体制となった。

特別高等警察

警視庁特別高等部検閲課による検閲事務の様子


旧警察法

 1945年の終戦後、GHQの統治下におかれた日本では民主化を進めていくため内務省の廃止を含めた警察体制の全面的な見直しを進めた。1947年、マッカーサー書簡の指示内容に基づき政府は警察法案を起草し、翌年に警察法(旧警察法)が施行された。その特徴としては、

*地方分権・・・国家警察制度を改め、市及び人口5,000人以上の市街的町村に置かれた自治体警察を基本として、国家地方警察との二本立ての制度

*民主的管理・・・政治的中立性を確保するため市民の代表者によって構成される合議体の機関、公安委員会制を導入

*責務の限定・・・責務を「国民の生命、身体及び財産の保護に任じ、犯罪の捜査、被疑者の逮捕及び公安の維持に当たること」に限定

 一方で、自治体の財政負担や自治体警察の多さによる警察活動の単位が細分化など、いくつかの問題点も浮き彫りになった。施行後7年で8回の改正が行われるも財政負担により自治体警察の返上を行う市町村の多発や犯罪の極悪化のため全面改正が検討された。そして1954年、新警察法が施行され、今ある警察の形が確立していく。

スクリーンショット (15)


川崎市警察と川崎警察署

 これまでに述べたような流れで映像に合った「新しい警察」が1948年(昭和23年)3月7日に川崎市に誕生した。1947年(昭和22年)の時点で25万人の人口がいたため早い段階で自治体警察が設置され、そして1954年警察法の改正に伴い神奈川県警川崎警察署へと変わっていった。管轄範囲は川崎区の西側半分だけと限られている。


まとめ

 私は川崎市の市政ニュース映画「新しい警察」を見て、「新しい警察とは何だろう。事件が起きたら警察が駆けつけるというのは当たり前である。犯罪防止に積極的に取り組むことが警察の仕事ではないだろうか。」などいくつかの疑問が浮び、日本警察についての歴史を調べた。その過程で、時代の変化は様々な分野で感じ取ることが出来るという事と、過去の出来事があったからこそ今があるという事を実感した。また、当時の様子を全く知らない私にとって新しいことを知れるいいきっかけとなった。歴史を知り、その過程を知る面白さを理解することが出来る学びである。他にもたくさんの映像が公開されているため、新しい発見をしてみようと思う。

参考文献






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