私の社会人になるまでの軌跡

生まれは福岡県北九州市。よく全国で言われている<修羅の国>と呼ばれている地域で育った。

冗談まじりに言われるのはコンビニで手榴弾が買えるとか言われてますが、そんなものは売ってませんのでご安心下さい 笑

私は高校卒業まで母と妹と3人暮らし。母と父は私が小学校一年の時に離婚。私と妹は母親に引き取られた。

これは私が成人した後に知った事だが、父は地元で有名なヤクザの組員だったらしい。

母は不動産会社の社長だと、嘘をついていたが、昔の記憶をたどると、薄々気付いてので、教えて貰った時は驚きより、府に落ちるという感覚だった。

離婚後、母は地元で有名なバス会社で勤務しながら祖母との共同で、私と妹を育ててくれた。

小学生時代

顔も良くない、運動も出来ない、勉強も出来ない、ただのデブでした。一時期イジメにもあった。ただ唯一良かったのは卒業までにはクラスの全員と仲間になり楽しい思い出が出来た事。

中学時代

親族の勧めで、部活をする事になりバスケットを3年間いそしんだ。その会もあり、ただのデブから普通の人間になれた。まぁ学業は下から数えるほうが早かったが。

部活ばっかりやっていたせいで、勉強は全く出来なかったので、部活引退後、塾に強制的に入れられ、一応の公立高校までいけるくらいになった。

そして暗黒の高校時代。

運良く公立高校に入れたものの、その公立高校は周囲の公立高校の中では中の下。その中で私は成績優秀だったみたいで、進学クラスになった。最初までは良かった。

進学クラスに入れて、これから大学目指そうと意気込み、母を説得し、塾に通いながら半年を送った。

しかし現実とはキツイもので、塾の勉強と高校とのレベルが違い過ぎたのだった。

私が通ってた塾は、有名国立大学や私立大学に進学するばかりの人間が通う有名塾だったので、底辺公立高校との勉強のレベルが違い過ぎて、そこから私は塾の勉強を投げ出していき、塾も半年で止めて、高校での勉強も諦めた。

そこから何故高校に通っているか分からなくなり、半年間勉強ばかりして、部活も入らず、友達もいなかったので、毎日高校に行っては授業中ほとんど机にふして寝て過ごしていた。昼休みも全部。

それが気付いたら高校3年の半分まで続いた。目標もなく、とりあえず高校通ってるだけ、早く1日が終わらないかと唯又毎日思っていた。今考えるとよく不登校や、中退しなかったかと不思議に思う。

周りが進学が決まって、落ち着いた頃、目標もない、脱け殻状態の私はいうまでもなく、クラスに馴染めていなかった私はいつものように寝て過ごしていた。ある日、席の近くにいた今で言う<陽キャ>に声をかけられ、友達になった。そこから先は友達も増えて、カラオケでオールやったり、歌は定評があったので、バンドでボーカルやったり、初の彼女も出来た。それから18歳で初体験も済ませた。

卒業3か月前にやっぱり進学したいと思い、親に説得してみた。周りが進学ばかりだったからだ。しかし、親からはもちろんダメだと言われた。

そして卒業式

周りは親や家族が来ていたが、私のもとへは家族はいなかった。そして家に帰ってみたら母親は休みで家にいて、玄関をみたら荷物がまとめられていてた。明らかに私の荷物だ。そして母親からこう言われた。

《扶養の義務がなくなったから出ていけ!》

いきなり言われたので、出来ないし、無理だと言ったが、出ていけの一点張り。

交渉虚しく出ていったのである。

友達に頼んで暮らして居候させてもらおうと思ったが、半年の付き合いの友達には言えなかった。

就職先も決まっていない、進学先もない。私はこの日人生初のホームレスとなった。

正式には祖母の家で1か月仮暮らしさせてもらっていたのだが、祖母からも生活させる余裕がないと言われて追い込まれていた。

色々探して、寮付きで、20万以上の収入があるところを必死に探した。そしてたどり着いたのが初の就職先はなんと、セクシーキャバクラのボーイの仕事だった。

これがおおざっぱであるが私の社会人になるまでの軌跡である。

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