流通事件簿VOL11「イトーヨーカ堂」の失速

コンビニのセブンーイレブやセブン銀行を主体に、日本の流通業では勝ち組の筆頭に位置するセブン&’アイホールディングスだが、物言う株主であるバリューアクト・キャピタルは、不採算部門の売却を要求し、現経営陣の退陣まで提案してきている。
その要求をむげにはできず、セブン&アイとしても、これまでオシュマンズ・ジャパンやバーニーズ・ジャパンを売却、昨年9月にはついに、百貨店のそごう西武を売却し、コンビニから百貨店までを展開する流通企業グループではなくなった。セブン&アイが百貨店を一翼に納めたのは、わずか18年にしか過ぎなかった。
そしてバリューアクト・キャピタルの次のターゲットは、イトーヨーカ堂に向かっている。同社は売上高こそ1兆円前後と大きいが、最近は赤字決算になることも多かった。当然、投資家としては最大利益を確保するためには、赤字部門、あるいはその予備軍の切り離しを要求する。そこにはイトーヨーカ堂は、セブン&アイの祖業であるといった情緒的な要因が入る余地はない。
そこでセブン&アイとしては、イトーヨーカ堂の業績の足を引っ張っていた衣料品事業から撤退、食品及び雑貨に特化した企業に転換する方針を打ち出し、バリューアクト・キャピタルの要求をかわすことになった。

食品でも提案力が弱くなる

衣料品事業からの撤退によって、確かにイトーヨーカ堂は、ウイークポイントの一つがなくなる。直近10年ほどは同店の衣料品売場は、いつ行っても顧客より従業員のほうが多い状況が続いていた。したがって、商品部のバイヤーに始まり、売場の販売員までを減らすなり配置転換できれば、人件費負担はかなり減らせるだろう。
しかし、それだけでは食品中心の新イトーヨーカ堂、、営業利益率5%前後を稼ぐ企業に生まれ変われるかどうかはわからない。というのも、最近のイトーヨーカ堂の食品売場には、提案力がなくなっているからだ。
それで思い出すのが、2000年代初頭のスーパーマーケット業界のこと。このころイトーヨーカ堂が新店を出す、競合他社の従業員はいうまでもなく、卸の関係者やマーケターまでがこぞって、その新店を見に行き、今度はどんな提案をしているのかをチェックしたものだ。
当時はワインが利益商材として意識され始めた時期で、イトーヨーカ堂はワインを生鮮売場でも関連提案して、顧客のニーズ活性化した。それを見て多くの関係者は、また刺激を受け帰社したのだ。
ところが、2000年代半ばになるとイトーヨーカ堂の提案力がダウンするのと入れ替わるように、SMチェーンが提案力をてくる。その一例が店舗の第3コーナーを使った、ヤオコーのワインとナチュラルチーズの売場展開だ。その圧倒的ボリュームと提案力は、イトーヨーカ堂の売場を大きく超えていた。
そして、これ以降スーパーの売場展開の新機軸は、首都圏のヤオコーをはじめ、ライフ、サミットスト、広島のフレスタ、福岡のハローデイなどSMチェーンに主導権が移り、GMSチェーンはイオンが800坪の大型スーパーのフォーマット開発でリードする程度だった。

メーカーファーストの姿勢が自社の独自性を弱める

イトーヨーカ堂で、今考えれば弱みとなっていたことがある。もともと同社は、戦略的な取材には応じていたが、売場取材などには原則的に拒否の姿勢だった。
それが、これも2000年代初頭から全面解禁とは言えないが、少しずつOKが出るようになった。ただ、取材でオーケーが出るのは、よくよく分析すると、シェアの高いメーカーがらみの商品取材などのことが多かった。
そのため、そういう傾向が見えてくると、我々もズルをしてメーカーの担当者からイトーヨーカ堂のバイヤーに一声かけてもらい、その後、広報経由で取材依頼をすることも増えた。
つまり、イトーヨーカ堂の食品売場は、消費者のニーズを分析し、消費者が必要とするものを提案していたから刺激的で、新しい市場を開発できたのだが、2000年代半ばからは、メーカーの立場も忖度するようになり、少しづつパワーがなくなっていったのだ。直近の売場でいえば「セブンプレミアム」は売れるけれど、それ以外の商品の需要開発力が弱くなっているといことだ。
したがって、たとえ衣料品事業がなくなり、当面身軽になったとしても、食品市場をフラットに見る姿勢を取り戻さなければ、本当の意味でのイトーヨーカ堂の復活はないのではないか。

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