マイフェイバリットフーズ/食でたどる70年第32回「ペペロンチーノ」

さすがに50年近く前になるから詳細は記憶にないが、大学2年の秋、教養ゼミの友人と木曽路を回り、温泉に1泊したことがある。妻籠宿から馬籠宿を歩き、江戸の宿場の風情に浸った。そこそこ人出はあったが、最近のような大混雑ではなかった。老舗のお蕎麦屋さんも割と空いていて、食事もすんなり済ませることが出来た。
その日の宿は王滝川の支流のほとりにある「ランプの宿」を友人が父親から聞いていたので、そこを予約していた。しかし、宿につくまでが一苦労だったことは、よく覚えている。上松まで電車で戻り、そこから途中までバスで行ったが、目的の宿へは、さらに徒歩で2時間ほどかかった。
こんなすごいところに泊まる人は、そんなにいないだろうと思っていたら、一本前のバスできたのか、道端の草木や花を見ながらゆっくり歩いているカップルがいる。すぐ追いついたので声を掛けたら、同じ宿に泊まるというので偶然に驚いた。Mさん夫婦は、20代後半で我々よりも5,6歳上だった。ご主人は大学を出た後、イタリア語の翻訳にしており、幼稚園の教諭である奥さんの収入のほうが安定しているとのこと。お互い「物好きだね」といいながら目的地を目指した。
宿までの最後の下りも大変だった。降り口までは県道だが、そこからの下りはまさに山道。まだ日暮れ前だったので迷うことはなかったが、王滝川の支流の川音がものすごく、改めて大変なところへ来たのだという思いを強くした。

若い女性との初めての混浴を経験

それよりも怖い思いをしたのは、我々4人が食事をしているときに到着した看護婦4人組だ。ヤマメや山菜の夕食を食べていると、急に玄関のあたりが騒がしくなったので、何事かと思ったら最後の予約客の到着だった。話しを聞くと、山道なので明かりなどなく、一人が持っていた小さな懐中電灯を頼りに下ってきたとか。タクシーで下り口まで送ってもらったらしいが、最後の最後に怖い目にあったのだ。
しかし、ランプの宿とはいいのか悪いのか、よくわからない。確かにランプのもとでの食事は風情が有るといえばいえるのだが、見た目でおいしさを判断できない。また、遅れてきた4人が同じテーブルで食事を始めたのだが、ランプの明かりでは可愛いのかわからない。
ただ、いいこともあった。夜も遅くなり、早く仕舞ってしまいたいと宿の人が言、みんな一緒に温泉に入ったのだが、ランプの明かりでは、裸になってもぼんやりシルエットが見えるだけで、裸を見られているという気にならないのか、5人の女性は同じ湯舟に入っていても堂々としたもの。逆にまだ、童貞だった私の方がおどおどしていた。

Mさん夫婦との付き合いが始まる

ランプの宿での宿泊は、ある意味で得難い体験だった。東京に戻ってからMさん夫婦との付き合いが始まったのもその一つだ。二人とも20代後半で年齢が近かったこともあるし、自由人のような雰囲気が、学生の我々の意識と近かったこともある。帰ってからしばらくして、二人の住まいを訪ね食事をごちそうしてもらったりした。
イタリアンレストランの「文流」を紹介してもらったのもMさんからだ。すぐにファンになったが、イタリア料理は、フレンチと違って学生の懐にも優しかったという事情もある。「イタリアワインの夕べ」というイベントの時には、遅くまで残っていたら、他のお客さんの飲み残しのワインも回ってきて、調子に乗って飲んでいたら、帰りの電車の方向が分からなくなり、高尾方面行に乗らないといけないのに、東京方面行に乗ろうとして、友達をてこずらせたこともあった。
ところで、この「リストランテ文流」は、もともとは洋書輸入販売などを目的に設立された株式会社文流が、食文化交流のために高田馬場駅前にオープンした店舗だった。紹介してもらった当時は、かなり老舗のイタリアンレストランだろうと思っていたのだが、今回同社の沿革を見直してみると、1973年7月の開店となっていた。私と友人がMさんと知り合ったのが1974年なので、開店して1年経つか経たないかだったことになる。
本格的なイタリアンレストランとしては、かなり早い時期の市場参入ということになる。1960年に飯倉片町の小さなビルの地下に開店し、ユーミンをはじめ、その後JPOPを担うミュージシャンやアーティストのたまり場となった「レストランキャンティ」に比べれば、10年以上遅いが、80年代のブーム下で生れたイタリアンレストランに比べると10年以上早かったことになる。
この「文流」で感動したのがシーフードをふんだんに使った「パエリア」だった。米を主食としているから、炊き込みご飯や豆ご飯は、食べなれているが、「パエリア」のように米料理がごちそうになっていたのは初めての経験で、文流では締めはパエリアというのが定番だった。
しかし、文流で衝撃だったのは、前菜の後ぐらいに登場するパスタの「ペペロンチーノ」だった。当時はまだパスタは今のように多彩なメニューは日本では定着していなかった。今でこそ、すっかり有名になった「ペペロンチーノ」も、その当時はまだ知名度は低かった。それが最初に出てきたとき、具沢山のナポリタンになれていた私は、そのあまりのシンプルさにびっくりした。茹で上げたアルデンテのパスタにオリーブオイルと鷹の爪だけで和えた「ペペロンチーノ」は、最初は「?」と思ったが食べてみると「!」。常々Mさんが「パスタは日本でいえばお茶漬けのようなもの」といっていたのが、すっと入ってきた。


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