街探シリーズ<4>明大和泉キャンパス・和田堀廟所界隈

明大前というとなじみのある駅で、京王線と井の頭線の乗り換えでは割とよく利用する。ときどきは改札を抜けて街をブラついたこともある。ただ私は、大学時代はお茶の水で過ごし、働き始めてからは上智のお膝元の四谷が長かったので、明大前の学生街は何となく寂しく感じたのも事実だ。
明治大学に縁があるわけでもないので、甲州街道のほうへ行くこともなかった。今日、甲州街道を目指したのは、今、急成長していに買収されたスーパーバリュー明大前店が同じ方向にあると分かったからで、目的は同店の売場を見ることだった。
とりあえず明治大学を目指したが、このあたりの甲州街道は、道幅があるので横断歩道はなく、歩道橋を渡らねばならないということにまず驚かされた。そして明大の正門横に、ひっそりと掲げられている説明文を読んで、また驚かされることになった。というのも、明治大学和泉キャンパスと築地本願寺和田堀廟所は、もともとは幕府の塩硝蔵があったところで、明治になってからは陸軍省が火薬庫として使用していた場所だったらしい。
片や学問の府。片や亡くなった人の菩提を弔う場所になっていることからすると、その前身はあまりにも違いすぎることに再び驚かされた。

和田堀廟所で樋口一葉の墓所に出会う

そして、結局、明治大学には入らず、紅葉が始まった甲州街道のケヤキ並木を見ながら永福町方向へ歩を進めた。100mちょっとで、築地本願寺和田堀廟所に出会う。ここも関東大震災後、陸軍省から払い下げてもらった場所だ。浄土真宗の比較的裕福な家が多いのか、かなり立派な墓が並んでいる。浄土真宗の墓は前面が「南無阿弥陀仏」なのが面白い。
しばらく行くと、ひと際大きなお墓が見えてきた。誰だろうと思ったら佐藤栄作元首相の墓だった。佐藤家の墓よりも栄作氏個人の墓のほうがはるかに大きかった。墓大きく墓所も広かったが、それでも以前に比べると4分の1程度に狭くなったらしい。
さらに、びっくりしたのが辻嘉六という人の墓。あとで調べたら辻嘉六という人は、戦後初期の政治家に大きな影響力のあった人で、娘さんはコンサルタントとして活躍した女傑だったようだ。この辻家の墓は、真ん中に辻嘉六氏、両脇に奥さんと娘の墓があり、それらの前両袖に2基ずつ「家来の墓」が並んでいる。これはどういう意味なんだろう。
さらに進むと「樋口一葉の墓があります」という案内があったので、横道に逸れた。ところが、その場所が分からない。ちょうど、品の良い老婦人が墓参りに来ていたので、場所をきいたら、「少しお花が余ったから、ついでにご案内して差し上げます」ということで連れて行ってもらった。こちらは小さな可愛いお墓で前面には「樋口氏」と刻まれていた。婦人が花を手向け終わって一葉氏の墓を後にした。

老婦人と別れ、和田堀廟所から、当初の目的であるスーパーバリューを見ての帰り道、不思議な店舗に出会った。すでに閉店してしまっていたので、よくわからないのだが、「春夏冬」という店名の店舗に出会った。作家の山口恵以子さんの「食堂のおばちゃん」という小説の主人公の名前が「一」で二の前だから「にのまえ」という苗字になっている。この伝でいくと「春夏冬」は「あきない」とでも読むのだろうか。しかし、店舗自体は飽きる前に閉店の憂き目に遭ってしまったようだ。


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