マイフェイバリットフーズ/食でたどる70年第26回「おでんの八ツ頭」

かつてマーケティングの会社で働いていたころ、飛島建設が設立した飛島時間開発という新しい会社と仕事をしたことがある。同社は飛島建設が経営不振に陥った時、自社で保有している絵画を平川町の自社ビルに展示、その運営が主たるミッションだった。
しかし、トップに就任した人が、ただ美術館の運営だけではつまらないと考え、「時間」を軸にしたビジネス開発を目標にした。そこで、そのころ私が働いていた会社が、コンサルティングというか、時間の勉強会を同社を立ち上げた。勉強会にはスタッフが全員参加し、「時間」の見方を変えることで新しいビジネスが生まれるのではないかと、真剣に議論した。
ある時、勉強会の進め方で打ち合わせに行き、夕方6時前には終わってしまったので、すぐ近くに「ちょっと時代をさかのぼれる店があるから行きましょう」ということで連れて行ってもらったのが「竹生」だった。
同店はおでんの店で、店名の由来は琵琶湖の竹生島から来ている。関西のおでんは別名「関東煮」といわれて、真っ黒な煮汁が特徴だが、滋賀出身の竹生のおかみさんの味付けは、薄口しょうゆで上品な味わい。おでんのネタもオーソドックスで気をてらったところのない伝統的なおでんだった。もてなしもたおやかで、豊かな時間を過ごした。

やたら存在感を主張するおでん鍋の八ツ頭

ところで、おでんといえば何かと思い出すのが、昔母親が用意していた「おでん」風の鍋だ。東京でおでんといえば、大根やさつまあげやはんぺんなどの練り製品が定番の具材。大学に入って、ゼミの居残りの後、友達と寄った屋台のおでん屋には、赤いウインナーが入っていたので、びっくりした記憶がある。
しかし、母親の「おでん」風鍋もなかなかユニークだった。田舎のこととて、おでんの具材を揃えているような店はなく、練り、せいぜい「天ぷら」といっていた、さつま揚げとちくわが入る程度で、主役はサトイモの八ツ頭だった。これは畑に何株が植えていたサトイモを収穫して来たり、知り合いから貰い物があった時に登場する。
ただ、困ったのは、当時母親が親戚の手伝いに行っていて、忙しかったため、土鍋に一杯炊かれた「おでん」がなくなるまで、何回もごはんのおかずとして続くこと。八ツ頭が食べやすいように切り分けられて煮られているのだが、さつま揚げやちくわはすぐになくなり、サトイモの煮物になってしまうこと。
子どもにとって、サトイモ自体ぬめりがあって、それほど好きでもない食べ物である上に、他の具材がないから、ごはんがなくならなく往生した。
ところが、最近は夕ご飯に、サトイモの煮物が出てくると、あっという間になくなってしまうから不思議だ。八百屋によっては、サトイモを剥いたものを売っているし、冷凍のサトイモもあるので、ずいぶん調理しやすくなった。


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