微花

目ざましいものではなくてかすかなものを 他をしのぐものではなくて他がこぼすものを あら…

微花

目ざましいものではなくてかすかなものを 他をしのぐものではなくて他がこぼすものを あらしめるもの またあらしめようと目ざすこころみです

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開かれてある世界に生きなおす

2015年に微花を創刊し、2016年の夏までに四季六冊を刊行したタイミングで一時休刊。そうして、2019年4月に装幀をあらたに復刊したことを機に、同年4月から8月にかけて全国十ヶ所を巡った微花復刊記念ライブツアー「絵本的」—それらのアーカイブの一部を、このたび公開いたします。 三つ目は、2019年8月4日に恵文社一乗寺店でひらかれた「絵本的」の最終講演、微花とつち式による鼎談「開かれてある世界に生きなおす」 目次 『つち式』——元をたどれば人間も土によって生きている/

    • 「絵本的」於 月白

      2015年に微花を創刊し、2016年の夏までに四季六冊を刊行したタイミングで一時休刊。そうして、2019年4月に装幀をあらたに復刊したことを機に、同年4月から8月にかけて全国十ヶ所を巡った微花復刊記念ライブツアー「絵本的」——それらのアーカイブの一部を、このたび公開いたします。 ふたつめは2019年5月11日にひらかれた「絵本的 」於 月白——微花と月白店主による鼎談となります。 —— 目次 養生したい/ 好きなことをして生きていくという言葉への違和感 /「月白」とい

      • 「絵本的」於 READAN DEAT

        2015年に微花を創刊し、2016年の夏までに四季六冊を刊行したタイミングで一時休刊。それから2019年4月に装幀をあらたに復刊したタイミングで敢行した微花復刊記念ライブツアー「絵本的」 2019年の4月から8月にかけて全国十ヶ所を巡ったこのライブツアーのアーカイブをこのたび、各種音声メディアに公開します。 ひとつめは 2019年6月16日にひらかれた 「絵本的 」於 READAN DEAT です。 詳細は最下部のリンクから—— Apple Podcast、Spotify

        • もっと棍棒の話をしよう

          きっと耳を澄ますにつれ庭がどこまでも広がってスウスウ流れこんでくること請けあいのラジオ 『庭声』の更新です。 第7回目となる今回は、待望の棍棒回。ZNKKXCUP 第1回全日本棍棒飛ばし選手権大会の片付け後、全日本棍棒協会会長の東樫をゲストに、棍棒飛ばしの奥深さについて語りました。 出演 東樫 西田合歓 石躍石楠花 —— 目次 前篇 棍棒があると木の勉強に良い/森系はロマン派が出現しがち/間伐は壮大なガチャ/外来種問題/オイカワ丸さん/湿地帯で全部解決する/庭のかたち

        開かれてある世界に生きなおす

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        • 庭声
          8本

        記事

          2023年4月23日

          きのうはサンジョルディの日という、花と本を贈り合うスペイン・カタルーニャ地方の祝祭日で、花と本を贈り合うこの日に、花の本をつくろう、と八年前のきのう創刊されたものが微花でした。 そうして、創刊してからは年毎に、この日かぎりの花と本のお店を、軒先などの場を借りてひらくことを続けてきたのですが、ここ数年は世情もあってひかえており、そのようにして数年も行き過ぎると、平日となんら変わらないような気がしてなかばは忘れていたところに、もとは微花の読者として知り合った方々が今年は各地でサ

          2023年4月23日

          もっと庭の話をしよう

          きっと耳を澄ますにつれ
庭がどこまでも広がってスウスウ
流れこんでくること請けあいのラジオ
『庭声』の更新です。

第六回目となる今回は、「庭師が読む『僕たちはどう生きるか』」のアフタートークです。前回と合わせてどうぞ◎ —— 目次 もっと庭の話をしよう/フリーペーパーをつくりたい/ドライブ・マイ・カー/人間関係ではなく存在関係/名前をなよんでる/suzumeという屋号/雀にもともと関心があった/身近すぎて見過ごしているうつくしいものとしての雀/庭には鳥が来てほしい/鳥って

          もっと庭の話をしよう

          庭師が読む『僕たちはどう生きるか』

          きっと耳を澄ますにつれ 庭がどこまでも広がってスウスウ 流れこんでくること請けあいのラジオ 『庭声』の更新です。 第五回目となる今回は、独立研究者・森田真生さんの『僕たちはどう生きるか』を繙きながら、この普遍的な問いに、庭師としての応答を試みます。 —— 目次 前編 この本読んで会社やめました/コロナ以後、目に入ってきたのが庭だった/消毒よりも味噌づくり/エコロジカルな自覚/真に人間が健康になっていくことは環境の恢復につながっている/世界の終わりであるところに、これから僕

          庭師が読む『僕たちはどう生きるか』

          虫のことは嫌いでも庭のことは嫌いにならないでください

          きっと耳を澄ますにつれ 庭がどこまでも広がってスウスウ 流れこんでくること請けあいのラジオ 『庭声』の更新です。 第四回目となる今回は、去る五月十八日に行われた「月白にて第十夜」の振り返りから、物と事で物事であること、その事としての/ 媒介としての / 関係性としての庭について。 —— 目次 月白にて / 私も自分のこと庭師だと思います / 団子虫 / 好き嫌いはどうでもいい / 可哀想も間違いやすい / 虫のことは嫌いでも庭のことは嫌いにならないでください / もしも

          虫のことは嫌いでも庭のことは嫌いにならないでください

          おいしいサラダはほんまにおいしい

          きっと耳を澄ますにつれ 庭がどこまでも広がってスウスウ 流れこんでくること請けあいのラジオ 『庭声』の更新です。 第三回目となる今回は、「#庭師の休憩中」と題して、庭仕事の合間の一服、その一齣をお送りします。珈琲の話をしていたら、いつの間にかサラダの話へ、そうして、やっぱり庭の話へと展開していきます。 —— 目次 サラダって直接的 / 植物喰ってる / おいしいサラダはほんまにおいしい / 自分で切り分けながら食べる /サラダって舐められすぎやと思う / レシピ本から庭

          おいしいサラダはほんまにおいしい

          時の贈り物

          六年前の春の今日、花と本とを贈り合うサンジョルディの日という祝祭日にちなんで、花の本を、と創刊したものが、ほかでもない微花だった。それから季節ごとに刊行を重ねて、一時休刊、そうして、一昨年の春の今日、創刊号を装幀あらたに写真絵本として刊行しなおした際、末尾に書き足した文章を読み返すと —— 「どの鳥が鳴いたかで季節がわかる。ことに春は、鳥がおしえてくれる。と何気ない会話に聞いたことが、とうていおなじ世界の話だと思えなかったのは、花になずむ千にちも前のことだったか。多かれ少か

          時の贈り物

          庭師が読む『一汁一菜でよいという提案』

          収録を終えて 後編の冒頭、「庭は家庭料理的であるべきだと思う。」と口をついて出た言葉に自分で意表を突かれたものの、それから日を置いて、その言葉の前後に連なる対話を聴き直すことを重ねるたびに、いよいよ深く納得する。そのような、不思議なラジオ体験となった今回。料理研究家・土井善晴さんの——ひいては、これまで様々に食事を重ねてきた有象無象の人々の——広々として巨きい肩の上に乗ってはじめて見えてきた庭を前にして、いつからか、自分はずっとこれを探していたのだという体感が、いまも続いて

          庭師が読む『一汁一菜でよいという提案』

          庭声

          まえがき いまから三年ほど前に写真意匠担当の西田が庭師として歩きはじめた道を辿るようにして、思いがけず自分も庭師となってからの三ヶ月ほどを、土地土地の庭にはたらきつつ庭という言葉を転がしていると、ときに初心に帰るというのか、一つの春が過ぎてから一巡りあって、そうしてまた春がやってきたときのなつかしさとあたらしさの綯いまぜになったような気持が時々する。どういうことかと遡ってみれば、それは微花の創刊時の気持と重なっていることに気付く。 「雑草という名の草はない、すべての草に

          blackbird gift card

          先月初めに、blackbird books専用の図書カード「blackbird gift card」の完成を受けて、その制作の経緯がblackさんのブログに公開された。以下に、その発案から制作の一部を請け負った微花としての追記を書いてみたいと思う。 —— 今年の初めから、今も続いている危機にあって確かめたのは、普段何心なく通っている本屋のかけがえのなさであった。これまでも折々本に救われてきた身としては、すでに家にある本を読むことでも何とか凌げるか、と思っていたところが、実は

          blackbird gift card

          一年

          大晦日 といって変わらず、朝から歩いてその季々の草や花を眺める。それだけで今日も良い一日だと思える。 —— 今年という一年を振り返ると、春に復刊をしてからは方々お騒がせ、たいへんお世話になった一年でした。そのなかで「絵本的」という言葉で表現してきたことは、何のことはない、いつもの日課、歩いて、花を撮り、言葉を書くという、ひとつひとつは素朴な行いでした。ひときわせわしい一年だった分、その終わりに、日々の素朴な日課の大切さを思います。 これは七夕の日、母の友さんがおしえてくれ

          絵本的、その後

          今年もあとひと月足らずで終わってしまう、というような時の節目ごとの感慨に、僕はいつもかまいつけないようにしている。それはまやかしで、あるのは日々、今日この一日なのだという具合に。ところが今年は微花の復刊があり、それに準じて四月の末から八月の初めにかけて「絵本的」と題したトークライブツアーを、足掛け全国十箇所で開催してから今さらに落ち着いて、ふと、これを振り返らないでは年を越せないという気持ちになった。 振り返るにあたって、十箇所のうち、九箇所はその時の音源が残ってある。久

          絵本的、その後

          夏が来て

          おととい、作家・川上未映子の最新長編、 「夏物語」を買った。 これについて、「つち式」主宰の東から、「8月4日に向けて読むつもり、なんか気になる。」と連絡が来たとき、それが反出生主義など、人の誕生にまつわる倫理をテーマとした作品であると、おおよその察しはついたものの、それが8月4日に控える「微花」×「つち式」の鼎談とどのように関わってくるのか、いまいち想像がつかなかった。 「夏物語」を買う少し前、やはり4日に向けて「つち式」を読み直しはじめて、はたと気付く。その創刊宣言

          夏が来て