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絵本へ

図鑑です。名ざせない植物、との距りの。 季刊誌です。その名を知るまでのひとときの季節の。目ざましいものではなくてかすかなものを、他をしのぐものではなくて他がこぼすものを、 あらしめるもの、またあらしめようと目ざすこころみです。  __『微花とは』

という言葉を掲げて、『微花』という名の雑誌を創刊したのは、2015年の春のことだった。それから季節ごとに刊行をかさね、2016年の夏の刊行をもって、一時休刊を決めた。上記にもとづいて継続してきたものとは別様の、雑誌のかたちが見えてきたからだった。

それはひとことで言えば、ひとりの人間が生きていくうえでの本質的な雑多性による雑誌。さらに言えば、植物を鑑賞するというこれまでのありようから、植物によって生きている人間の生活全体を、季節ごとに描いていく歳時記のようなものだった。

けれどそれは、作ろうと思ってすぐに作れるものではなく、日々の生活を営むことからしか生まれてこないという確信があった。日々をよく生きることから生じてくるものであり、それはまたよく生きるためにこそ作られるものであるという確信から、季刊をいちど退いて、生活へ。

そうして微花はいま、
絵本を作ろうとしている。

なぜ、絵本か

そのきっかけは、いずれも外からもたらされたものだった。まず初めに、『つち式』という名の雑誌があらたに創刊されたことがある。

ここにおいて雑誌とは、個人の興味関心を寄せあつめた雑多性というよりは、人が生きていくうえでの本質的な雑多性によるものであって、より具体的には、個別性よりも普遍性、つまりは土によって生きるほかないこの生の様式(つち式)を、ひとりの人間が身を以て生きはじめた二〇一七年の記録であった。

そのような雑誌つち式の、主宰である東千茅とは数年来の友人で、僕はその編集にたずさわった。またそのデザインは、微花のデザインも手がけた西田が担当した。協力した経緯には、彼と友人であるということもあったが、なによりもつち式の内容が、まさに微花として作りたかったもの、あるいはそれ以上のものだったのだ。彼は植物が根をはる土にまで降りて、そこで植物のみならず多種多様な生きものと生き交わして、そうして、生命誌を書き上げたのだから。

こうして、当初、微花の次なるものとして考えていた雑誌を、あえて微花として作るひつようは、もはやなくなってしまった。つれて思いがけないことに、つづけるつもりを失くしていたはずの微花のありように、あらためて惹きつけられた。根っこは同じ、べつの花が咲いたことで、こちらの花の輪郭がよりくっきりしたのだろうか、作者でありながら、なお気づけないでいた何か、もはやそれは雑誌ですらない何かに、不意に惹きつけられたのだった。

それが何であるかということに、たしかに思いあたったのはさらにそのあと、『母の友』という名の雑誌の存在を知ってからのことだった。

それは、微花のInstagramに「hahanotomo_magazine」というアカウントから「いいね!」がついたことにはじまる。見るとそこには、あの『ぐりとぐら』でおなじみの福音館書店から、子育てにまつわる雑誌が刊行されており、その名を『母の友』という、それも1953年からいまも続いているという、考えてみるだけでももの凄い雑誌の公式アカウントであった。

それがどうして、と気になった僕はその投稿をよく見るようになり、ついには本誌を買い求めて、これが本当にいい雑誌だった。それだけではなく、なにか親しみのようなものまで抱いた僕は、さらに惹きつけられるようにして、その投稿を見続けたのだった。

そうしたある日のこと。いつものように様々な投稿の流れ来るタイムラインに、「hahanotomo_magazine」とあって、見るとそこには、写真家・川内倫子さんの姿があった。読んでみると、彼女の本が新しく刊行される、それがまた写真集でもなく、今回は写真絵本であるということだった。

写真絵本

そのようなジャンルがあることを、僕はこのとき初めて知った。そうして続く投稿に、写真絵本といえばこれこれといくつかの本が紹介されていたのを読んで、これまでずっと、かすかに心に引っかかっていたことを思い出し、それがまた、ようやく腑に落ちる思いがしたのだった。つまり微花とは、雑誌ではなく、かといって図鑑でも写真集でもない、なによりも写真絵本だったということに気がついたのだ。

けれど、そもそもの初めは、季刊誌の植物図鑑を作ろうと、既存の植物図鑑への物足りなさを手がかりにして現在のかたちになったのも事実で、それでもいつしか「図鑑です」といって手わたすことへの、どうしようもないいたたまれなさを感じていた。読んでもらえれば読んだそのとおりのものということでよいのだが、読んでもらう手前の紹介に、うってつけの言葉を失くしていた。それが写真絵本という言葉に、やっと落ちついたという気がしたのだ。

ただ、それらふたつのきっかけが、もしもそれらだけであったなら、微花と絵本とは、いつまでも結びつかなかったかもしれない。
それというのは、『つち式』『母の友』という二冊の雑誌との遭遇とその時期を同じくして、親友のもとに女の子がうまれてきたのだが、おそまきながら僕は、そのとき初めて自分を子どもではないもの、子どもにとってはおとなというものであることを、つよく意識することになった。

それからというもの、彼女にとってはおじさんという仕方で、あるいは彼女の父の友であり母の友であるという仕方で、絵本への興味がわきおこった。そのことと、これまで作ってきた四季六冊の微花が、彼女にとってはどのような本だろうかという視点から折にふれ読みなおすようになったこと。
これらのことが、休刊してからある程度の時をおいて、作者としても十分に離れて作品と対峙できるようになった頃あいに、二冊の雑誌との遭遇とあいまって、微花は絵本であったという気づきへと収斂したのだと思う。

雑誌から絵本へ

それはながらく品切れとなっていた春の創刊号を、絵本へと再編集するということを意味する。けれど、だからといって、内容を子ども向けに、たとえば文章をひらいて全てひらがなにするなどとは考えていない。このことについて、絵本作家の五味太郎さんはこういうことを言っている。

俺は絵本っていうのは、構造上の名前だと思ってるわけよ。絵があって、本になってるっていうくらいの意味でね。だから、そこんとこにくっついてくる属性というもの・・・つまり、子どもがどうのとか、そういうところは俺は考えてないの。ビジュアルな本のことについて"絵本"って呼んでるわけで、チルドレン・ブックじゃなくて、ピクチャー・ブックの話だろ。__『対談集 絵本のこと話そうか』

つまり絵本は、
子どものものとはかぎらない。
かといって、微花と子どもとはかかわりがないかといえば、そうでもない。それは創刊号のあとがきに六さいの子どもが出てくることにもあきらかで、その幼なに歩いた花のない時空と、花に目ざめてから、これまで歩いてきた花ざかりの時空とは、時こそ違えど場所は同じで、そのかさなりとずれとがなければ、微花はきっと発想されなかったろう。
いまにして思えば、六さいの子どもを象徴として編まれた微花は、その初めから、すでに絵本的であった。物事の初めにある考えのことをコンセプトという、それはそもそも「孕まれたもの(conceptus)」という意味であって、雑誌と思って始めた微花に、宿ったものは絵本だったのだ。

サンジョルディの日

2019年4月23日
微花は春の絵本を刊行する。
この日はサンジョルディの日という祝祭日にあたり、スペイン・カタルーニャ地方ではこの日、男性は女性に花を、女性は男性に本を贈るという風習がある。その日にちなんで、花の本を贈ってみてはどうかということから、2015年4月23日に、微花は創刊された。巡りめぐって四年後のこの日、微花は絵本へと生まれ変わる。

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