皇統、25代目ごとの危機

皇統は25代目ごと、そしてその次の天皇の御代に、
危機に直面しているようです。

ただし、南北朝期の正統の決定は明治に入ってからであり、明治天皇がどうして直系の先祖である北朝を正統にしなかったのか疑問がありますが、同様に明治に入ってから御即位が確認された天皇もいらっしゃいますので、このように何代目かとするのは、これ以降の単なる偶然のお話かも知れません。

ただし、偶然を必然とするのは神の行ない、と思っているので、まんざら意味のないものでもないと考えています。


・25代武烈天皇から26代継体天皇

まず最初に出てくるのが、25代武烈天皇から26代継体天皇。

武烈天皇の悪行については、記紀で語られ、11親等も離れた継体天皇の正当性が訴えられています。

この話は、司馬遷の史記にある「桀紂」の話と酷似しており、夏王朝は最後の暴君桀王のせいで滅んで、商(殷)の湯王に代わり、商は暴君紂王のせいで周の武王にとって代わられる、という王朝交代の正当性を語る話となっています。

この「桀紂」に似せているということは、この時に王朝の交代があったからだと考えます。

以前、「記紀神話の見直し」のところでも書きましたように、史記にある話に似せているものが、日本の歴史には散見されます。


ついでながら、最近盛んに言われる「三本の矢」というのも、史記の「本紀」から取ったものなのに、さも毛利氏が言ったようになっています。

徳川家康の天下平定後の行為が、漢の高祖・劉邦の行為そのままと言われるように、「天下統一」を目指していた、戦国時代の各地の武将たちは、王家の歴史である、史記の「本紀」を読んでいたものと思われます。

善政といわれる仁徳天皇の話も、史記にある中国史上最も質素で高潔であったとされる聖帝、「漢の文帝」の話を模したものではないか、と思われます。

不思議と現在の日本では、史記といえば「列伝」ばかりもてはやされ、出版されていますが、「本紀」はあまり出版もされず、簡単に市民の目に触れることが少なくなっているのは、何らかの意図が働いているとしか思えません。

前にも書きましたように、日本の歴史に対する中国の影響を考えるには、「易経」と「史記」が必須です。


・50代桓武天皇から51代平城天皇

平安遷都として教えられる桓武天皇ですが、桓武とは領土境界拡張の武力ということで、坂上田村麻呂を征夷大将軍に任命して、北方民族を討たせたことに由来しています。平安遷都はまだ万全ではありませんでした。

「武」の字は、単に武勇を表すのではなく、庶民を困らせた意味があるといいます。

次の平城天皇は、京都を嫌って奈良に戻ってしまいました。
奈良勢力と京都勢力の争いが、かなりあったものと思われます。

この次の嵯峨天皇の御代になって、京都の嵯峨に入り、平安遷都が落ち着いたものと思われます。

嵯峨天皇から漢風諡号が採用されなくなり、追号として退位後隠棲された地名を使用することなります。

漢風諡号が復活するのは、明治天皇の曽祖父の光格天皇からで、先代の後桃園天皇からは8親等離れています。同時に律令制の行事も復活されました。そう古い話ではないのです。

このように権威の正当性を主張するために、古式の復活をすることは、天武天皇以来しばしば行われてきたことです。


・75代崇徳天皇から76代近衛天皇

日本三大怨霊と呼ばれる、保元の乱の敗者であり、配流地の讃岐で亡くなっています。
崇徳天皇、諱は顕仁(あきひと)、次の近衛天皇は17歳で崩御、諱は躰仁(なりひと)。

現在の上皇陛下は明仁(あきひと)、今上陛下は徳仁(なるひと)、偶然の一字違い。

保元の乱から「武士の台頭」がはっきりしてきたといえます。

この後は、藤原氏の隆盛を崩そうとした法皇たちが、荘園の管理を武士に任せ、結局は平清盛をピークとする、貴族社会が終焉に向かう道を転げ落ちます。

「徳」の字は不遇にして亡くなった天皇に対して、
「徳があったことを後世に伝えるので祟らないでください」という意味を含むといいます。

懿徳天皇、仁徳天皇は、かなり後からの諡号なので、この説には当てはまらないと思いますが、

皇太子の離反に会い、一人、都に捨て置かれた孝徳天皇。
天武系最後・道鏡問題の称徳天皇。
暗殺説のある文徳天皇。
壇ノ浦で入水した安徳天皇。
配流地で亡くなった順徳天皇。
菅原道真や崇徳天皇と同様に、配流地から戻らないうちに亡くなってしまうと祟り神になるいうことで、罪を定めた為政者たちは極端に恐れていました。

この説が出てから、聖徳太子も厩戸皇子と称されるようになったのではないか、という気がしています。

「女帝?そんなの聞いてないよー。」


・100代後小松天皇から101代称光天皇

南北朝を統一した後小松天皇。
一休宗純は、後小松天皇のご落胤と言い伝えられています。

代始改元、即位しても改元が行われなかった称光天皇。
行状が悪かったとして武烈天皇に似た逸話が残されているが本当かどうか。
次の後花園天皇は8親等も離れています。

当時、一切の権力はもう足利義満に握られていました。


・125代上皇陛下から126代今上天皇

さて、今回の結末はどうなるのでしょうか。
役所内に、皇室を貶める勢力が多数いるのは、
今に始まったことではありません。

私が最も憤慨したのは、
上皇陛下の御代、何かの式典で手順をお間違えになったあと、
わざわざ記者会見で質問をさせ、
陛下が「間違えました。」とおっしゃった件です。

そもそも間違えるほど、陛下にご負担をかけているのは誰なのか。
記者会見の質問など事前にすべてチェックしてあるはずなのに、
わざわざこの質問をさせて、陛下に恥の上塗りをさせたのは誰か、
ということです。

「こいつらーっ」と、はらわたが煮えくり返る思いで見ていました。
こいつらは、また何かしてくるだろうと。


次女内親王殿下は、容姿だけで、人気があるとして、
進学も就職もさせずに公務に引きずり回す。
ご本人の将来を慮っているとは、到底思えません。


そして今回の騒動です。
役所内の勢力が、彼らを引き込んだとしか思えません。

内親王レベルでは、学生時代にボディガードは付かないのですか?

相手の悪行だけを取沙汰するのは、まだ皇族に未婚女性がいることを考えれば、どちらが優先すべき重大事かは自明だと思われます。

それが、ほとんど話題にされない。


やっと近々になって、話題にする人が出てきたという状態です。

長女内親王殿下が、本当に疑うことを知らない、
純真無垢な状態にお育ちになっているとすれば、
何一つ責められる点はありません。

無菌状態の人を、無菌室に入れておかなかった役所が悪いのです。


疑惑の彼らをKKと呼ぶのはまだしも、
ご主人の姓で悪者呼ばわりするのは、
ご実家が一番の被害者であることを考えれば、
心痛、いかばかりでしょうか、旧姓で呼ぶべきです。
旧姓の母親とその息子として…。
しかし、旧姓について正確な読み方も示されていません。

母親は本家の財産を狙って、家に入ってきたものです。
ご主人については、10年待って決行されたものです。
獲物が大きければ10年位彼らは平気で待ちます。
この間に、親類縁者の醜聞を調べつくし、
浮気や使い込み、仲違い、弱みを握って、
誰にも文句を言わせない状態にして、実行に移します。
ご主人のご両親は、本家への防波堤となったのです。

相続権を主張するために、子供は必須。
あわよくば、都合のいい遺言状を作成して、
サインを得るチャンスを狙っています。

息子の学歴も小学校からしか、表に出ていませんが、
幼稚園、保育園も調べていただきたい。
近隣の施設に預けることは絶対にないと思われます。

ご主人や子供のいない間、白昼堂々と好き勝手に行動するためには、
顔を知られている、
他の保護者達と、行動範囲が絶対に重なってはいけないからです。
これで心置きなく、共謀者たちと計画を練ることができます。

私は幼少期から、このような状況を見聞きしてきました。
一つ一つ、変だなあ、と思うことを記憶していただけなのですが、
成人して、あるきっかけで、すべてが一つにつながりました。

結婚が既定の事実となったのであれば、
新郎新婦には、張学良と同様の人生をお送り頂きたい。

秋篠宮ご夫妻には、歴史的な解決策として、ご出家をお勧めします。

お子様方は皇族であることを希望するのであれば、他宮家への御養子として受け入れ、でなければ、ご両親の近くに臣籍降下ということで良いでしょう。

天皇の絶頂期といわれる醍醐天皇の御代は、臣籍降下し、源氏を名乗った、父の宇多天皇が、皇統に戻ることによって実現されたものです。


そして一番は、役所の大改革。


天皇は神主の総代。
皇室は政治的遺産ではなく、日本文化の根幹の保持・継承者、
文化的遺産として、いつまでも残していかなければならないものです。

これを考えれば、もう少し、公務と称する日本国としての皇族の政治的利用は慎むべきです。


長い歴史を乗り切ってきたのですから、必ず乗り越えられます。


右寄りの人々が、口を揃えて2000年、2600,700年と言っているのにも違和感があります。邪馬台国や卑弥呼の問題は、どこへ行ってしまったのか。ワカタケル(雄略天皇)以降であれば、同意できるのですが。


最後までお読みいただき、ありがとうございました。


疑問は、皆で話し合って解決していける世の中であってほしいものです。




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