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「ひ・よみ」…第2回2.神々たち2-1ツキヨミ2-2アマテラス

2.神々たち

2-1ツキヨミ

長年疑問に思っていることがあります。
どうして「ツキヨミ」は月の神なのでしょうか。
このことに疑問を呈している人を一度も見たことがありません。
ツキを含むというだけではあまりにも単純すぎます。
「月読・月夜見」という漢字の意味を考えると、読まれている、見られているのが月であって、読んでいる、見ているのは、月ではありません。
あくまでも月は主体ではなく「客体」となります。つまり、「ツキヨミ」は月の神ではないということです。

では何のために月を読むのか、それは暦を作るためです。
なぜ暦を作るのかといえば、それは記録を残すためと、日月食の予報のためです。そしてこれらの仕事は帝王の権威のもとに行われるものでもあります。

「ツキヨミ」は神話の記録係に徹するために、表舞台からは退いてしまったのです。記録する側であって、記録される側ではないということです。

つまりアマテラスではなく、「ツキヨミ」が本当の皇統の始祖だと考えられるということです。記録を司るということが帝王の特権であるということから、「ツキヨミ」はある意味で最高神ともいえるのです。
記録に残されなければ、「アマテラス」でさえも存在が確認できなくなってしまいます。

ここまで前例のないことをいうのは心苦しいのですが、「ツキヨミ」に「次(継)代観(嘉)」という漢字を当てはめてみると、今回の「御譲位(※)」が正当なものだったことがわかります。
もともと天皇の本懐は、次代の世の治まっていることを確認して安心してお隠れになる、ということでした。残念ながら、病気などの理由で果たせられた方は半数ほどだと思います。鎌倉時代では二つの皇統の存在により、後二条天皇の御代には後深草院・亀山院・後宇多院・伏見院・後伏見院と5代の上皇が存在していたこともありますが、現代ではこのようなことは考えられないため、政府は御譲位を認めるべきだと思います。

※ 今回、皇位を管理する権限は政府にあるとして、頑なに政府は「生前退位」と言い続けていましたが、これでは陽成天皇のように廃位でも「生前退位」になってしまいます。お譲りするお気持ちがあるのであれば、政府が仲介しても「譲位」とする、と定義を変更すれば、わざわざ「生前退位」という不躾な用語を使わなくて済むと思います。今後「譲位」が通常の形態となると考えられるからです。
天皇皇后陛下が崩御され、大喪の礼となり、社会の自粛となるのを、誰一人国民は望んでいません。

・暦について

ここで暦のことが出てきたので日本の旧暦のことについてお話しておきます。

おかしな数字に振り回されないためにも重要なことです。

日本の旧暦は太陽と月を基準とした太陰太陽暦です。
太陰暦ではありません。
月だけを基準とした太陰暦として有名なものはイスラム暦で、この暦は月数だけで年を決めているので、年初の季節が変わります。

日本の昔の暦は中国の暦をそのまま使っていました。ただし伝来するのにも、新しい計算方法を理解して導入するのにも時間がかかるため、中国での改暦、これは新しい太陰太陽暦にという意味ですが、と同時にとはいきませんでした。

そして日月食の予報のずれは皇帝の威厳に関わるため、太陰太陽暦のままでは正解はあり得ないのですが、実用上はあっているように見えるため、しばしば改暦が行われ、計算もどんどん複雑になっていきました。西洋でいうと天動説の周転円のようなものです。
今の天気予報のように「十五夜ですが満月ではありません」ということになれば責任者の首が飛んだことでしょう。
日本では中国の新しい暦の計算がいよいよ面倒になり、江戸幕府は改暦をやめてしまいます。徳川将軍は偉かった。

そしてこのときの暦が、明治の太陽暦導入まで使われます。
しかし農事暦などの関係から、太陰太陽暦の存続を求める声が大きく、仕方なく政府は伊勢神宮に旧暦の発行を任せます。これが「神宮暦」と呼ばれるもので、終戦まで続きます。

戦後には、公の機関が責任を持つ旧暦はなくなります。

どういう権限になるのかわかりませんが、民間が暦を出し続けています。
責任の所在のない暦といえるでしょう。
このような暦を使った占いなどがどういうものかは、皆さんの判断に委ねたいと思います。
大安仏滅などの六曜も旧暦の日付をもとにしていて、しかも導入された当初と現在では、順序も異なっていますので、有効性がわかりません。

旧暦といわれる太陰太陽暦にも、数々の改暦により多くの種類があり、どの太陰太陽暦によるものか、外国との整合性はあるのか、と疑問ばかりです。

そしてこのままいくと「2033年 問題」というものに直面します。
現在の太陰太陽暦を作る手法では、通常の月と閏月が決められなくなるというものです。
新しい手法を導入するしかないのですが、責任はだれが負うのでしょうか。この際思い切って旧暦というものを完全に廃止するべきだと思います。

ということで、「ひふみのふで」に予言として出てくる数々の日付は、年の確定できないものがほとんどである以上、日付は意識する必要はない、ということになります。

・八通りの問題

数字が出てくると具体的に思えてしまい、そればかりに目が行ってしまう人々がいます。

例えば「八通りに読める」というのも、あと七通りとかではなく、八は末広がり、8、横倒しにすれば∞(無限)ということで、人それぞれ、時と場合において興味が異なり、目に止まる部分と止まらない部分が異なる、ということです。

「…此の神示八通りに読めるのぢゃ、七通りまでは今の人民でも何とか判るなれど八通り目は中々ぞ。…」(海の巻 第十五帖)
「…ましてこの神示は八通りに読めるのであるから、いよいよ判らん事になるぞ。」(五十黙示録 竜音の巻 第十二帖)

「…この神示も身魂により何んなにでも、とれるやうに書いておくから、取り違ひせんやうにして呉れ、…」(上つ巻 第二十七帖)

2-2アマテラス

さて、ツキヨミが月の神ではないとすると、この浮いてしまったお月様は誰が引き受けければよいのでしょうか。

「日月照覧(日月はあまねく照らす)」という言葉が中国の古典、「国語」の中にあります。
この字を見て思い当たりませんか。
あまねく照らすのは日だけではないと言っています。
日と月を対立させないという宗教以前の様子が窺えます。

天日津久神は天照大神の幼名・荒魂ではないかと考えられる、ということです。

詳細については麻賀多神社のところでお伝えしたいと思います。
大人になった天照大神についても、まとめてご説明したいと思います。

#ひふみのふで #ツキヨミ #アマテラス

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