なんでそうなるの? … 師走の語源

今年も12月になりました。

毎年毎年もう40年以上、12月の別名、師走について、
「学校の先生でも年末で忙しく走り回るから … 師走」
落語のような、笑うに笑えない説明が繰り返されていました。

それがここ10年前ほど前から、今度は
「師とは僧侶で、お経をあげるために僧侶でさえも忙しくて走り回る」
という説が出てきました。

それ以前には聞いたことがない。


さすがに、学校の先生という嘘は飽きられた、ということでしょうか?

そもそも「しはす」の語は日本書紀にもあるとか、
その時代に、今の寺や檀家がありますか?

寺を持っているのは、皇族か藤原氏ぐらいのものです。

僧侶も奈良時代には国家資格で、一年に二人しか僧侶に成れなかった。

寺院は宗教施設というよりも、学問所でした。

人々が仏教徒になったのは、徳川の世に戸籍の働きをする人別帳を、
寺が管理するようになってから。


ネットで見てみると今度は
「御師」という神社関係者、というのが出てきました。
初耳です。何を言っているのでしょうか?
どこまで戯言を続ける気なのか。


「銀ブラ」が「銀座でブラジルを飲む」というデマと変わらないレベル。



語源というものは、大昔の社会のことを考えてからにしてください。

奈良時代以前から言葉なのです。

「師」というのは「先生」で間違いありません。

ただし、学校のない大昔の先生はどこで教えていたのか?

「師」は、今でいう「家庭教師」。

豪族など大金持ちの家にずっと住み込んでいて、
その一族の子弟たちに教育を施していたのです。

「走」の意味は「走る」ではありません。

漢和辞典をちょっと見てください。
「走」の意味に「去る(帰る)」があります。

これで「先生が帰る」という意味だとわかります。


先生も、正月一か月の休暇は郷里で過ごしたい。

こちらにいたとしても、豪族たちも年末年始の行事が目白押し。

かえって邪魔になってしまいます。

郷里までは、かなり遠い。

年末のうちに、正月を郷里で過ごすために「先生」は出発したのでした。


これで「師走」は、

「(住み込みの)先生が(正月を郷里で過ごすために)帰省する」

という意味だということがわかります。

漢詩にも「郷里に帰る○○君を送る」というものがあったと思いますが、
唐詩選にある惜別の詩はみな、役人・軍人が任地へ赴くときの詩ばかりなので、史記か何か、他で読んだのだと思います。



元凶を探してみると、「○○○アナウンサ室」とかが出している、
「間違いやすい日本語」云々という書籍が存在しているのがわかりました。

「間違やすい」、???。「間違やすい」の間違い、じゃないの?

それとも、糸井重里の「いいまつがい」のノリの本かと思ったら、
さにあらず、いたって真面目なつもりらしいのです。

「すごおいしい」が
「すごおいしい」に変わってしまったのと同様に正当化している?

しかし、内容については、「間違いだらけ」。

責任あるものであれば、
「○○○放送文化研究所」が上梓すべきものでしょう。

マスコミの権威を利用した、日本語破壊の本かと思いました。

出版時期をみると、
この本が「風説の流布」に一役買っているのは明白です。

困ったもんだ。



#師走 #師走の語源 #師走の由来


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