広告について
1日の間にどれだけの広告を見ているのだろうか
それこそ何百社分の広告を「見させられている」
新聞やチラシの紙媒体、テレビCM、電車のつり革広告、スマホゲームの広告、SNS上のCM
見る人が欲する、欲していないに関わらず今日も誰かのマネタイズのために世の中に生まれ続けている
これだけあふれている広告は誰のためにあるのだろうか (広告主のためか?)
限られた人達に向けた広告を、見たくもない人達が見なければならない
「嫌なら見なければ良い」と言っても目に入るようにちゃんと設計されてしまっている
情報が勝手に飛び込んでくる事に慣れてしまい、不感になっている
そんな現状だと思います
ひと昔前は
消費者はM1、F2と大まかに分けられそれぞれのメインストリームに対して広告を打てばそれでよかった
マスメディアによって広く浅く周知すれば、予算に正比例して集客、売り上げが上がっていた
大量消費社会である
しかしインターネットが普及し、少数派の価値観も埋もれる事なくコミュニティ形成が容易になった
メインストリームから外れていた人達にも居場所を与え、発言権を与えたのだ
この事は「多様性を容認すべき」という流れの、一つの結果かもしれない
消費者が「自分が好きな事は好きなままでいいんだ」と気付き、今までの遅れを取り戻すかの如く常に発信し続ける
消費者≒表現者の図式がより色濃くなり、純粋な「お客様」なんてのはほとんどいない
そうなると広告も変わらざるを得ない
メインストリームという現象は消失し、釣り放題だった川の魚は大海に散らばってしまった
散らばった魚の動きを捉えるためにデータドリブンや統計学、コンピュータアルゴリズムを駆使して過去から未来を予測する
そうしてパーソナライズした先に見えてきたのは
「あなた」である
「あなた」が何を考え、何が好きなのかが気になってしょうがない
世の企業の関心事はまさしくこれである
知らない赤の他人に見透かされているようでゾッとするかもしれないが、別の見方をすると
消費行動≒投票行為なのである
「あなた」の一挙一動が世の中を少しずつ変える
ネガティヴにもポジティブにもだ
であればアルゴリズムの解析など怖がらずに胸を張って、正々堂々と消費すれば良い
もっと言うならば、ひとりひとりが主体性を持って購買行動やツイートするなりして表現すれば良い (破滅願望者以外は)
そう考えると、未来を左右するのは今を生きている「あなた」なのだ
nagamatsu 2017/3/17
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