1991年から92年にかけて東京の郊外で起こったこと、そしてその後の沼について(4)

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国分寺駅南口の雑居ビルの地下にあったレンタルビデオ屋にリソグラフがあって、紙持ち込みで黒1色の印刷が(セルフで)安くできたので、レーベルの新聞はいつもそこに刷りに行っていた。地元の沿線の古着屋とか中古レコードが置いてある古本屋とかにその新聞を置かせてもらったり、八王子で見つけた演奏ができるカフェのような店で謎イベントをやったり、家から近いエリアでなんだかんだやっていたらおもしろがって連絡をくれる人があらわれるかもしれないと思ってしばらく続けてみたのだけれど、そんなことにはならなかった。東京は電車の網がはりめぐらされているから、郊外に住んでいる人も新宿とか渋谷とか都内(多摩地区の人間は23区内をこう呼ぶ)まで簡単に出られる。そっちの方がレコード屋も洋服屋もライブハウスもいろいろ揃っているから、近場でどうこうという発想があまりないみたいだった。

本当に周囲に誰もいなくて、なーんにもなくて、それが自分にとって困った状況だったら、それこそ なまはげ くらいの勢い(すいません、なまはげのことよく知らないのであくまでもイメージです)で「誰かいねがー!!!!!」ってなっていたはずだけれど、私の方にもそこまでの切実さはなかった。ひとりで遊ぶことに慣れていたし、少し遠いけど吉祥寺のワルシャワ(レコード屋)やハッスルスーパーホール(クラブ)まで出かけて行けばなんとかなってしまうから、近所の地道な環境整備はだんだん後回しになっていった。ラクで即効性のある方を選んでしまったということだろう。

少し話を脇道に逸らすと、ワルシャワの店員さんは本当にみんな優しかった。仕事だから当たり前と言えばそれまでだけれど、西野さんも小林さんも私が何もわかってないことをバカにせずにいろんなことを教えてくれたし、私のひとりよがりな話も聞いてくれた。新聞も面倒くさがらずに受け取ってくれた。ザ・大人の対応。店でお会いすることはあまりなかったけれど、ヒップゲローの玉川さんも店員さんで、曼荼羅(1か2かは忘れました)にライブを観に行ったりもした。2014年になって玉川さんと円盤で初めて共演したときにそのことを話したら、私がワルシャワに通っていたことを覚えていてくださったうえに「あの新聞、まだ家にあるんじゃないかな~」とまで言われ、びっくりすると同時に、その頃の記憶をほとんど封印している自分に気が付いたのだった。

逸れた話を元の道に戻す。「自分を含め、近所で何かやってる人たちの録音物をシリーズもののカセットテープにパッケージして、月イチでリリースしていく」というイメージで1992年の12月にスタートした15mins.も、結局は都内で活動しているバンドからしか連絡が来なくて、これじゃ何か違うよな…と思い始めていたところに、シトラスというこれまた都内で活動している男女2人組から手紙が来た。同封されていたデモテープがすごくかっこよかったのでカタログの8番としてリリースさせてもらうことになったのだけれど、この8番がまたひとつの分岐点となった。

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