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心の病気について②

みなさん、こんばんは🌛
今日はこの間の続きで、私の心の病気について綴らせてください。

HSP性質の他に、複雑性PTSDを持っています。
複雑性PTSDとは、持続的な虐待やドメスティック・バイオレンスなどのトラウマ体験をきっかけとして発症し、PTSDの主要症状(フラッシュバックや悪夢、過剰な警戒心など)に加えて、感情の調整や対人関係に困難があるなどの症状を伴います。こうした症状により、日常生活や社会生活上に大きな支障をきたす精神疾患と言われています。

私は幼少期の記憶がほとんどありません。唯一残っている記憶は、悲しいものばかりです。私の父は酒乱でした。毎日のようにお皿が割れる音、父の怒鳴り声、母が叩かれる光景を目の当たりにして育ちました。私は、父に逆らえず母を助けることなどできず、ただドア越しに早く時が過ぎるのを祈るばかりでした。
そんな日々に耐えられなくなった母は、姉と兄だけを連れ実家(青森県)に逃げるように帰り、私は置いて行かれた。私だけが父の本当の子どもだったから、父は私だけは離さなかったと後から聞きました。その為、母が帰ってくる間の1年間は父子家庭で育ちました。当時、私は5歳でした。父は仕事で家を空けることが多かったので、大半は祖父が私を育ててくれました。5歳の私が当時何度も繰り返し見ていた夢。母と姉と兄が新幹線に乗っているのを、私は泣きながら走って追いかけた。語れば語るほど苦しくなる思い出ばかりでした____

私の幼少期がトラウマへと変わり、25歳になった今になり、複雑性PTSDという精神疾患に姿を変えました。

私は、社会人になり自分の経験を兼ねて、児童養護施設に就職しました。何らかの都合で親と過ごせない子どもたちの生活支援を20歳から現在までの5年間やってきました。子どもたちはとても可愛いくて、やり甲斐もあったけど、それ以上に大変なことが多かった気がします。私は、そこで燃え尽き症候群に陥り休職を余儀なくされました。

休職を経て、精神科通院をし複雑性PTSDと診断を受け、療養中です。通院しなければ、分からなかった自分の病気。何故、自分よりも後輩の子たちは乗り越えられる壁を自分は乗り越えられないのか。疑問に思ってた問題が解けた事が何よりも嬉しかった。

現在は、薬に頼りながらも日常生活を取り戻し社会復帰を目指しています。私の病気と向き合い、同じような境遇の人たちに伝え続けていきたい。そんな思いでnoteを始めました☺︎

療養記録として、私が取り組んでいる習慣や旅の記録。彼との暮らしのことなど発信していけたらと思うので、是非見てくれると嬉しいです🌷🫧

読んで頂きありがとうございました🍀💕

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