労働判例を読む#328

今日の労働判例
【みずほ証券元従業員事件】(東京地判R3.2.10労判1246.82)

※ 週刊東洋経済「依頼したい弁護士25人」(労働法)
※ 司法試験考査委員(労働法)
※ YouTubeで3分解説!
https://www.youtube.com/playlist?list=PLsAuRitDGNWOhcCh7b7yyWMDxV1_H0iiK

 この事案は、会社Xの負担で留学し、留学後まもなく転職したために留学費用の返還を求められたYについて、裁判所が費用の返還を命じた事案です。

1.自由な意思
 留学後の転職による留学費の返還請求の問題には多くの問題が含まれていますが、ここで特に注目されるのは、2つの問題です。
 1つ目は、「自由な意思」の問題です。
 この判決では、従業員にとって不利な内容の合意、すなわち留学費用に関する返還の合意(消費貸借契約の合意)が成立したかどうか、に関して「自由な意思」の有無が問題とされました。これは、山梨県民信組事件の最高裁判決(最二小判H28.2.19労判1136.6)が示した判断枠組みで、従業員の意思表示が有効であるためには、「労働者の自由な意思に基づいてされたものと認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在する」ことが必要とされます。これがどのような場合に適用されるのかについて、その適用範囲ははっきりしませんが、留学費用返還の合意について適用されることを認めたのです。
 次の問題は、どのような場合にこの「自由な意思」が満たされるのか、という点です。山梨県民信組事件では、退職金のルール変更により、具体的にどのような不利益が生じるのかが説明されていなかった事案で、「自由な意思」が否定されました。
 本事案では、消費貸借契約を締結すると、具体的にどのような不利益を被るのかについて十分説明されていたかどうかが問題とされ、オリエンテーションなど様々な機会に、帰国後5年以内に退職した場合の不利益が繰り返し説明されていたことから、「自由な意思」が認定されました。山梨県民信組事件の場合には、退職金規定だけでは具体的な退職金額が分かりにくいのですが、留学費用の返還の場合にはこれが比較的分かり易い、という違いがあり、結論に影響しているようにも思われます。

2.労基法16条
 2つ目は、労基法16条の違約金・損害賠償額の予定を無効とするルールが適用されるかどうか、という問題です。何が「違約金」「損害賠償額の予定」に該当するのか、分かりにくいところですが、本判決は「労働者の自由意思を不当に拘束し労働関係の継続を強要するものか否か」という判断基準を示しました。
 具体的には、5年間と期間が区切られていたことだけでなく、入学する大学や選択する科目などが自由で、Xでの業務に直接関連せず、勤務以外にも通用する経験・資格等を得ていることから、留学費用は本来的にXが負担すべき費用ではない、と評価しました。そして、このような費用の性格から、上記判断基準に該当しない、と結論付けられたのです。
 結果的に3,000万円という高額な費用の返還が認定されたので、これをXが本当に請求するであろうことを知っていたら、Yは転職を躊躇った可能性が高いでしょう(払う覚悟があれば、訴訟にならなかったでしょう)。この意味で、「労働関係の継続を強要する」性格があるはずですから、それでも本件の留学費用返還の合意が有効とされたのは、「自由意思を不当に拘束」するかどうかの問題です。
 この点、「ダイレックス事件」(長崎地判R3.2.26労判1241.16)は、入社後まもなく転職した元従業員に対する、給与の2倍程度の研修費の返還請求を無効としました。金額だけを見れば本事案よりも遥かに小さく、「労働関係の継続を強要する」効果も小さいように思われるのですが、ダイレックス事件では、受講した研修が会社業務にしか関係せず、転職に役立つような内容ではないことや、受講が必須で本来会社が費用を負担すべき内容であること、などが大きな違いです。
 このことから、返還を求める研修費用や留学費用について、業務との関係性が強くて本来会社が負担すべき場合には、従業員に負担させることは不当である、したがって「違約金」「損害賠償額の予定」に該当する、というところが判断のポイントになると思われます。

3.実務上のポイント
 一方で、会社には気前よく留学に行かせる余裕も無くなってきており、留学に行かせる見返りとして長く会社に働いて、会社に貢献して欲しいと考えるようになってきた一方で、従業員の会社に対する忠誠心が薄れていき、転職によってキャリアアップを図ることに抵抗が無くなってきました。
 その中で、会社の期待した貢献をしてくれない場合に、本事案のように会社がなりふり構わず訴訟を提起するような事案が増えていくのかもしれません。返還請求が無効とされないようなルールを定めておくことがより重要となっています。

※ JILA・社労士の研究会(東京、大阪)で、毎月1回、労働判例を読み込んでいます。

※ この連載が、書籍になりました!しかも、『労働判例』の出版元から!


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