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松下幸之助と『経営の技法』#227

9/29 企業の社会的責任

~企業には、いつの時代にも、厳として変わらない社会的責任がある。~

 いつの時代にも変わらない企業の社会的責任というものが、厳としてあると思うのです。そういう点をしっかりと認識した上で、時代の変化に対応していくということが、やはり企業経営において極めて大切ではないかと思います。
 そこで私の考える企業の社会的責任ですが、大別すると、次の3つになると思います。
 第1は、企業の本来の事業を通じて、社会生活の向上、人々の幸せに貢献していくことです。これは企業の基本的使命であると考えます。
 第2は、その事業活動から適正な利益を生み出し、それをいろいろなかたちで国家社会に還元していくことです。
 第3は、そうした企業の活動の過程が、公害というような問題を含めて、社会と調和したものでなくてはならないということです。
(出展:『運命を生かす』~[改訂新版]松下幸之助 成功の金言365~/松下幸之助[著]/PHP研究所[編刊]/2018年9月)

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1.ガバナンス(上の逆三角形)の問題
 いつもと順番が逆ですが、まず、ガバナンス上の問題を検討しましょう。
 ここでは、企業の社会的責任が論じられています。これは、投資家である株主と経営者の関係にも関わりますが、経営者や会社が、株主以外に誰に対してどのような社会的な責任を負うのか、という問題です。
 例えば欧州の一部の国では、経営者の代理人となるべき取締役だけでなく、従業員の代表も役員にしなければならない、という制度設計上の仕組みになっているなど、株主以外の者も法的な意味でのステークホルダーとされています。
 けれども、我が国の会社制度は株主だけがステークホルダーとなっています。
 しかし、だからと言って「社会的」責任を、株主以外に対して負わない、というわけではありません。企業の社会的責任、という言葉のほか、コンプライアンス、CSR、ノブリスオブリージュ、プロボノ活動、メセナ活動、環境経営、など、重点を置く社会問題の領域や対応方法の違いなどに応じて、企業の社会的な責任や社会的な活動が様々な言葉で表現されています。
 これは、バブル崩壊後、特にメセナ活動等に対する企業の参加が大きく減っていましたが、近時は、企業の存在そのものに関わるより根本的で重要な問題として議論されるようになってきました。例えば、近時多く目にする様々な品質偽装事件(食品、素材、製品等)に対するマスコミや社会の批判が以前よりも苛烈になっていて、中には経営危機に直面する事例も見かけられます。
 つまり、企業が社会に受け入れられないということは、事業継続できないということである、というリスクが現実問題となってきました。「コンプライアンス」(この用語がかなり誤って用いられていることについて、『経営の技法』(弊共著)の「誤訳の罪」を参照してください)は守っている、という開き直りが、会社の管理体制の脆弱性を公に晒してしまうなど、最低限のことさえ守れば後は何をしても勝手、と言えない状況なのです。
 この中で、かなり古くから企業の社会的責任を唱えていた松下幸之助氏の先見の明は驚異的です。これが早い段階から徹底されていなければ、ここまで成功しなかったと思われます。
 そこで、この企業の社会的責任についての、松下幸之助氏によるここでの整理を検討しましょう。
 1つ目は、企業活動そのものの正当性です。
 これは、社会に役立つからこそ商品やサービスが売れる、というロジックです。お金は企業を選ぶ投票用紙、と言われるのも、この一面を表しています。
 2つ目と3つ目が、狭い意味で用いられる企業の社会的貢献活動であり、このうち2つ目が積極的な活動(こちらから起こすべきアクション)です。税金を納めることだけでなく、利益を社会に還元するための諸活動も、ここに含まれるでしょう。
 3つ目が、消極的な活動であり、社会に迷惑をかけない、社会のインフラ(地球環境も含む)を自分たちだけで独占しない、という意味でしょう。
 このようにして見れば、3つに整理する松下幸之助氏の考え方は、企業の社会的責任という言葉が曖昧になってしまいがちなところを、範囲を明確にし、引き締まった議論を可能にする場を提供することになり、非常に有意義な整理と思われます。
 例えば、現在の企業の社会的責任に関する議論は、2つ目の意味に集中している感がありますが、実はそれが全てではないことや、他の意味での社会的責任も視野に入れた議論が必要であるということを、共通の認識にすることが可能になり、議論が矮小化することを防ぐことができます。
 ここでの3つの整理は、今後、活用されることが期待されます。

2.内部統制(下の正三角形)の問題
 次に、社長が率いる会社の内部の問題を考えましょう。
 以上の3つの社会的責任は、経営者個人の問題ではなく、会社全体が果たすものです。会社は、経営者のミッションを果たすためのツールだからです。
 そのために、経営者はこのような会社の社会的責任を、従業員に徹底させなければなりません。
 もちろん、責任や負担など、辛いことばかりではなかなか受け入れられませんので、特に1つ目の意味で会社が社会にどのように貢献すべきなのか、という会社のプライドや存在意義、インテグリティなどに関する話も重要です。従業員の自信につながり、会社の求心力を高めることにもなるからです。
 これを、従業員に徹底させる手法として、まず最初に思い浮かぶのは、企業理念やポリシー、経営方針などの、企業活動のベクトルを示す基本ルールを制定し、従業員に徹底する方法です。これは、昨日(9/28の#226)検討したところですので、そちらをご覧ください。
 さらに、実際にこのような意識を持った活動をさせるための「信賞必罰」「飴と鞭」となるような、主に人事上書諸施策も考えられます。人事考課の要素の一部に、上記3つのそれぞれをポイント化して追加することで、従業員の意識付けとなります。
 また、例えばプロジェクトを社内で承認する際に、そのプロジェクトの費用対効果など、お金に関することだけを検討するのではなく、上記3つのポイントそれぞれについての貢献内容や貢献度についても、事前に検討して資料として提出し、合理性が認められなければ、承認されないようにする、等のプロセスに関するルールを作ることも考えられます。
 さらに、上記3つの関係する活動については、特別に予算を準備しておき、プロジェクト予算に上乗せしたり、それ自体が社会的貢献を目的とする活動を後押ししたりすることも考えられます。
 このように、内部統制上の様々なツールを動員して、上記3つの社会的責任を普段の事業活動の中に織り込んでいくことが、経営者には必要なのです。

3.おわりに
 特に2つ目の意味の企業の社会的責任について、世のコンサルティング会社などが盛んに様々な概念を作り出して、企業に売り込んでいます。認証試験を伴うものや、会計上の管理公開を伴うものまで、社会的に相当程度認知され、一定の規範的な拘束力が伴ってきたようなものもあれば、生成途上のものもあります。
 このように、多くの「企業の社会的責任」論が乱立することは、企業の社会に対する意識を高めることにつながるのであれば、それはそれで問題ありません。むしろ、様々な切り口から新たな問題提起がされていくことで、議論が深まり、充実していけば、それだけ企業と社会との関わりが合理的になり、深くなっていき、ギャップも無くなっていくと期待できるからです。
 けれども、2つ目の社会的責任論だけ掘り下げられ、議論が細分化されていくと、視野の狭い議論しかされなくなってしまい、結局、会社経営に役立たない議論になっていく危険を伴います。かといって、会社経営全般を常に関連付けていると、議論が拡散してしまい、生産性のある議論ができません。
 その観点で、松下幸之助氏の示した3つの分野は、ともすると2つ目の分野だけをさらに細分化するだけの方向に進みがちな議論を、会社と社会の関係全体にまで引き戻し、視野の広い議論を可能にし、かつ、他の分野についてムダに細かくないという意味で、非常に合理性があると思われます。
 どう思いますか?

※ 『経営の技法』の観点から、一日一言、日めくりカレンダーのように松下幸之助氏の言葉を読み解きながら、『法と経営学』を学びます。
 冒頭の松下幸之助氏の言葉の引用は、①『運命を生かす』から忠実に引用して出展を明示すること、②引用以外の部分が質量共にこの記事の主要な要素であること、③芦原一郎が一切の文責を負うこと、を条件に了解いただきました。

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