労働判例を読む#182

「住友ゴム工業(旧オーツタイヤ・石綿ばく露)事件」神戸地裁H30.2.14判決(労判1219.34)
(2020.8.28初掲載)

 この事案は、昭和20年代以降にタイヤ工場で勤務していて、その後肺がんなどで死亡した従業員の遺族Xらが、会社Yに損害賠償を求めた事案です。
 裁判所は、一部のXの請求は否定しましたが、その他のXの請求は肯定しました。

1.因果関係
 注目される1つ目のポイントは、因果関係です。
 裁判所は、一点の疑義も許さない自然科学的証明ではなく、通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の核心を持ち得るかどうかで判定する、という判断枠組みを示しました。そのうえで、平成24年の肺がんの労災認定基準が、医学的な知見をまとめたものとして、判断枠組みに採用しました。
 このように、自然科学的証明ではなく、通常人を基準にすること、具体的には、医学的な知見などがまとめられた報告書などの内容を判断枠組みにすること、は、多くの労災事件(民事)でも採用されています。メンタルの場合には、メンタルの認定基準、過労死の場合には、過労死の認定基準が、いずれも労働基準監督官の判断の参考となる資料ですが、裁判上も判断枠組みとして採用されるのです。
 そのうえで、実際に行っていた業務内容から、石綿を被爆した可能性や程度を個別に認定し、1人ひとりについて因果関係の有無を判断しました。

2.予見可能性
 2つ目のポイントは、予見可能性です。
 予見可能性は、回避可能性と共に「過失」の要素で、事故の発生を「予測できた」かどうか、という問題です。
 予見可能性についても、どの程度まで予見するのか、という判断基準が問題になりますが、裁判所は、生命・健康に対する障害の性質、程度や発生頻度まで具体的に認識しなくても、安全性に疑念を抱かせる程度の抽象的な危惧で足りるとし、じん肺法が制定された昭和35年には、予見可能であった、と判断しています。
 予見の対象がある程度抽象的なのは、例えば交通事故の場合でも、学校の近くを運転している際には子供の飛び出しも予見できた、と評価されるように、実際にどの交差点からどのような子供がどのように飛び出してくるのか、ということまでは予見できなくても良い、ということになります。
 そして、普通の人であればだれでも、学校の近所は危ない、と思うのと同じように、じん肺法ができるくらいだからじん肺は危ないと気づくだろう、そういう評価なのです。

3.消滅時効
 さらに、本件では、消滅時効が問題になります。つまり、従業員が死亡した時点(債権発生時:債務不履行の場合)や、労災申請の時点(損害と加害者を知った時:不法行為の場合)から消滅時効期間がカウントされますが、訴訟を提起した時点では、いずれにしても、消滅時効の時効期間が経過していたのです。
 けれども裁判所は、消滅時効で利益を受けるもの(ここではY)が、権利者(ここではXら)の権利行使を妨害したような場合には、時効を援用することが権利濫用になるとして判断枠組みを示し、実際に組合交渉を拒否するなどの妨害があったとして、時効の成立を否定しました。Xらも賠償請求の努力を続けており、「権利のうえに眠る者」ではない、という点も理由として挙げられています。

4.実務上のポイント
 じん肺法ができたにもかかわらず、従業員の勤務環境の改善が不十分だったつけが、60年後に回ってきました。本判決は、少し従業員側に優しいように感じる人がいるかもしれませんし、実際、この控訴審の判決もすでに出されています(近々、労働判例に掲載されますので、ここでも検討します)。
 けれども、法律構成や判断枠組みは、いずれも無理があるものではなく、常識的に受け入れられるものですから、骨太な判断枠組みです。他方、事実認定も証拠に基づいて詳細に行われており、被害者だからと一括りにするのではなく、1人ひとり丁寧に認定し、ときには厳しく評価していますから、事実認定はとても繊細です。
 このように、とてもしっかりとした判決ですので、控訴審で会社側がこれを覆すのは非常に難しいように思われます。
 従業員の健康や安全に関わる問題については、神経質すぎるくらい慎重に、しかも素早く対応するように心がけましょう。

※ JILA・社労士の研究会(東京、大阪)で、毎月1回、労働判例を読み込んでいます。

※ この連載が、書籍になりました!しかも、『労働判例』の出版元から!


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