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労働判例を読む#499

今日の労働判例
【国・所沢労基署長(埼九運輸)事件】(東京地判R4.1.18労判1285.81)

 この事案は、運送会社のKの運転手Xが長時間労働によって不安定狭心症を発症し、これが労災に該当すると労基署Yに認定されたものの、その金額・計算方法に不満があるとして、労災の決定の取消しを求めた事案です。
 特に問題になったのは、「運行時間外手当」と称する手当です。
 裁判所は、①この手当によって時間外手当、深夜勤務手当、休日勤務手当等(「残業代等」)がカバーされていないこと、②むしろこの手当には基本給相当部分も含まれること、を認定し、Yの決定を取り消しました。

1.「固定残業代」の判断枠組み
 ここでの論点は、Kの残業代に関するルールと運用が有効だったのか、という点です。
 単純化すると、もしこれが有効であれば、①残業代等がカバーされ、その分の支払義務が発生せず、②さらに、基本給相当部分もKの定めたとおりとなりますから、これを基礎に計算される残業代等が想定以上に大きく膨らみませんから、労災の金額も正しくなり、Xの請求が否定されるはずです。
 しかし、裁判所は、固定残業代に関する近時の裁判所の判断枠組みに従って、Kのルールが有効ではない、と判断しました。すなわち、❶固定残業代として支払われる部分は、労基法の定める残業代等の計算方法に必ずしも従う必要がなく、それを上回っていればよいこと、❷有効であるためには、残業代部分が何時間の残業に相当するのかを判別できる「判別可能性」が必要であること、❸この判別可能性が認められるためには、残業の対価としての性格があること(「対価性」)、を踏襲しています。この点で、最近示された「熊本総合運輸事件」(最二小判R5.3.10労判1284.5、#493)と同様の判断枠組みが示されています。
 この3つの要素からなる判断枠組みは、それ自体を見れば、訴訟上のルールとして定着してきたように思われます。
 けれども、そこで検討されている内容を見た場合、もう少し議論が整理されるべき点があるように思われますが、その点を以下で検討しましょう。

2.就業規則の規定
 この判断枠組みの下で、実際にどのように有効性を判断したのかを検討しましょう。
 裁判所はまず、Kのルールの規定で用いられた表現・文言から、残業代等が、当該手当てによってカバーされていない、と認定しました。
 これは、Kの就業規則のうちの以下の規定の解釈です。
第36条(割増手当の支払い)
 前条までに定める割増手当については、原則として、(中略)運転職に対しては、職務時間外手当、運行時間外手当、特別手当として支給する。ただし、所定の計算方法によって算出された金額満たない場合は、その差額を支給する。
 ここで裁判所は、「『原則として』という留保が付されていることからすれば、これをもって運行時間外手当が、法定内時間外勤務、法定外時間外勤務、深夜勤務及び休日勤務に対する対価であると認めることはできない。」と判断しました。
 しかし、このような解釈に一般的に合理性が認められるとは思われません。
 というのも、「原則として」とは、ただし書きの示す例外ルールに対比されるべき原則ルールを示す言葉であり、当該手当てでカバーされない部分は追加して支払われる、という例外ルールに対比されるべき原則ルールですから、当該手当てでカバーされる部分は追加して支払われない、ということを示す言葉です。つまり、「原則として」という単語は、カバーする手当の種類に関わる単語ではなく、カバーする金額に関わる単語であり、カバーする手当の種類に関しては、裁判所の判断とは逆に、「法定内時間外勤務、法定外時間外勤務、深夜勤務及び休日勤務」という言葉によって明確に示されている、と評価するのが、この規定の構造に、文法的に合致するはずです。
 実務的にも、固定残業代のルールを規定する際、カバーされない金額は追加で支払われることを明示すべきであるとされていますから、その旨をただし書きで示すために、この規定のように定める場合が多いでしょう。けれども、ここで、「原則」「ただし」という言葉を使って、原則ルールと例外ルールを定めると、その規程の本来の趣旨・意図に反して、ルール自体が無効と評価される危険があることを、この判決が示してしまいました。
 今後、固定残業代のルールを規定にする場合、どのような表現にすべきか、非常に難しい問題が提起されたのですが、この事案に対する判断として見る限り、裁判所は、当該規定が残業代等をカバーしない、という解釈を示したことになります。

3.違法性の根拠
 次に、この規定の有効性に関して裁判所は、a)基本給部分を実際の勤務時間(月平均所定労働時間)で割ると、一時間当たりの基本給が最低賃金を下回ること、b)当該手当部分を、a)×1.25で割ると、すなわち何時間分の残業をカバーしているのかを計算すると、131.38時間となり、過労死認定の参考基準となる月間100時間を超えること、c)Xの入社後、基本給部分と当該手当部分が修正された、すなわち基本給部分が14万1800円から5900円増額され、当該手当部分が14万9900円から5900円減額されたが、このことから当該手当部分に基本給に相当する部分が含まれると評価されること、を理由に、有効性を否定しました。
 ここで、最低賃金を下回る点(a)や、過剰労働につながりかねない点(b)を見ると、ルール自体の内容の合理性が問題にされており、上記❷❸のいずれにも、直接は関係しないように思われます。
 さらに、基本給部分と当該手当部分の割付方法に若干の修正のあったこと(c)が、なぜ「対価性」を否定する根拠になるのかについて、裁判所は、当該手当ての一部を基本給に振り替えること自体が、当該手当てに基本給に相当するものが含まれることを表している、したがって❸「対価性」がない、と評価しているようです。
 けれども、当該手当部分に基本給に相当するものが含まれていると評価する積極的な理由は何も示されていません。割付方法を変更し、当該手当部分の一部を基本給部分に移すことは、基本給に相当する部分が含まれている場合に容易にできるとしても、基本給に相当する部分が含まれていない場合には不可能である、というものでもないはずです。そもそも、❸「対価性」という概念は、いったい何を意味するのでしょうか。❶計算方法はどうでもよくて、金額が残業代等をカバーしていればよく、❷何時間の残業をカバーしているのか明らかであればよい、とされているのに、❸「対価性」が必要という場合、❸「対価性」とは一体何がそれ自体の内容として残されるのでしょうか。より具体的には、基本給部分と残業代等に相当する部分が混ざってはいけない、という場合、基本給部分と残業代等に相当する部分は、いったい何を意味するのか、その内容が説明すらされず、曖昧なまま議論されています。しかし、この概念が曖昧で、何を目的にしているのか、意味や趣旨がはっきりしない状況では、❸「対価性」がない、と言ったところで、何も説明していないことと同じです。この❸「対価性」という言葉だけが根拠であるのに、その言葉の意味や理由が何も説明されていないからです。
 結局、a)とb)が、K(≒Y)の主張を否定する大きな根拠であり、労働法に違反する事態を招きかねない、という点が、Kのルールを無効とする実質的な根拠と言えるでしょう。

4.実務上のポイント
 理論的に見ると、この判決は、❸「対価性」という基準が、固定残業代のルールの有効性の判断基準として適切なのかどうか、という問題を提起しているように思われます。
 さらに、改めて上記2の議論をふり返ると、b)のところで、当該手当が残業時間の何時間分にあたるかを検討しているように、当該手当に残業代等が含まれることを前提に検討していますし、そもそも、「原則として」という言葉の無理な解釈を前提に、当該規定が残業代等を含まない、という解釈をひねり出しているのに、a)~c)の議論にこの解釈は何も影響していません。上記2の議論は、そもそも必要のない議論だったのではないか、とも思われるのです。
 さて、このような理論的な問題の他に、実務的な観点からも指摘すべきポイントがあります。
 それは、仮に❸「対価性」という基準が今後も通用するとしても、本事案のa)b)は、「不当性」とも言うべき内容であり、基本給と残業代等が混在しているかどうか、という問題とは明らかに異質な内容です。さらに、この❸「対価性」自体が、❷「判別可能性」と明らかに異なる内容です。基本給と残業代等が混在しているかどうか、という手当の内容や趣旨を掘り下げていくにつれ、手当の金額や時間が判別しにくくなっていくからです。
 そうすると、❶~❸の問題は、以下のように整理すべきではないかと思われます。
 すなわち、残業代の計算方法は、労基法の計算方法と異なっていても構わないが、以下の条件を満たさなければならない。
i) その金額が、労基法で計算される金額を上回らなければならない(❶は、そのまま維持)。
ii) 判別可能でなければならない(❷は、その意味を広げすぎず、本来の意味のまま維持)。
iii) 対価性がなければならない(❸は、❷の一部ではなく、独立した条件と位置付けて、維持)。
iv) 不当性があってはならない(❸から独立させて、明確にする)。
 このように整理すると、本事案は、固定残業代のルールが有効となるためには、iv)「不当性」があってはならない、という判断を示した例として位置付けることができるでしょう(ちなみに、上記で引用した「熊本総合運輸事件」も、本事案と同じように「不当性」に関する裁判例である、と評価できますが、ここではその指摘にとどめます)。

※ JILA・社労士の研究会(東京、大阪)で、毎月1回、労働判例を読み込んでいます。

※ この連載が、書籍になりました!しかも、『労働判例』の出版元から!



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