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松下幸之助と『経営の技法』#221

9/23 事業欲

~事業欲は、行きすぎると世間に迷惑をかける。良識を働かせ、調整する必要がある。~

 人には、さまざまな欲がある。そして、その欲が過ぎると、そこに何らかの好ましからざる事態が生じてくる。例えば、食欲が行きすぎると身体を壊すといった具合である。
 ただ食欲であれば、それが過ぎてもわが身1人の苦しみにとどまる。しかし、事業欲のようなものは、行きすぎると自分1人にとどまらず、他の多くの人々、ひいては世間にも迷惑をかけることになる。それだけに、事業に携わる人々は、自らの良識というものを働かせ、その事業欲が行きすぎないように調節することが大事だと思う。
(出展:『運命を生かす』~[改訂新版]松下幸之助 成功の金言365~/松下幸之助[著]/PHP研究所[編刊]/2018年9月)

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1.ガバナンス(上の逆三角形)の問題
 いつもと順番が異なりますが、まず、ガバナンス上の問題を検討しましょう。
 松下幸之助氏が言う、行き過ぎた「事業欲」、そしてそれが世間に与える「迷惑」、とは何でしょうか。
 行き過ぎた「事業欲」は、いわゆる金儲け主義のようなもので、自社中心になり、今日のイメージで例えれば、独占禁止法や下請法違反に典型的に見られる下請けいじめや、帳簿操作、市場操作、脱税、社会的に問題になった品質偽装などを平気で行う原動力になるものでしょう。ここで例示された行動は、その態様や程度によっては違法であり、場合によっては犯罪にすら該当します。
 しかも、氏が指摘するとおり、儲けようという意欲は際限がありません。むしろ、お金の魅力に憑りつかれれば、中毒化してしまい、事業拡大意欲はむしろより大きくなりますし、それに伴って、違法行為に対する罪悪感やリスク感覚も薄れていってしまい、歯止めも効かなくなっていきます。
 特に、組織の場合には、この罪悪感やリスク感覚の希薄化が顕著です。というのも、組織では先例主義という行動原理があるからです。これは、先例があると誰かが確認し、決断したはずである、だから自分は確認も決断もしなくて良い、という思考プロセスを経て、安易な行動を誘発してしまうのです。
 次に、世間に与える「迷惑」の内容のうち、も明らかになってきます。
 すなわち、これが犯罪であれば、「迷惑」であることは明らかです。特に説明を要しないでしょう。
 他方、犯罪に至らない程度の「事業欲」は、例えば取引先や顧客が、会社との取引や製品によって、その対価以上に何らメリットを得ない状態を想定することができます。
 このことは、取引は駆け引きなのだから、それに失敗した取引先や顧客の問題であって、これを「迷惑」というのはおかしい、というミクロ的な観点からの指摘もあり得ます。
 けれども、例えば日本でも古来から「三方良し」「金は天下の回り物」等というように、経済社会である特定のプレーヤーだけが利益を独占するような状態は、決して好ましいものではありません(だからこそ、独占禁止法が存在する)。そもそも、取引が行われるのは、立場や価値観の異なる両方の当事者がいずれもメリットを感じることによって成立するはずであり、これが健全な経済的商取引です。その中で、「事業欲」が強すぎると、本来取引の相手方が享受すべきメリットまで奪い取ろうとしますから、取引先や、そこから巡り巡って市場や社会に還元されるべき利益が失われてしまいます。
 つまり、犯罪に至らない程度であっても、自社だけが儲かり、取引先や顧客には十分な利益が発生せず、市場や社会が活気づかない、という「迷惑」が考えられるのです。
 さて、このような「迷惑」を、経営者は避ける必要や責任はあるのでしょうか。
 たしかに、経営者は投資家である株主から資金や経営基盤を託された立場にあり、それに基づく経営者のミッションは、「儲ける」ことです。上図のコロンブスは、イギリスの東回りのインド航路に対抗するための、西回りのインド航路を開発し、それによってスペインを儲けさせることが、そのミッションです。
 けれども、例えば近時の品質偽装(食品、素材、製品等)に関するマスコミや世論の反応を見れば明らかなとおり、会社が社会に受け入れられなければ、会社は経営危機にすら陥ってしまいます。逆にいうと、会社が社会に受け入れられれば、継続的な利益が期待されます。歴史の長い欧米の企業が、よき企業市民になろうとして、地域イベントやボランティア活動への積極的な関与、芸術やスポーツへのサポートなどに熱心なのは、そのような背景があります。
 つまり、経営者は単に「儲ける」ことがミッションなのではなく、会社を社会の一員として認めてもらえるようにしつつ「儲ける」ことが必要であり、これらを総括して「適切に」「儲ける」ことがミッションである、と整理することが可能です。
 この「適切に」は、コンプライアンス、企業の社会的責任、CSR、メセナ活動、等、企業が社会の一員になろうとするための消極的・積極的両方の活動が含まれるのです。

2.内部統制(下の正三角形)の問題
 次に、社長が率いる会社の内部の問題を考えましょう。
 先に、先例主義を例示しましたが、このような内部統制上の問題が、行き過ぎた「事業欲」による暴走を助長する場合があります。
 先例主義の他の例としては、行き過ぎた成果主義や歩合給制度、インセンティブボーナス、営業目標制度、などです。もちろん、会社は利益を上げなければならないことは、松下幸之助氏もくり返し強調している点であり、社員が利益を上げようという意欲を高める施策は必要です。けれども、その意欲だけを必要以上に高めてしまうと、現場が暴走してしまいます。さらに、目の前の収益さえ上げれば、将来の成長が多少犠牲になっても構わない、という形で、会社自身も蝕んでしまうのです。
 そこで、このような暴走をどのように防ぐのか、ということが問題になります。
 けれどもこれは、何か1つの施策だけで防止できる問題ではありません。従業員個人の処遇にも関連する問題であり、従業員の意欲を高めようとすると、その副作用として当然に危険が高まってしまうからです。
 そこで、複数の施策を上手に組み合わせなければなりません。
 例えば、従業員の処遇や意識づけの施策について、レバレッジを減らして、営業成績だけで処遇が決定される部分の割合や重要性を減らすこと、が出発点になります。従業員の意識付けが、従業員の行動を規律する最大の要因だからです。その上で、同じ従業員の意識付けの諸施策の中に、コンプライアンスや企業の社会貢献活動等への貢献を積極的にプラス要因として組み込む方法も、ぜひ導入すべき施策でしょう。例えば人事考課の1つの項目としてこれらの要因を追加し、給与やボーナスなどの処遇に際し、これらの要因が数パーセント考慮される、と制度変更するだけで、従業員の行動様式ががらりと変わる、と言われています。
 次に、企業文化や企業理念、行動規範、報奨規程などを通して、会社の場としての方向性や、従業員のベクトルを合わせていく方法も重要です。これらの方法は、本来は企業の一体感や突破力を高め、求心力を強める方法ですが、そこに、会社を暴走させないためのものも組み込むのです。
 さらに、チェック機能も重要です。これには、チェックをメインの業務とする内部監査部門などのほか、例えば財務部門が本来の業務として会社の財務状況を管理する中で、経費支出が適切かどうかをチェックし、不当な支出を牽制する機能があります。つまり、さまざまな部門が、その本来的な役割に付随して、関連する範囲でチェック機能を果たすことがあり、そのような機能を活用することも重要です。
 さらに、取引先や顧客からの苦情やフィードバックを活用したり、取引先や顧客に直接接触する現場の声などを汲み取る仕組みなど、外からの反応を会社自身が収集し、これを活かすプロセスの導入が考えられます。
 このように、行き過ぎた「事業欲」を押さえるための施策は、会社経営のための諸施策の組み合わせによって作り上げられるのです。

3.おわりに
 松下幸之助氏は、経営者でありながら、会社自体に「欲」の存在を認め、会社自体を1つの生き物のように見ています。自分が全てをコントロールできる存在ではない、という認識が前提にあるのでしょうか。
 たしかに、氏が磨き上げてきた、従業員にどんどん権限移譲する経営モデルでは、任せた従業員たちの暴走を防ぐために、自分自身がブレーキを踏む場面があったかもしれません。あるいは、暴走を抑えなければならないほど会社自身が活気を持つことも必要かもしれません。
 会社の暴走可能性があるからこそ、その暴走をたしなめる必要性も出てきますので、結局、暴走可能性がない会社を作り上げるのではなく、潜在的に暴走可能性のある、つまり活気ある会社だが、ちゃんと暴走を防ぐ仕組みも組み込まれている会社を作り上げることが大事であって、非常に慎重深くバランスを取る必要があるのです。
 どう思いますか?

※ 『経営の技法』の観点から、一日一言、日めくりカレンダーのように松下幸之助氏の言葉を読み解きながら、『法と経営学』を学びます。
 冒頭の松下幸之助氏の言葉の引用は、①『運命を生かす』から忠実に引用して出展を明示すること、②引用以外の部分が質量共にこの記事の主要な要素であること、③芦原一郎が一切の文責を負うこと、を条件に了解いただきました。

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