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労働判例を読む#476

※ 司法試験考査委員(労働法)

今日の労働判例
【糸島市・市消防本部消防長事件】(福岡地判R4.7.29労判1279.5)

 この事案は、糸島氏の消防署のリーダーたちがパワハラを理由に懲戒処分(人によって異なるが、懲戒免職も含む)を受けたため、そのうちの2人X1(懲戒免職を受けた)とX2(戒告処分を受けた)が糸島市Yらに対し、処分の取り消しなどを求めた事案です。
 裁判所は、X1の請求の一部を認めましたが、X2の請求は否定しました。

1.規範(ルール)
 Yらの処分の有効性は、2段階で判断されます。
 すなわち、1段階目は、懲戒事由があるかどうかの判断で、2段階目は、裁量権の濫用があったかどうかの判断です。
 このうち2段階目のルールは、多くの裁判例で言及されるもので、本判決も2つの最高裁判決(神戸税関事件・最三判52.12.20労判288.24、東京都君が代斉唱事件・最一判H24.1.16民集239.253)を引用し、懲戒処分が「社会観念上著しく妥当を欠いて裁量権の範囲を逸脱し、又はこれを濫用したと認められる場合」に違法になる、というルールを示しています。民間企業の場合には労契法が適用されるので、解雇する場合には合理性が必要ですが(労契法16条)、公務員の場合には、裁量権の濫用がない限り有効となりますので、公務員の方が、処分の有効性を否定される可能性が低い、と(一般論としては)言えるでしょう。
 ここでは、特に1段階目のルールについて少し詳しく検討しましょう。
 1段階目の判断は、地方公務員法や各自治体が定めるルールに該当するかどうか、という判断です。特に本事案では、Yらがハラスメント防止規定を定めており、この規定への該当性が問題とされていますが、このハラスメント防止規定での「パワーハラスメント」の定義は、労働政策法30条の2に定められたパワーハラスメントの定義とほぼ同じ内容です。用いられている用語などは、法案審議過程の用語が用いられているなど、労働政策法30条の2が導入される過程で、その議論を参考にしながら作成された条文のようです。
 ハラスメントの社内ルールなどによっては、法律の条文のような抽象的な表現だけでなく、禁止される言動が具体的に例示列挙されている場合がありますが、ここでの「パワーハラスメント」の定義は、そのような具体例が記載されていません。そのため、「パワーハラスメント」に該当するかどうかの判断は、労働政策法30条の2の判断と同様の判断構造となります。
 けれども、ルールに関して注目されるポイントが2つあります。
 1つ目は、「その他のハラスメント」も定義されている点です。
 すなわち、パワハラに該当しなくても、「言葉、態度、身振り、文書等により、職員の人格や尊厳を傷つけ、精神的若しくは身体的苦痛を与える言動又は職場環境を悪化させる言動」も、禁止行為に含まれている点です。パワハラ以外の行為にも禁止範囲を広げているのですが、実質的には、パワハラと認定されるためのハードルを下げている、と言えるでしょう。規制の対象は、結局、パワハラと同じ「精神的苦痛若しくは身体的苦痛を与える言動又は職場環境を悪化させる言動」であり、その具体的な方法も、たしかに「言葉、態度、身振り、文書等」と明示されている点が違うものの、パワハラとされる言動と大きな違いがあるように思われません。実際、本判決も「パワーハラスメント」と「その他のハラスメント」を別に適用しておらず、問題となる言動については、このいずれかに該当する、という表現を用いており、厳密に両者を区別していません。
 このように本判決では、社内にパワハラに関するルールのない事案(すなわち労働政策法30条の2が直接問題とされる事案)に比較すると、違反行為と認定されるためのハードルが低くなっている点に、1つ目の特徴があります。
 2つ目は、地方公務員法29条1項3号が適用される場合もある点です。
 すなわち、本判決には、「パワーハラスメント」「その他のハラスメント」に該当しない場合であっても、別に、地方公務員法29条1項3号(「全体の奉仕者たるにふさわしくない非行があった場合」)が適用されるとしている場面があります。この条文だけが適用される場面は、問題とされたXらの25個の言動のうち1か所だけですが、ここでは、上記のようにルールが適用されるためのハードルを下げるためではなく、ルールの適用対象を広げるために適用されているようです。すなわち、問題となったX1の言動は、話しをしている相手を攻撃するのではなく、他者の悪口を聞かせる、というもので、直接相手に対して精神的苦痛を与えない言動であり、したがって、「非行」という概念はハラスメントとは異なるものとされているようです。
 このように本判決では、「非行」該当性の問題として、労働政策法30条の2よりも規制対象が広がっていると評価できるでしょう。
 以上の検討から分かるとおり、本判決では、一般的なハラスメントの概念よりも、ハードルが低くなっており、さらに、適用範囲も広がっている点に留意すべきです。ここで示された評価や判断を、機械的・自動的に他の事案に当てはめることが適切でない場合があり得ます。

2.事実(あてはめ)
 この事案では、実に多様な言動が問題とされています。
 例えば、言葉だけのものや、ペナルティーとして腕立て伏せをさせるような、肉体的な負担をかけるもの、など態様が様々で、言葉だけのものについても、相手の仕事の仕方を咎めるものや、人格を非難するもの、他人の悪口を聞かせるもの、など様々です。
 このように多様な言動に対し、当然、画一的な評価はできませんから、本判決はそれぞれの言動のハラスメント(さらに、非行)該当性の検討は、それぞれの言動ごとに行われています。
 しかも、単にXらの言動の悪質性や程度だけを問題にするのではなく、それが業務上適切な目的があるかどうか、それが許容される程度のものかどうか、という観点からの検討もされています。ハラスメントの判断基準として、労働政策法30条の2では必要性と相当性が定められ、本事案でのハラスメント防止規定では「業務の適正な範囲」を超えることが定められていることから、言動それだけでなく、業務との関係にも配慮して評価する必要があるのです。
 ここで特に整理しておきたい点は、上記1で指摘した2段階目の判断、すなわち、裁量権の濫用に当たるかどうかの判断との関係です。なぜなら、裁量権の濫用に該当するかどうか、という問題についても、業務との関係に配慮する必要があり、重複する面があるようにも見えるからです。
 けれども、1段階目の判断に含まれるべき、ここでの検討では、個別の言動ごとに、業務としての適切性が検討されていますが、2段階目の判断では、不当と評価された言動を全て合わせて、その全体がX1・X2それぞれの懲戒処分に照らして相当かどうか、が問題とされています。
 つまり、業務との関連性から、従業員の言動の不当性を問題にする場合、個別の言動ごとに業務上適切かどうかが評価されるだけでなく、それら総体について処分としての相当性があるかどうかが検討されるのです。

3.判断の視点
 この事案では、ハラスメントの被害者が加害者のハラスメント行為の違法性を争う一般的な事案と、様相が異なります。
 一般的な事案では、被害者と加害者という、立場の対立する当事者が直接対峙するので、ハラスメント該当性だけが問題になりますが、本事案では、被害者と加害者の間に使用者が挟まっているため、論点が増えています。すなわち、上記の2段階目の論点が発生するのです。これは、使用者による加害者の処分が直接の議論の対象であり、ハラスメントの有無は、その背後にある問題となるからです。会社が板挟みになっている状態であり、会社が(加害者ではなく)被害者の肩を持って加害者を処分したことになりますから、被害者の遡及内容が合理的かどうか、ということだけでなく、使用者がそれを適切に評価し、判断したのか、が問題になるのです。
 他方、同じように使用者が板挟みになる事案でも、逆に(被害者ではなく)加害者の肩を持つ場合には、被害者と加害者が直接対峙する案件と同じ状態になります。使用者が、加害者の肩を持ったのですから、使用者には加害者と同様の責任(民法715条の使用者責任や民法415条の契約者責任)が生じるかどうか、が問題になるのです。このような事態は、何も積極的に使用者の肩を持つ場合だけでなく、使用者が対応に迷っているような場合にも発生します。使用者が対応に苦慮して対応を先送りすることは、事態を悪化させる場合があるからです。
 さらに、理論的には、この両者の合わさったパターンもあり得ます。使用者が、被害者が遡及するハラスメントのうち、一部についてはそれを認めて加害者を処分するものの、残りの部分についてはそれを認めずに加害者を処分せず、したがって、加害者と被害者の双方が使用者に対して不満を抱く場合です。
 このように、使用者の立場で見た場合、ハラスメント問題への対応は、加害者と被害者の板挟みになるだけでなく、問題を先送りしたり逃げたりすることが許されない問題であり、いわば「進むも地獄、退くも地獄」という状況になるのです。
 このような状況で、裁判所は、被害者の遡及するXらのハラスメントの言動のうち、一部についてはハラスメントに該当すると評価し、一部については該当しないと評価しています。しかも、X1に対する処分は無効としつつ、X2に対する処分は有効としています。裁判所も、板挟みになって判断に苦慮している様子がうかがわれます。

4.実務上のポイント
 この事案では、ハラスメントを厳しく禁止したい、とするYらの意向に反し、一部の言動についてハラスメント該当性が否定されました。
 しかも、上記2のとおり、ハラスメント判断のハードルが下げられ、範囲も広がっている状況であり、さらに、民間企業の場合よりも、違法となる可能性が低いにもかかわらず、一部の言動についてハラスメント該当性が否定されている(Yらの判断の合理性が否定され、裁量の範囲が制限されている)のです。
 これでは、ハラスメントを禁止するために、違反者を厳格に処分したいと思っても、使用者は処分をためらってしまいます。
 けれども、社会的にはハラスメントに対して会社が毅然と対応することが求められてきました。実際、本事案の背景には、消防署でのパワハラが批判されている状況で、消防庁が、全国の消防本部にハラスメント撲滅を呼びかけたことなどが背景にあるようです(労判1279.8の解説参照)。
 そこで、会社がハラスメントに毅然と対応する際にはどのような配慮が必要なのか、この事案から検討してみましょう。
 1つ目は、プロセスです。
 Yらは、かなり以前にハラスメント規定をさだめ、ハラスメントに関する研修も繰り返し行っていたようです。
 けれども少なくともX1に対しては、度重なる不当な言動にも関わらず、懲戒処分はおろか、注意や指導も受けておらず、また、人事考課の際にこれらに関するコメントもなかった点が、問題であると指摘されています。
 民間企業の場合でも、特に懲戒処分や解雇のような重い処分の場合には、本人に改善の機会を与えたかどうか、というプロセスが重視されますが、本判決でもこの点が共通する問題意識であると評価できます。具体的には、Xらに対し、処分の内容によって異なりますが、重い処分をする場合にはそれに応じた機会を与えることが考えられるでしょう。
 2つ目は、ハラスメント規定の定め方です。
 上記2のとおり、地公法が適用される分、「非行」にまで適用範囲が広げられていますが、「非行」という概念も抽象的です。
 他方、例えば「阪神高速トール大阪事件」(大阪地判R3.3.29労判1273.32)では、会社のルールの中に、ハラスメントを定義する表現として、①「他人に不快な思いを与える性的な言動」、②「『女性だから・・・』という性別により役割分担すべきとする意識に基づく言動」が明記されており、この②に該当する言動(女性はトイレ使用後に便座を上げろ、と少なくとも3回発言した)について、発言者(加害者)の処分を有効としました。
 このように、ハラスメント規定に、抽象的で一般的な定義規程を置くだけでなく、具体的な行為を明示しておくことで、ハラスメントに対する処分が有効とされる可能性が高くなるように思われます。消防隊員としての業務実態に照らせば、このような言動がハラスメントになるのだ、という具体的な例を示す方法が考えられるでしょう。特にこの判決では、指導として体を鍛えさせるトレーニングは、相当程度、その合理性が認められていますが、判決自身が、適切とは言えないが違法とも言えない、という趣旨の評価を与えているものがあり、そのような場合には、何が禁止されるのかを具体的に示しておくことで、境界を明確にできるでしょう。
 3つ目は、ハラスメント教育の徹底です。
 この判決でも、X1に対してハラスメント教育がたびたび行われていた事情が指摘されています。結果的に、2段階目の判断で、Yらの判断が違法とされてしまいましたが、Yらにとって有利な事情として指摘されていることを考慮すれば、しっかりと繰り返しハラスメント教育をすることも、重要なポイントです。
 4つ目は、ハラスメント認定の在り方です。
 この事案では、Yらは、かなり幅広く被害者らの訴求内容を認めており、その判断が裁判所によって上記のとおり修正されています。
 もし、Yらが、ハラスメントに該当するかどうかの判断をより中立的・厳正に行っていれば、Yらの評価や判断の信頼性が高まり、処分の有効性に関する評価が変わったかもしれませんし、そもそも、処分が重すぎる事態を避けることができたかもしれません。仮定の話なので、本判決の直接の教訓ではありませんが、考えられるポイントの1つでしょう。
 他にも考慮すべきポイントはあるでしょうが、本判決は、板挟みになってしまう使用者(会社)のハラスメント対応の在り方について、参考になるところが多くあります。
 なお、「長門市・市消防長事件」(最三小判R4.9.13労判1277.5)も、消防隊でのハラスメントの加害者を懲戒免職した事案に関し、本判決とは逆に懲戒免職を有効と判断しました。合わせて参考にしてください。

※ JILA・社労士の研究会(東京、大阪)で、毎月1回、労働判例を読み込んでいます。

※ この連載が、書籍になりました!しかも、『労働判例』の出版元から!


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