労働判例を読む#293

【国(口外禁止条項)事件】(長崎地判R2.12.1労判1240.35)
(2021.9.9初掲載)

※ 週刊東洋経済「依頼したい弁護士25人」(労働法)
※ 司法試験考査委員(労働法)
※ YouTubeで3分解説!
https://www.youtube.com/playlist?list=PLsAuRitDGNWOhcCh7b7yyWMDxV1_H0iiK

 この事案は、労働審判手続きの中で労働審判官J(裁判官が担当する)が示した労働審判(判決に相当する)について、申立人(原告に相当する)である従業員Xが、労働審判の中に規定されている「口外禁止条項」(労働審判の内容等を第三者に口外しない、という条項)によって精神的損害を被ったと主張して、国Yに対して損害賠償を求めた事案です。
 本判決の裁判官が、労働審判官(裁判官)の判断を評価しているため、話しが少しややこしいですから、落ち着いて理解しましょう。

1.判断枠組み(ルール)
 特に問題となった「口外禁止条項」は、原則として、会社とX両方が、「本件(この労働審判)に関し、正当な理由がない限り、第三者に対して口外しないことを約束する。」と定めます。例外的に、Xだけが、Xによる労働審判手続きを理解・支援した2名に限って、「本件が審判により終了したことのみを、口外することができる。」と定めます。
 この「口外禁止条項」によってXの精神的損害が発生したかどうかを判断するのですが、まず裁判所の示した判断枠組みを確認しましょう。
 裁判所は、まず、①この労働審判が労働審判法20条1項の定める「相当性」を備えることが必要であるとしました。「相当性」が欠ければ労働審判は違法となり、労働審判法の定める「異議」手続きによって是正されることになるのです。
 さらにこの「相当性」について、裁判所はより具体的な判断枠組みを設定しています。すなわち、❶労働審判の内容が事案と「合理的関連性」があること、労働審判の内容が当事者にとって❷「予測可能性」と❸「受容可能性」があること、の3つの要素に整理して判断するのです。
 さらにこのうちの❸「受容可能性」の意味について、裁判所は、「当事者に過大な負担となるなど、消極的な合意さえも期待できないような場合」であると定義しています。消極的な合意とは、自ら積極的に合意することはしないが、Jから示された労働審判であれば仕方がないと諦め、受け入れる、という意味のようです。
 しかし、これだけでは損害賠償請求は認められません。さらに、②Jに違法・不当な目的があったことが必要である、としました。労働審判官(裁判官)も間違いを犯すし、それを是正するために「異議」手続(上訴)もありますから、特別な事情が必要であるというのがその理由です。

2.事実(あてはめ)
 次に、この判断枠組みに対してどのような事実認定がされたのかを確認しましょう。
 ❶について、裁判所は「合理的関連性」があると評価しました。例えば、この労働審判の内容が誤って伝えられることでさらに無用な紛争を引き起こす懸念などが指摘されています。
 ❷について、裁判所は「予測可能性」があると評価しました。実際の労働審判のプロセスの中で、この口外禁止条項の内容や表現が両当事者とYの間で議論されており、最後の労働審判の中に何らかの形で含まれることは、当然に予測できるからです。
 ❸について、裁判所は「受容可能性」がないと評価しました。このプロセスの中で、Xの精神的な支えになった人物2人だけには、せめて解決したことだけでも伝えないと気が済まない、という趣旨の意向を明示し、しかもこの意向が極めて堅固なものでしたから、労働審判後、口外禁止の義務を負い続けることは過大な負担に該当する、と評価したのです。
 そのうえで、❸が満たされないことを理由に、①「相当性」が欠けると評価しました。
 他方、②について、裁判所はJに違法・不当な目的が無かったと評価しました。労働審判の中の「口外禁止条項」だけでなく、全体として見れば、例えば会社は相応の金銭的負担を命じられているなど、両当事者にそれぞれ負担が命じられており、偏った内容ではないこと、などがその理由です。
 結局、①によってJの示した労働審判に問題があるとされつつも、②によって国Yの責任はない、という結論となりました。

3.本判決の問題点
 けれども、このうち①❸の判断は問題です。
 問題点の1つ目は、「受容可能性」がそもそも必要なのか、という点です。
 たしかに、労働審判手続きの中での労働審判の位置付けは、当事者の合意が成立しなかった場合にこれに代わるものです。当事者の合意を目指した手続きだからです。このように考えれば、当事者が自ら進んで合意に至らない場合に労働審判官(裁判官)が命ずる労働審判は、当事者が消極的に合意する内容、すなわち自ら進んで合意することがなくても、労働審判官(裁判官)から言われれば受け容れる内容である必要がある、という判決の示した理論も、合理的であるように見えます。
 しかし、「受容可能性」を要求することは、合理的とは思えません。
 というのも、これでは労働審判が出せない事態が生じてしまうからです。実際の紛争の場では、両当事者の主張や要求が乖離しすぎており、どのような労働審判を作成しても、どちらか(または両方)の当事者が絶対に受け入れない状態、すなわち受容可能性のある労働審判を作成することが不可能な状態があり得るからです。「受容可能性」が無ければ「相当性」がなく、不当な労働審判になる、という本判決の判断枠組みは、労働審判官(裁判官)に不可能を強いることにつながるのです。
 問題点の2つ目は、本事案で「受容可能性」を否定した点です。
 この事案でXは、精神的に支えてくれた2人に対して、せめて解決したことだけは伝えたい、と訴えていました。そこで、Jが作成した労働審判の口外禁止条項(上記1)を見てみると、その例外ルールの部分で、Xの要求するとおり、2人に対して解決したことを伝えることが許されています。Xの要求がその後さらにエスカレートしたのかもしれませんが、けれども実際にXが明確に要求した内容がルールとして盛り込まれているのですから、「受容可能性」は(それが低下したことはあったかもしれないが)明確に存在すると評価されるべきでしょう。
 このように、本判決は①に関する判断枠組み(1つ目の問題)と事実認定(2つ目の問題)の両方に問題があるのです。

4.実務上のポイント
 では、なぜ裁判所は、このような不合理な判断をしたのでしょうか。
 本判決を下した裁判官3名はいずれも地方裁判所の裁判官であり、労働審判の手続きを知らないはずはありません。両当事者の要求が乖離しすぎていて「消極的な合意」もあり得ない事案があることも、よく知っているはずです。したがって、裁判官が労働審判の実情を知らなかった、という理由ではないはずです。
 むしろ、ポイントは②労働審判官(裁判官)の違法・不当な目的でしょう。
 つまり、職業裁判官として訓練されてきた裁判官であれば、わざわざ違法・不当な目的で労働審判を下すことはよほどのことがない限り考えにくいことです。仮に①「相当性」で労働審判官(裁判官)の行動を厳しく規制しても、②違法・不当な目的さえなければ責任は負わないのですから、損害賠償という結論だけを考えれば、①「相当性」がいくら厳しくても何の問題も生じないのです。もちろん、労働審判官(裁判官)にとって、自分が下した労働審判が相当でないと評価されることは、専門家として腹立たしいことでしょうが、それが責任に影響しないのであれば我慢できることでしょう。
 そうすると本判決は、結論に大した影響のない①「相当性」の中で、Jの対応に問題があったと認定することでXの不満のはけ口を設けた、と評価することができるかもしれません。Xの気持ちを考えた場合、「Jの判断は相当ではなかったが、悪気はなかった(だから違法ではない)」と説明されれば、怒りの気持ちが和らぐ可能性が高まるでしょう。実際、本判決は控訴されませんでした。
 このように見ると、本判決は労働審判官(裁判官)Jの法的責任が現実に問われる場面を巧妙に限定しておきながら(②違法・不当な目的)、当事者Xの前では労働審判官(裁判官)の誤りを指摘して(①相当性)不満を解消させるという、一種の駆け引きに似た判断と評価できます。
 そうすると、本判決が示した①相当性について、他の裁判例でも引用されるような先例としての価値があるかというと、先例としての価値はない、と評価すべきでしょう。Xの不満も特殊であれば、これに応えて示された本判決の内容も特殊であり、しかも本判決の示したルールが現実的でないことから、一般的なルールとするのに適さないからです。

※ JILA・社労士の研究会(東京、大阪)で、毎月1回、労働判例を読み込んでいます。

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