松下幸之助と『経営の技法』#134

6/28 経営者は経世家たれ

~先見性をもち、社員に希望と理想を訴え、実現していくことが、経営者には求められる。~

 未来学者といわれる経世家とは立場が違います。未来学者は過去なり現在なりを分析して、それによって将来はこうなるだろうという予測をします。しかし経世家というものは、人間の幸福のために将来はこういう世の中をつくろうということを考えます。そこに経世家の未来学と学者の未来学の違いがあります。
 そして、今日の経営者は経世家でなければならないと思うのです。つまり、経世者が日々熱心に仕事をしていれば、自らの商売なり経営なりについて”こうやってみたい、こうありたい”といった希望や理想があるはずです。それを社員に訴え、その実現にともに努めていくということを大いにやるべきだと思います。
 もちろん、1年先あるいは3年先には、世の中はこうなるだろうということを察知するいわゆる先見性というものは、経営者にとって欠くことのできないものです。しかし最近のように変化の激しい社会では、こうなるだろうと思ったことが必ずしもそうなるとは限りません。そこで、そのような先見性をもつことに加えて、自らこうしようというものをもって、その実現をはかっていくことが必要だと思うのです。
(出展:『運命を生かす』~[改訂新版]松下幸之助 成功の金言365~/松下幸之助[著]/PHP研究所[編・刊]/2018年9月)

1.内部統制(下の正三角形)の問題
 まず、社長が率いる会社の内部の問題から考えましょう。
 経世家(未来学者)という言葉は、最近あまり聞かないように思いますし、昔、そのような肩書の人たちがいたとして、「未来学者」であった、と言われても、あまりピンときません。
 けれども、松下幸之助氏の言葉から、①学者、②経世家、③経営者の関係を、簡単に整理しましょう。
 つまり、①学者と②経世家を比較すると、①学者は客観的に将来の姿を描くのに対し、②経世家はあるべき期待も込めて将来の姿を描く点が異なります。さらに、②経世家(⊃学者)は、単純に予測するだけだけれども、③経営者は、事業に方向性を与えることによって将来に働きかけることができる、という違いがあります。
 松下幸之助氏は、このように①~③を定義したうえで、逆算します。
 すなわち、経営者は、単純に会社経営をするだけでなく、①未来を予測し、②さらに、未来のあるべき姿を考え、③その実現に向けて事業を行うべきである、というのです。
 単純に、将来も儲けられるようにすることだけを狙うのであれば、①未来を予測すれば十分ですが、ここに、②あるべき理想の未来まで要求しています。
 このことの、内部統制上の意義を考えてみましょう。
 これは、経営者に向けた言葉であり、経営者が従業員に対して、将来のあるべき姿を語れ、ということになります。つまり、迫りくる未来に受け身で応えるのではなく、自分たちが未来に働きかけよう、と呼びかけることになります。
 このような、受動的な対応でなく、能動的な対応、と分類する段階で、既に多くの示唆が見えてきます。
 例えば、①仕事への取組みとしても、誰か上司や経営者から方向性ややるべきことを指示されるのを待つような、受動的な姿勢ではなく、自分から、このようにすべきではないか、と働きかけ、提案するような能動的な姿勢が必要だ、②会社は社会に貢献している会社であり、自分はその貢献のために、重要な役割を果たしている、という実感、手応え、モチベーションを与える、③学者や経世家とは異なり、社会の当事者としてこの未来に向けた変化に関わっている、という自信、など、従業員の個人の問題、会社との関係、社会との関係のそれぞれについて、建設的で積極的な価値を見出す手掛かりとなるのです。
 そして、経営者の指示に従うだけの従業員でなく、このような自発的で積極的な従業員が増えることは、翻って、会社を活性化させ、能力を高めていくのです。
 このように見ると、経営者に、②まずは経世家になり、③さらにそれ以上に、実社会に働きかけていけ、というメッセージは、経営の観点から見て合理性があるのです。

2.ガバナンス(上の逆三角形)の問題
 次に、ガバナンス上の問題を検討しましょう。
 投資家である株主と経営者の関係で見た場合、経営者がこのように社会の変化に積極的に関わっていくことの評価が問題になります。
 単純に、会社にとって金になるように、都合よい社会に変えていこう、と働きかけるのであれば、どことなく胡散臭く、社会からもその会社のやり方に違和感を覚えられてしまいかねません。
 けれども、会社は社会の一員として受け入れてもらえなければ、社会から排斥されてしまいます。日本でも、最近立て続けに発生し、社会問題となった「偽装」問題では、多くの会社が事業継続の危機に直面しました。社会が会社の存在を拒否すれば、会社は存続できないのです。
 しかし、このことは逆に言えば、社会に有益であれば、社会が会社を受け入れてくれるので、したがって会社は永続的に社会から利益を得られることになります。これこそ、本来の意味のコンプライアンスであり、最近の言葉で言えば、CSR、企業の社会的責任、ノブリスオブリージュ等に該当する活動です。しかも、社会のあるべき姿を積極的に提案し、その実現に向けて協力し、貢献するのであれば、そしてその提案が社会にとっても、たしかにその通り、と喜んで受け入れられるものであれば、受け身である会社に比べ、社会の中での評価や位置付けは、より一層強固なものとなります。
 このように、中長期的な観点から、会社の社会的基盤を本気で考える経営者であれば、社会を良くする方向での貢献にも真剣に取り組んでほしいものです。
 この、社会に働きかけるような意欲と行動力も、経営者の資質として考慮すべきものなのです。

3.おわりに
 松下幸之助氏は、「経世家」という言葉を使っていますが、現在の言葉で表現すると、どのように表現すべきでしょうか。価値観が多様化した結果かもしれませんが、未来のあるべき姿を論じる立場の人を特定し、表現する言葉が、見当たらないように思われます。現在ですら、価値観が多様化していますので、あるべき将来の姿など、統一的なことなど言えるはずがない、ということでしょうか。
 あるいは、地球温暖化や高齢化、人口爆発、食糧不足、エネルギー不足など、人類滅亡の足音も聞こえ始めている中で、あるべき姿などの理想よりも、迫りくる危機を回避することで精いっぱいなのでしょうか。
 このように見ると、「経世家」に代わる適切な言葉が見当たらないのも、残念ながら仕方のないことかもしれません。
 けれども、社会が途方に暮れている中、会社が理想の未来、あるいは「まだマシな未来」の姿を提示し、その実現のために努力することは、社会の一員として会社が受け入れられるうえで、その有効性が、松下幸之助氏の時代よりも一層高まっているように思われます。
 どう思いますか?

※ 『経営の技法』の観点から、一日一言、日めくりカレンダーのように松下幸之助氏の言葉を読み解きながら、『法と経営学』を学びます。
 冒頭の松下幸之助氏の言葉の引用は、①『運命を生かす』から忠実に引用して出展を明示すること、②引用以外の部分が質量共にこの記事の主要な要素であること、③芦原一郎が一切の文責を負うこと、を条件に了解いただきました。


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