労働判例を読む#220

【博報堂(雇止め)事件】福岡地裁R2.3.17判決(労判1226.23)
(2021.1.20初掲載)

 この事案は、有期契約社員として30年近く勤務してきた事務系契約社員Xが、5年を超える有期契約が無期契約に転換される制度導入の際、5年目の更新を拒絶された事案で、裁判所は、Xが会社Yの有期契約社員であることを認めました。

1.退職合意

 最初の論点は、退職合意の成否です。

 裁判所は、Xが更新しないことが明示された契約書に数回署名押印しており、「そのような記載の意味内容についても十分知悉していた」と評価しました。通常の意思表示であれば、Xが署名押印したことによって契約書に記載された内容がXの意思に基づくことが推定されますので、それに加えて「十分知悉していた」のですから、契約内容(特に、契約更新せず退職になる点)がXの意思に基づくことが認定され、確定されるべきところでしょう。

 けれども、雇用契約終了の「明確な意思」が必要、と一段高い水準の判断枠組みを設定しました。

 そのうえで、署名押印や、転職支援会社に登録するだけではこれに足りず、むしろ、労働局に相談し、Yに契約更新しない理由書を求め、Y社長に雇用継続を求める手紙を出していることから、「明確な意思」が存在しないと評価し、退職合意を否定しました。

 「明確な意思」という判断枠組みは、通常の意思表示の有効性の場合に比較すると、程度の差の問題に見えます。これでは、

 この判断は、例えば山梨県民信組事件(最判H28.2.19労判1136.6)が示した判断枠組み、すなわち、従業員にとって不利な意思表示に関し、「自由な意思」に基づく「合理性」が「客観的」に存在すること、という判断枠組みを使ってみると理解しやすいかもしれません。

 すなわち、「自由な意思」「合理性」「客観性」の判断枠組みでは、特に「合理性」の点で、自分にとって不利益な部分を十分理解しつつ、それを上回る合理性のあることを、本人が認識しえたことが重視されています。この事案では、退職を受け入れることのデメリットを理解し、さらに、退職してもその不利益を上回る合理性があることを、Xが知りえたかどうかが重要ですが、ここでは、新卒以来約30年間勤めてきて、転職経験のないXが、Yを辞めても大丈夫であることの「合理性」「客観性」が認められなかった、と評価できるでしょう。

 山梨県民信組事件の示した「自由な意思」「合理性」「客観性」の判断枠組みが、どのような場合に適用されるのかについては、まだはっきりとしませんが、この事案のように従業員にとって不利な内容の意思表示の有効性を判断する際の判断枠組み、と位置付ければ、ここでも適用されることになり、この判決の判断も理解しやすく、説明しやすくなるかもしれません。

2.労契法19条の適用

    (有期労働契約の更新等)

第十九条 有期労働契約であって次の各号のいずれかに該当するものの契約期間が満了する日までの間に労働者が当該有期労働契約の更新の申込みをした場合又は当該契約期間の満了後遅滞なく有期労働契約の締結の申込みをした場合であって、使用者が当該申込みを拒絶することが、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められないときは、使用者は、従前の有期労働契約の内容である労働条件と同一の労働条件で当該申込みを承諾したものとみなす。

 一 当該有期労働契約が過去に反復して更新されたことがあるものであって、その契約期間の満了時に当該有期労働契約を更新しないことにより当該有期労働契約を終了させることが、期間の定めのない労働契約を締結している労働者に解雇の意思表示をすることにより当該期間の定めのない労働契約を終了させることと社会通念上同視できると認められること。

 二 当該労働者において当該有期労働契約の契約期間の満了時に当該有期労働契約が更新されるものと期待することについて合理的な理由があるものであると認められること。

 更新の期待が問題になる場合、19条1号と2号のいずれが適用されるのか、あまり区別せずに、あるいは19条2号だけに言及し、更新の期待の有無を判断する裁判例を多く見かけます。

 しかしこの裁判所は、1号の適用を否定し、2号の適用を肯定しました。1号、2号いずれも、裁判例の立てた判断基準を条文化したもので、理論的な分類による明確な役割分担がされているわけではありません。多くの場合、事案に応じた判断枠組みが選択されると思われますが、この判決では、あえて1号と2号のあてはめがされているため、それぞれの適用対象を考える参考になります。

 まず、19条1号は、条文上、2つの要件が示されています。すなわち、①過去の反復更新と②無期契約と社会通念上同視できること、です。

 裁判所は、このうち①について言及していませんが、最終的に約30年更新されたことから、①は当然肯定しているために言及していないと考えられます。②について否定していますが、その理由は、平成25年以降、更新が最長5年とするルールが適用されたこと、毎年、契約更新通知書をXに交付し、面談するようになったこと、から、無期契約と社会通念上同視できない点にあります。この②無期契約と社会通念上同視できるかどうかについては、有期契約の実態の中でも特に更新の期待に関わる部分、すなわち、契約更新の実態やプロセスが存在したかどうか、という点を重視しているのです。

 次に、19条2号は、更新の期待の合理的理由の存在、という非常に抽象的な要件が示されています。この要件を具体化する判断枠組みが特に示されてはいませんが、裁判所は、約25年間契約更新されてきたことによる更新の期待が極めて高く、新しい5年ルールの説明や、更新されない場合の契約上の条件(業務実績に基づく判断)によっても、更新の期待やその合理性が「揺るがない」ことを根拠としています。すなわち、既に大きな更新の期待があり、簡単にそれを失わせられない、という判断が示されたのです。

 このように見ると、更新の期待を発生させないためのプロセスは、それぞれの有期契約者が会社とどのようにかかわり、どのような更新の期待を抱いていたか、という状況に応じて個別相対的に判断されることになります。したがって、一般的にこれだけやれば更新の期待が無くなる、という図式化が困難である、ということが実務上のポイントになるでしょう。

3.雇止めの合理性

 これは、19条本文の示す、客観的合理性・社会通念上の相当性に関する判断です。

 裁判所は、「契約更新に対する期待を前提にしてもなお雇止めを合理的であると認めるに足りる客観的な理由が必要である」と、判断枠組みを示しています。職を失わせる合理性ですから、解雇の合理性と同様の判断枠組みになります。

 それ以上に、具体的な判断枠組みは明確に示されていませんが、労働法で一般的な3つの要素(この3つの要素で考えれば、大きく外れない)、すなわち天秤に例えた場合の、①一方の皿に載るべき社員Xの事情、②他方の皿に載るべき会社Yの事情、③天秤の支点に相当するその他の事情(特にプロセス)を参考に考えてみましょう。

 まず、①Xの事情です。Xの契約が約30年更新されてきたことから、積極的に評価すべき事情が極めて大きいことは明らかでしょう(冒頭部分で引用した、Xの更新の期待を前提にしても合理的、という趣旨の表現からも、このことが読み取れます)。他方、Xにはコミュニケーション能力の問題がある、とYが主張しましたが、裁判所は新卒採用からそれまでの間、特に指導教育などしておらず、重大な問題でない、と評価しています。

 次に、②Yの事情です。Yは「人件費の削減」「業務効率の見直し」の必要性を主張しましたが、裁判所は、このような「およそ一般的な理由では本件雇止めの合理性を肯定するには不十分である」と評価しています。この表現だけだと、常に会社側のビジネス上の主張が否定されるようにも読めますが、上記①との相関関係で判断されていることを前提に考えれば、①Yを保護すべき事情が特に大きい当該事案における評価であり、会社側にとってもそれだけ大きな事情が必要、と理解できます。具体的には、Xによる業務命令不服従や職場秩序への攻撃などが深刻であり、Yの経営上Xが大きな障害になっているような事情が、例として考えられるでしょう。

 ③プロセスについては、特に言及されていませんが、人事から新しい5年ルールの説明があったことが認定されていることなどを考慮すれば、特に問題がなかったために言及されなかった、と評価できるでしょう。

 このように、更新の期待が高い事案ほど、雇止めの合理性が厳しく吟味されることが、この裁判例かうかがわれるのです。

4.実務上のポイント

 有期契約の更新を続けてきた社員の無期転換を避けるために、更新拒絶を行い、トラブルになる事案が想定されます。

 その場合、無期転換のルールの拡大、類推や、脱法性などを問題にするのではなく、非常にオーソドックスですが、労契法19条の問題として処理する方法が示されました。

 前者(無期転換のルールの応用)であれば、もしかしたらXは無期契約社員としての地位を獲得することになるかもしれませんが、後者である本判決は、Xに有期契約社員としての地位を認めました。後者は、従前のルールをそのまま活用でき、無理がないこと、事案に応じた個別具体的な解決がなされるので、柔軟であること、のメリットがありますが、Xの無期転換請求は可能なのかどうか、という問題が先送りされてしまう、という問題があります。

 今後、同様の問題が争われた際、考慮されるべきポイントです。

※ JILA・社労士の研究会(東京、大阪)で、毎月1回、労働判例を読み込んでいます。

※ この連載が、書籍になりました!しかも、『労働判例』の出版元から!


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