労働判例を読む#292

【学校法人国際医療福祉大学(仮処分)事件】(宇地決R1.12.10労判1240.23)
(2021.9.3初掲載)

※ 週刊東洋経済「依頼したい弁護士25人」(労働法)
※ 司法試験考査委員(労働法)
※ YouTubeで3分解説!
https://www.youtube.com/playlist?list=PLsAuRitDGNWOhcCh7b7yyWMDxV1_H0iiK

 この事案は、大学Yの薬学部教授と大学病院の薬剤部長を兼務していたXが、ハラスメントの内部通報があったことをきっかけに、大学病院の薬剤師に配置転換された事案です。Xは、仮処分手続を申立て、教授・薬剤部長の地位にあることの確認を求め、裁判所はその請求を認めました。

1.職種限定合意
 1つ目の注目すべきポイントは、職種限定合意です。
 裁判所は、研究者としてXを採用した経緯を重視し、暗黙の職種限定合意を認めました。就業規則上は他の職種への変更も認められていますから、理論的にはこの明文のルールを黙示の合意が上書きしたことになります。
 この点は、学者として研究論文を発表してきた実績や、就職後の大学への学問的な貢献など研究者としての高度な資質が要求されており、そのような状況を広く考慮すれば、XY間に職種限定の特別ルールが合意されていた、と評価したことになるでしょう。
 労働判例で本判決の前の#292に紹介されている「安藤運輸事件」(名高判R3.1.20労判1240.5)では、運送会社における運行管理者の資格のある者について、明示の職種限定合意を否定しただけでなく、黙示の職種限定合意も否定しました。その代わり、配置転換の合理性の判断に関してこのことを「相応に配慮」することが必要として、配置転換の合理性を厳しく評価し、配置転換を無効としました。
 いずれも会社側の人事行為を無効としたのですが、黙示の職種限定合意の理論を採用した本判決と、人事権の濫用の問題とした安藤運輸事件の違いが問題になります。この点、たしかに運行管理者もそれなりに取得することが難しい資格のようですが、本事案でYが要求したのは、薬剤師の資格だけでなく、研究者としてかなり高いレベルの実績や能力です。それだけ条件を絞り、ハードルを上げておきながら、職種限定合意は存在しない、として簡単に梯子を外せると認めるわけにはいかない、という判断があったのでしょうか。
 専門家を採用する条件で、考慮すべきポイントです。

2.自由な意思
 2つ目のポイントは、職種変更への合意の有効性です。
 裁判所は、従業員にとって不利な合意をする場合に従業員に必要な条件を厳しくしています。
 ここで裁判所は、「山梨県民信用組合事件」(最二小判H28.2.19労判1136.6)で定められた判断枠組み、すなわち単に意思表示がされるだけでなく、「自由な意思」に基づくことの「合理性」が「客観的」に存在すること、という3つの要素を必要としました。
 先に、山梨県民信用組合事件の最高裁判決の内容を確認しましょう。
 最高裁は、退職金のルールの変更について合意していたかどうかが問題となりました。この3つの要素についてどのような事実を重視するのかが問題ですが、最高裁は、Xにとって不利益な事情(たとえば、人によっては退職金が無くなってしまう)を十分理解させていたかどうか、という事実を重視しています。金融商品販売に関するトラブルで用いられる「不利益告知」と似たような判断枠組みといえるでしょう。
 次に、本判決の内容です。
 本判決では、退職金規定の修正に比べると理解が簡単で、十分理解したかどうかが問題になっていません。むしろ、職種限定に関してXはYに対して明確に反対の意思を示しており、Yに求められた書類の意味も容易に理解できたはずです。署名することの意味を容易に理解できたのに、「自由な意思」がなかったと評価されたポイントは何でしょうか。
 そのポイントは、Xが弁護士を雇ってYと交渉しており、職種変更について異議を留保しつつ異動に応じることが伝えられていた、という事前の交渉経緯です。弁護士が異議をとどめているということは、暫定的に異動に応じたとしても、異動を認めたことにならないはず、とXは認識していたはずです。そうであれば、署名をしても異動を認めたことにならないはず、と考えても無理がありません。弁護士を通した異議により、異動を受け入れる署名がXの真意でないことはYも十分理解していたはずです。
 このように、「自由な意思」が否定される事例として、「山梨県民信用組合事件」と異なる類型が示されたのです。

3.実務上のポイント
 特に2つ目のポイントについては、「自由な意思」の理論と別の理論も考えられます。例えば、異動を受け入れるという意思表示が、Xの真意でないことはYも知っていますから、心裡留保が無効となる民法93条1項但書きに該当する、という理論構成です。
 「自由な意思」と、心裡留保などの民法上の意思表示に関するルールとの関係は、まだ十分整理されていません。理論的には、まず意思表示が成立するかどうかが検討され、次にその意思表示が有効かどうかが検討されます。心裡留保は後者の有効性の問題ですから、前者の成立の問題に相当する「自由な意思」の理論が優先される、ということでしょうか。
 今後、このような民法の意思表示に関する理論との関係も議論されていくでしょう。

※ JILA・社労士の研究会(東京、大阪)で、毎月1回、労働判例を読み込んでいます。

※ この連載が、書籍になりました!しかも、『労働判例』の出版元から!


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