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松下幸之助と『経営の技法』#269

11/10 理屈では割り切れない

~得でも断り、損でも引き受けるというような、人の微妙な心の働きをわきまえて行動したい。~

 人間は、例えば人から何か頼まれるというような場合、いわば”利害によって動く”という面と、”利害だけでは動かない”という2つの面をもっていると思います。話をもちかけた人の態度にどこか横柄なところがあったり、高飛車なところが感じられたりすると、それが自分にとってどんなに得になる話であっても、断ってしまうことがあります。反対に、たとえ自分にとって負担がかかり、損になることでも、頼む人の態度が非常に丁寧で誠意あふれるものであったなら、ついついその誠意にほだされて、引き受けてしまうこともある。お互い人間には、そうした理屈では割り切れないような微妙な心の働きがあるのではないかと思うのです。
 ですから、人にものを1つ頼むにしても、そうした2つの心の働きのアヤというものをよくわきまえて行動することが大切で、そのような人情の機微にふれた行き方をお互いに実践することによって、よりスムーズな人間関係も築かれていくのではないかと思うのです。

(出展:『運命を生かす』~[改訂新版]松下幸之助 成功の金言365~/松下幸之助[著]/PHP研究所[編刊]/2018年9月)

2つの会社組織論の図

1.内部統制(下の正三角形)の問題
 ここで、松下幸之助氏が言及するのは、「知と情」「利と情」と言うべき問題です。これは、人間関係に関する問題であり、人間関係は、会社内部の内部統制に関する人間関係と、経営者と株主などの会社外部との人間関係の問題に分けることができます。
 まず、社長が率いる会社の内部問題から考えましょう。
 ここでは、上司が部下に業務上の指示命令を出す場合だけでなく、部門間のコミュニケーションや、部下から上司に対する報告等の場合も含まれます。要は、社内コミュニケーションそのものの問題であり、そうするとここでの松下幸之助氏の言葉は、コミュニケーションに関するヒントやアドバイス、ということになります。さらに、一般的に見れば、人間の非理性的な部分も理解しろ、などと言う情緒的で非論理的なコメントのように見ることもできます。
 けれども、情の部分も、それを全て感情的で非論理的と決めつけることはできません。
 というのも、例えば優秀な職人は、緻密な集中力と丁寧な仕事の積み重ねの結果、その感性自体が1つのツールとなっています。精密な測定をしなくても、コンマ数ミリの誤差を感覚的に気付くなど、鍛えた感性はそれが直接表に出てくることがあり、しかもその感性自体が下手な測定機器よりも精度が高いのです。
 会社経営についても同様です。
 すなわち、例えばマーケティングの感性を長年磨き続けてきた役員であれば、特定の地域での特定の営業手法について、違和感の有無や、好き嫌い、気持ち悪さ、などの感覚的な表現によって当該営業手法の良し悪しや危険性の大小を評価することから始まるでしょう。けれども、優秀ぶった人のいい加減な思い付きでなく、緻密に感性を磨いてきたプロによる責任持った感想であれば、非常に価値のある情報となります。例えば、ある人物の対応が雑で癪に障る、という非常に主観的に見える直感も、場合によっては、重要なポイントに対する認識や配慮が欠けていること、したがって、このような重大な問題に気づきもせず雑な言動を取っていることに対する嫌悪感として、非常に価値のある情報となる可能性もあるのです。
 この意味で、「知と情」「利と情」のうちの「情」の部分は、それだけで必ずしも否定的に評価すべきものではなく、むしろ積極的に活用すべき場合もあることに注意してください。
 同様に、「知」「利」は、一見客観的で信頼性が高いようにも見えますが、逆に全く使い物にならない場合もあります。
 要は、「知」「利」と「情」のどちらが優れているのか、という問題ではなく、この両面の違いをしっかりと認識し、この両面を両方とも使いこなすことが重要、ということなのです。

2.ガバナンス(上の逆三角形)の問題
 次に、ガバナンス上の問題を検討しましょう。
 投資家である株主と経営者の関係で見た場合、経営者の資質として、「知と情」「利と情」の、両方の側面を評価しよう、というメッセージとして読むことが可能です。上記のとおり、「情」の強い経営者には刑者の資質がない、ということではなく、「知」「利」と「情」の両面から、経営者の資質を見極めることが重要です。
 他方、経営者から社外とのコミュニケーションを考えた場合、株主の「知」「利」と「情」それぞれに対して、どのように見極め、対応していくのか、という問題と、取引先の「知」「利」と「情」の問題が、主なポイントになります。
 株主については、通常、投資の動機が「利」ですので、「情」の部分が出てくる場面は限られます。「利」に即したコミュニケーションが中心になる、と言えるでしょう。もちろん、株主にも「情」の部分が重要な株主がいますから、例えば、阪急阪神ホールディングスの株主総会では、毎年必ず、阪神タイガースの戦績や選手起用の良し悪しなどに関する情熱的な質問が出されるなど、「利」には全く興味がない「情」的な質問が出されますので、「情」への配慮が必要な場面もゼロではありません。
 他方、取引先については、特に取引先の経営者や専門家などのプロが相手になるほど、上記のとおり「情」に見えるようで、実は非常に繊細で高度な問題になる可能性が高くなります。むしろ、会社内部の問題のように、組織論や指揮系統の問題として処理することができない問題に発展する可能性があり、より慎重な対応が求められる可能性があります。さらに、取引先との力関係によっては、プロの感性として評価されるに値しないレベルの、単なる感情的な我がままであっても、会社の命運に重大な影響を与える危険があります。こちらの方が、コントロールが難しく、厄介な問題となりますが、そのような場面だからこそ、「知」「利」と「情」の違いを冷静に見極め、時にはこの違いやギャップを突いて交渉上の力関係の不利の減少に努めるなどのツールに活用されるべきなのです。
 このように、「知」「利」と「情」を区別する、という観点から分析してみると、株主対応と取引先対応のそれぞれのポイントが浮かび上がってきました。面白い切り口です。

3.おわりに
 松下幸之助氏の言葉から、どのように人をあしらうのか、という、他人の行動を分析し、対策を講じ、あわよくば上手にあしらってしまおう、というツールとしての「知」「利」と「情」の分析と受け止める人がいるかもしれません。
 しかし、氏は、最後に「お互いに実践することによって、よりスムーズな人間関係も築かれていく」と語っています。これは、駆け引きで優位に立つ、という話ではありません。相手を理解することは、確かに目的に対する手段ですが、それは、相手を支配したりコントロールしたりするための手段ではありません。松下幸之助氏の中での目的は、相手よりも優位に立つことではなく、より良い人間関係を構築することです。相手に対するリスペクトが、松下幸之助氏のその他の数多くの言葉から見れば当然のことですが、必要不可欠な前提なのです。
 したがって、「知」「利」と「情」の区別は、あくまでも相手の言いたいことを理解するためのツールにとどまり、相手を支配したりコントロールしたりするためのツールではないのです。
 どう思いますか?

※ 『経営の技法』の観点から、一日一言、日めくりカレンダーのように松下幸之助氏の言葉を読み解きながら、『法と経営学』を学びます。
 冒頭の松下幸之助氏の言葉の引用は、①『運命を生かす』から忠実に引用して出展を明示すること、②引用以外の部分が質量共にこの記事の主要な要素であること、③芦原一郎が一切の文責を負うこと、を条件に了解いただきました。

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