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松下幸之助と『経営の技法』#130

6/24 有害な競争

~資本の力のみに頼る、競争のための競争が、社会にプラスを与えない反社会的行動である。~

 競争は、資本の力ではなく、事業そのものによる競争であるべきだ。同じ種類の商品の競争は、その質と値段においてなされるのだが、コスト安が下心のある赤字、出血サービスでなく、工夫発明によってもたらされたものだとすれば、これは広く社会にとって一つの進歩だともいえる。カゴが汽車になり、汽車が飛行機になったのと同じことで、社会に益するところ大といわざるをえない。
 しかし単に資本のもつ力のみに頼って事を行い、損をしてまで競争に打ち勝とうとするのは明らかに暴力的行為である。それは競争のための競争であり、なにものも社会にプラスすることのない有害な競争である。不当な勢力分野の拡張はいたずらに過当競争をひき起こすだけで、これはまさに反社会的行動である。今日、いわゆる暴力が法律で禁止されているごとく、資本の横暴も一つの罪悪と見て厳しく自戒すべきものである、と私は思っている。私の言う「適正利潤の確保」はこんな安易な考えからは生まれてこないものだ。それはまさに汗とあぶらの産物であって、刻苦勤勉、紙一枚をも節約しつつ、隅々まで工夫を凝らしてゆくところに初めて可能となるものである。そうしてこそ、社会の進歩に大いなる貢献ができるのだ。

(出展:『運命を生かす』~[改訂新版]松下幸之助 成功の金言365~/松下幸之助[著]/PHP研究所[編・刊]/2018年9月)

1.内部統制(下の正三角形)の問題
 まず、社長が率いる会社の内部の問題から考えましょう。
 松下幸之助氏は、理想主義者でしたが、同時に現実主義者であり、合理主義者でした。理想は、彼自身が納得できなければ理想として認められません。
 その中で、①いわゆる独占禁止法に定める競争のルールと、②「適正利潤」の考え方が、現在も結論が出ていない論点について、非常に示唆に富む方向性を示してくれています。
 このうち、①ですが、これは多言を要しないでしょう。供給者側の事情で、市場での競争を放棄し、談合などの不適切な方法が取られるようになれば、短期的には供給者側に利益が得られるかもしれませんが、いずれは市場が崩壊してしまい、供給者側も不利益を被ります。供給者側も消費者側も、共に市場での適正な競争による恩恵を受けている、言わば社会的インフラの利用者です。インフラである市場は公共財ですから、政府の負担で「公正取引委員会」等を設置し、インフラの維持に努めるとともに、インフラを悪用濫用する者を排除しているのです。
 問題は、②「適正利潤」です。
 市場の中での配分を考えた場合、「適正利潤」は、実は経営者にとって非常に厳しいものになります。これは、経営学の世界で、経済学と経営学の根本的に対立する矛盾点として指摘されるポイントです。
 どういうことかというと、経済学から見れば、需要曲線と供給曲線の交わる交点が市場の理想の目標であり、その交点が「適正価格」になります。市場参加者が競争することで、顧客のお眼鏡にかなった価格でなければ売れない状況になり、供給者側の取り分がどんどん削られていきます。それによって、供給者と消費者で両者が納得する価格になる、というのが、経済学の「理屈」なのですが、経営学はこの「理屈」をそのまま受け入れているわけではありません。なぜなら、そうすると供給者側は結局、現実のコストを超えるような負担を受け入れ、利潤を得られなくなってしまうのです。
 つまり、松下幸之助氏も経済学の理論や理想を是として、それを受け止めるための苦労をしているようであり、その一つが、氏なりに解釈し、定義した「適正利潤」です。
 けれども、経営学では、この点に関して経済学と折り合いがつくことを早々に諦めているようです。
 すなわち、市場での競争にそのまま巻き込まれてしまうと、価格競争に巻き込まれ、利潤をギリギリまで削り取られてしまう、それを避けるために、会社は「差別化」を行う、と分析するのです。つまり、経営戦略として見た場合、経営者は、利潤が期待できない市場競争のど真ん中に巻き込まれないように、何らかの「差別化」を獲得することにより、競争に巻き込まれた同業他社が失った利潤を、競争に巻き込まれないことで少しでも維持し、場合によっては、同業他社とは違う土俵での競争によって、より大きな利潤を獲得しよう、と考えるのです。
 このように、「適正利潤」は、経済学的に見ると非常に小さくなりますが、経営学的にそれを回避することに成功すれば、「適正利潤」は違った意味になり、より大きくなることが期待されます。
 このように問題点を整理してから、改めて松下幸之助氏の言う「適正利潤」を考える必要があります。当時、そこまで経済学と経営学の立場の違いが明確になっていなかったように思われます。特に、当時は経済学的なロジックの方が相当強かったようですから、氏は、競争に打ち勝つことの利潤が少なからず期待されるはずだ、それは市場のルールに従った者だけが享受できるはずだ、という経済学上の理論を高く評価し、期待していたように見受けられます。経営学の手法による利潤よりも、経済学の競争の結果による利潤を重視しているからです。
 しかし、真面目に取り組んだ会社が競争に勝って、利潤を手にする、というロジックが、それほど簡単でないことは既に明らかになっています。経済学は、市場に参加する企業全てに相当の利潤を供給することまで約束できません。むしろ、供給者である会社の利潤を削る機能の方が強いと評価されます。
 このように見ると、②「適正利潤」に関する松下幸之助氏は、市場参加者として恩恵を受けている立場として、「適正利潤」を得られると期待したい、だからそれを期待して矜持を正そう、というものであり、経営学から見た場合の経済学の限界を超えるものではありません。競合他社に、品質などで差を付けることができれば「適正利潤」が得られるはず、という部分については、松下幸之助氏の言葉を割引いて考えなければならない、と考える理由です。

2.ガバナンス(上の逆三角形)の問題
 次に、ガバナンス上の問題を検討しましょう。
 投資家である株主と経営者の関係で見た場合、経営者の素養として、独占禁止法などの基礎的で重要なルールを遵守する、しかもそれは、表面的な面子の話ではなく、ビジネスの根幹にかかわる重要なルールだから率先して守る、という意識です。つまり、氏にとって、表面的ではない「コンプライアンス」意識が重要であることがわかります。
 松下幸之助氏のこの自信は、町工場から日本有数の企業を育て上げた自信が前提です。同時に、この自信は、環境や規制の変化に振り回されるのではなく、ビジネスや製造業のあり方に関するリアルな現状認識と、厳しい自己規律や、理想とすべき社会体制・ルールについての認識があってのことです。
 すなわち、経営学の世界で限界と言われた経済学の理想について、氏はその実現を本気で確信していたのです。
 どうやら、「消耗戦」という言葉があるように、経済学の理想とする競争状態は、企業を消耗させ、最終的には企業を弱らせてしまうようであり、だからこそ、(適正な競争の範囲内での話ですが)他社との差別化という戦略が、経営学的に重要なものとされています。その意味で、松下幸之助氏が追い求めていた理想、すなわち自由競争の先にこそ企業の「適正利潤」がある、という認識は、そのままではとても賛成できない状況と考えられます。
 けれども、現在では受け入れにくい理想であったとしても、これを理想として追い求め、会社組織と会社経営を磨き続けてきたこと自体は、間違いではありません。当時、経済学的な理想が経営学的に誤っているなどと、松下幸之助氏に対して論陣を張れる人などいなかったでしょう。問題は、その後の議論の結果、間違いと判明した判断をしていたかどうかではありません。それを言えば、社会の変化に応じて価値観や議論が変化していきますので、正しい結論がないという理由で、永久にビジネスができないことになります。
 むしろ、その時点、その状況に応じて、最も合理的で適切と信じる道に向かって進むしかありません。結論が出ていないことは、チャレンジしないことの理由にならないのです。特に大きな会社ほど、明確なメッセージを示して常に組織の意識やベクトルを合わせ、リードするリーダーシップが必要であり、結果的に方向性に多少の修正が必要だとしても、そのわずかなミスを恐れて何もできない経営者に比較すれば、会社を力強く引っ張るリーダーの方が、間違いなく遥かに素晴らしいのです。
 すなわち、経営者の資質として見た場合、判断の正しさとリーダーシップは、時に矛盾します。そこで重要なのは、必ずしも判断の正しさではなく、強いリーダーシップこそ重要な場合があるのです。

3.おわりに
 冷静に考えてみても、他社との奇抜な差別化に走る前に、まずは基礎的な力をつけ、同じ土俵でも十分戦えるだけの実力を付けた方が、長く戦えるであろうことは容易に理解できます。基礎的な実力も無いのに、奇抜なアイディアだけで戦い続けることは、時間的にも質量的にも限界がありますから、下手をするとその場しのぎとなり、それこそ体力だけ消耗して終わってしまいます。
 つまり、日本産業界がまだ伸び盛りで、市場が成熟していなかったからこそ、「消耗戦」という言葉が出てくるのではなく、品質と価格の真っ向勝負でお互いに成長できた時代だった、と言えるかもしれません。
 当時の時代状況がこのような状況であれば、まずは品質と価格で真っ向から勝負する、という発想こそが王道となります。さらに、そこに思いと信念を込めていくことが、組織を束ねていくうえで非常に合理的な戦略となります。
 このように見れば、現在の成熟した市場で、消耗戦が懸念される状況での戦いについて、松下幸之助氏はどのような戦略を見せてくれるのでしょうか。
 どう思いますか?

※ 『経営の技法』の観点から、一日一言、日めくりカレンダーのように松下幸之助氏の言葉を読み解きながら、『法と経営学』を学びます。
 冒頭の松下幸之助氏の言葉の引用は、①『運命を生かす』から忠実に引用して出展を明示すること、②引用以外の部分が質量共にこの記事の主要な要素であること、③芦原一郎が一切の文責を負うこと、を条件に了解いただきました。


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