十一年前、コドモが三歳の頃に僕が書いた文章を発掘

過去の自分の文章を読むのは気恥ずかしいものですが、これはその時にしか書けなかったよな、と思うと愛おしくもあり。
ツイッター無き時代ならではの装飾的な文が懐かしい(笑)。
再びプロレスを見始める以前、仕事と家庭の間で息が詰まるような生活をしていた三十代の自分。
結構うい奴だったのだなあ。

「三歳の僕と三歳の娘」 2008年3月25日

三歳の頃の僕は、いつも晴れた日差しの中、白くもやのかかった光に包まれて、草むらの上を歩いていたような気がする。
何の不安もなく、何の不幸もない。

本当は雨の日もあっただろうし、兄に泣かされたり父母に叱られて泣いたりした記憶はあるけれども、実感として残っている三歳の頃の僕は、いつも晴れた日差しの中、白くもやのかかった光に包まれて、草むらの上を歩いている。

きっと『光の中の僕』のほうが写真などから連想した捏造された記憶なのだろうが、何故か鮮明な体感として、三歳の僕は光の中を歩き続けている。

全く不思議なくらい時が流れ、僕の娘は三歳になった。
一日のうちに十回は笑い、五回は泣き、一回は怒っているが、果たしてどのような記憶が残り、将来どのような実感が留まるのだろうか。

娘やその友達を見ていると、誰だって三歳の頃は柔らかくて傷一つない、繊細な魂を持っているのだなあと思う。

そして誰もがその美しい魂を維持していくことは不可能で、親に怒られたり友達と喧嘩したり、他人に嘘をつかれたり理不尽な目に合ったり、社会の中で揉まれていくうちに、傷だらけだが鈍感で、時に痛みを感じながらずうずうしく飯を食べられる、立派な大人に成り下がっていくのだろうけれど、せめて今くらいは娘の魂にできるだけ傷を付けないでおきたいと思う。

三歳だった僕は、小ずるく生意気な少年時代、エリートの中で自信喪失気味だった思春期、不器用で不細工な青春時代を経て、人生が半分を過ぎたことを実感できる歳になった。

悔いを残さなかったとは言えないけれど、気がつけば好むと好まざるとにかかわらず、やらなければならないことが山積みになっており、四の五の言わずやるしかない状態である。

普通の人より遅いのかもしれないが、これが大人の実感ということなのだろう。
夢や希望と言ったものはもはや過去のものであり、生きていくために、娘を生かすために役割を果たすだけだ。

時に鬱々とした気持ちになることがあるが、そんなときに心に光を照らすのが、まず三歳の頃の記憶の光であり、これまで生きてきた節目節目にあった、傍目には地味ながらも僕にとっては輝かしい出来事が放つ光である。

世間の親が、子供に過剰な期待を抱く気持ちや、エリート教育する人の気持ちが分からなくもない。
しかし僕はそんなことより、娘が将来、三歳の頃を思い出して、幸せだったなあ、と思えるようにしてあげたい。

三歳以降の出来事が放つ光は時として鈍くなるけれども、三歳のときの光だけは未来永劫その輝きを失わない。
ダイヤモンドのコマーシャルなんかよりもね。
僕はそのことを知っている。

娘が僕の歳になる頃、僕が生きているかどうかは微妙だが、今の僕と娘の関係が思った通りにいっているのかどうかは、そのときになるまで分からないのだろう。
もし生きていれば、娘に尋ねたいと思う。
君の三歳の日々は輝いていましたか、と。

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