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福澤諭吉×TK工房 仮想対談⑫生活保護に物申す

TK「先生、今日は生活保護についての先生の持論を見ていきましょうか」

世の中では、「貧乏救済」とか言うて、その相手の人物の良否を問わず、その貧乏の原因を考えず、ただ貧乏な有様を見て、食糧や金を援助することがある。身寄りがなくて頼る相手がおらんやつやったら、もっともな援助て言えるけど、五升の米をもらったら、三升を酒にして、飲んでまうやつもおんねん。禁酒の指図も出来ひんのに米を与えるんは、指図が行き届いてないところに、度を越した保護を与えるもんやねん。骨折り損のくたびれもうけとはこのことや。イギリスとかでも、貧民対策に悩むのは、この点らしいわ。
この「世話」の意味は、経済論の中でも最も大切なことやから、人間が世間を渡っていくにおいて、職業の別、事態の重要性に関わりなく、いつでも注意しておく必要があるねん。この話は計算ずくで、いかにも薄情に見えるかもしらん。でも、薄くするべきところは、無理に厚くしたり、見た目だけ厚くみせようとして、逆にホンマの人情を害し、人間社会を生きづらくすると、名を求めて実を失うことになんねん。
このように言うたけど、誤解する人がおったらあかんから、念の為にちょっと言うとくわ。道徳的な教えには、経済の法則と相反するものがあるかもしらん。でも、個人的な道徳は、天下の経済に何も影響ないねん。
たとえば、乞食を禁止するていう法律は、もちろん公明正大なもんやけど、それぞれの個人が乞食に物を与えようとする心情は咎めんでもええ。人間なんでもソロバンで決めるもんちゃう。ただ、それを用いるべきところと、用いたらあかんところと、区別することが大事やねん。世の中の学者は、経済の公的な論に酔って、人を思いやる私的な道徳を忘れることがないように気ぃつけや。

TK「先生って、凄いですね」

先生「なんや急に」

TK「ほんま世の中のいろんな事象について言及してるし、知見がすごい。また、杓子定規な理想論だけじゃなくて、実際の感情論のところまで押さえてますもんね」

先生「おう、ようわかってるやんけ」

TK「凄すぎてなんか逆にムカついてきましたわ」

先生「なんでやねん(笑)」

TK「まぁ、真面目な話、この話題は現在でも依然として社会問題として残っているんです。ただ、問題なのは、こういう堕落してるどうしようもない人間がいる一方で、本当に支援が必要な人がこの社会保障を受けれていないことです」

先生「150年経っても、そういうのを見極める有効な手段は出来てないか」

TK「貧困ビジネスとかいうのも出来てるくらいなんで、余計にややこしなってます。」

先生「なんやそれ?」

TK「悪い奴が、貧困者を集めてだまして、嘘の申請を政府にあげる。そして政府から出てくるお金を横取りして、貧困者には微々たるお金しか回さないんですよ」

先生「なんじゃそら!そんなもんビール瓶でどついたれ!」

TK「それ悪いやつがするやつ!」

次回に続く
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