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福澤諭吉×TK工房 仮想対談⑦男尊女卑

TK「先生、ほな男尊女卑について見て行きましょか」

そもそも、この世に生まれたものは、男であっても人間、女であっても人間やねん。この世に果たすべき役割がある、ということで言えば、世の中に一日たりとも男が必要でない日はないし、女が必要ではない日もない。
その働きは同じやけど、ただ違うところと言うたら、男は強く女弱いと言うことやわ。男の力で女と戦えば、必ず男が勝つだろう。これが男女の違いや。
今、世間を見てみると、力ずくで人のもの奪うか、人を辱めるやつがおったら、こいつは罪人として刑罰を与えられるやろ。でもな、家の中で公然と人を辱めることについて、今までこれを問題にする人間がおらんかったんは、おかしな話やで。
「女大学」ていう本に、「婦人には三つ従わなければいけない道がある。幼い時は両親に従い、嫁に行ったら夫に従い、老いたら子に従わなければならない」て書いてある。幼い時に両親に従うのはもっともやけど、嫁いで夫に従うてどういうことやねん。
「女大学」の文によれば、亭主が酒を飲んで、女遊びをして、妻を罵り、子供を叱って、金を使い、浮気をしまくっても、女性はこれに従い、この浮気男を夫のように敬い尊んで、にこやかな表情で、気に障らない言葉でこれを意見せよ、て書いてあるだけで、その先の始末については触れてないねん。
ていう事は、この教えの趣旨は、浮気男であっても、現に自分の夫になった以上は、いかなる恥辱を被っても、これに従わなあかんねんで、ていうことになる。ただ心にもない表情を作って意見する権利があるだけやねん。そして、その意見に従うか従わないかは浮気夫の心次第であって、この心を天命と思うしか他に手段は無いねん。
その一方で女性に対してはやたら厳しくて、「女大学」には、「妻を離縁できる七つの条件」ていうのがあって、「浮気は離婚の理由になる」て言う裁判の結果があんねん。男にとったらめっちゃ好都合なもんやわ。しかし、あまりに不公平ちゃうか。
結局、男が強く、女は弱いて言うことから、腕力で男女に上下の差別を作る教えやねん。

TK「先生、これはあかんすね」

先生「いや、全然あかんで。こんなもん。」

TK「正直こういう風潮最近までありましたし、まだ地方に行ったらこういう風潮残ってると思いますわ」

先生「おいおい君の時代は西暦何年やねん?」

TK「結局、結婚しても働きに出て稼ぐのは男、女性は家庭に入るというのが昔から続く風潮で、そうやって長い間家庭に入ってた女性が、働きたいと思って、外で仕事探しても、まともな働き口がないというのが現状です。家族を養うなんて、到底できないでしょうね。そうなると、どんなに夫がダメ人間で辛くても、耐えて生活を維持しよう、となってしまう。

もちろん、最近は共働きも増え、男女ともに会社勤めで長く働けるようになってきたので、昔より自由に離婚できるようになったとはいえ、会社での出世なんかを考えるとどうしても男女の差別は根強く残ってますしね。女性には生きづらい社会ですよ」

先生「100年以上たっても、まだそんなこと言うてるてことは、むこう100年は同じこと言うてそうやな。ちなみに妾の制度はあるんか?」

TK「さすがになくなりました。でも一応そのくだり、見ときますか」

 世の中に生まれる男女の数が同じになる法則がある。でも、西欧人の研究によると、男の子が生まれる数は女の子よりも多く、男の子が二十二人に対して、女子が生まれるのは二十人の割合と言うことらしいわ。とすれば、一人の男が、二、三人の女性を娶るのは、天の道理にそむくことが明白や。もはや獣というてええ。
 父を同じくし、母も同じくするものを兄弟と名付け、父母と兄弟とが住む所を家と呼んでるんや。しかし、兄弟の父親は同じやけど、母親は異なってて、父親一人が独立して、母親たちがその周りで群れをなすて言うのは、人類の家と言えるやろか。家の定義に反してると思うけどな。
 たとえ、その住居が極めて立派であっても、私の目から見れば、これは人の家ちゃうで。家畜小屋や。
 妾といっても人の子やねんで。一時の欲のために人の子を獣ように扱って、一家の習慣を乱して子孫の教育に害を与え、災いを天下に流して毒を後世に残す人間、これを罪人と言わずして何て言えばええねん。
ある人は言うかもしれへん。「妾を作るのは子孫を残すためや。孟子の教えにも、三つの親不孝の中でも、跡継ぎがいないのが最大の不孝だ、と言うてるやんけ」と。
 答えたるわ。天の道理に背くようなことを言うやつは、孔子だろうと孟子だろうと関係なく、罪人て言うてええわ。妻を娶り、子供を生まないからといって、大不孝とは何事や。仮にも、人間の心を持ってるんなら、孟子のこんな世迷い言を本気にする人はおらんやろ。
 そもそも親不孝て言うのは、子供が道理に背いたことをして、親の心身を悩ますことを言うねん。もちろん、老人にとって孫が生まれるのは嬉しいことやけど、孫の誕生が遅いからいうて、これを子の不幸なんか言うたらあかん。ためしに世間の父母たちに聞いてみたいわ。息子に良縁があって、いいお嫁さんをもらったんやけど、孫が生まれへんからて言うてその嫁を叱って、息子を鞭打ち、あるいは親子の縁を切ろうと思いますか、て。
 世界広しといえども、そんな奇人の話は聞いたことないで。子供がおらんのは不幸やなんていうのはそもそもアホみたいな話で、議論するにも値せえへん。人々がそれぞれ自分の心に問いかけたら、おのずと答えは出るやろ。

TK「先生の言葉のチョイスがキレキレ過ぎてw 家畜小屋てw」

先生「何がや。その通りやろが。」

TK「妾の制度自体はなくなったので、もはや昔話の世界なんですけど、後半の子供のくだりは、今の世でもよく取り上げられる話題ですね。」

先生「子供が出来る出来ないっていうのは繊細な話やからな」

TK「いやしかし、先生、『子供がおらんのは不幸やなんていうのはそもそもアホみたいな話』て、先生の時代にこの考え方できるとか先進的過ぎるでしょ!凄すぎる!」

先生「せやろ。」

TK「だって、明治時代でしょ?ちょっと、前まで江戸やったんですよね?」

先生「せやで。」

TK「江戸てw」

先生「何がオモロイねん」

TK「だって、チョンマゲとかしてたんでしょ?」

先生「せや。」

TK「チョンマゲした商人が元気よく『まいど!』とか言うてたんでしょ?ww」

先生「え、『まいど』て、もう使わへんの?」

TK「いや、使ってます」

先生「お前ええかげんにせえよ」


次回に続く
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