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ヒゲ訴訟を見て、宗教の起源と社畜の関係性を見出した話

最近話題の大阪地下鉄車掌のヒゲ禁止問題

ヒゲ禁止ルールがあるにも関わらず、カッコ良いと思ってヒゲを伸ばしてた車掌が、コラ!って怒られたことで裁判になったみたいですね

カッコ良いと思ってヒゲを伸ばしている私にとっても興味深い話題

私の個人的な考えでは、ルールで明確に禁じられてるんなら、我慢するか転職すればええんちゃうかな?と思ってます

で、私の考えは置いといて

そもそもヒゲって何で禁止されてんのかな?

と妄想してみたんですけど

ヒゲは生物学的にも男性の一つのシンボルであって、古来より偉い人は髭面だったことを考えると

俺は成人した雄なんだぞ!という主張であり、舐めんなよ!みたいな意思表示が根底にあるんだろうと思います

ライオンも鬣(たてがみ)が生えたら、群のボスと戦うこともあるわけですもんね

ボスからしたら「お、こいつ、もしかしたら俺に挑んで来るかもしれん」と警戒をするキッカケになるかもしれません

子供が髭生えた大人を見て不快に思うことはありませんが、大人は不快に思う人がいるということも、こういったことが本能的にあるんでしょうか


また、この髭の道理を理解した上で面白いのは

古来より「髭を剃ってはいけない」と定めている宗教があることです

有名なのはイスラム教ですが

実はこれも信者によって解釈が全然違って

髭剃り一切禁止、手入れはOKだが剃るのは禁止、別に剃っても良い

と、学校の校則並みにバラエティに富んでます

※私はコーランを読んだことないので、髭についてどう書いてるかわかりませんので、どの解釈が正しいのかは置いときます


さて、髭に対するルールといっても、所や立場が変われば、これだけ変わるので、実際のところ正解はないから、何でも好きにしたらええし、好きにした責任は自分で負いなさい

というのが答えなのですが


人は誰しもが、自分の頭で考えて、自己責任でこの世知辛い世の中を生きていけるわけではありませんし

そもそもそれを望んでいない人もたくさんいます

多少理不尽であっても、誰かに決めてもらう方が、頭も使わなくて良いし、生きる上で精神的に非常に楽になりますもんね

今風に言うと、人生選択の外注です

で、「この理不尽であっても」というのがポイントで

宗教というのは、理不尽がないと成り立ちません

何の制限もなくて、メリットしかない宗教なんてありませんよね?

例えば、1日5回お祈りをしないといけないとか、牛を粗末に扱ってはいけないとか、肉は食べてはいけないとか、日曜は教会に行かないといけないとか、お墓参りをしないといけない、サロン主に自由に意見を投げかけてはいけない、などなど

これら、合理性のないルールが必ず存在します

言い方は悪いですが、このある種理不尽なルールを守らせる事によって、信者を精神的に守っているわけです

こんな厳しいルールにしっかり従っているんだから、何か起きても大丈夫。神様は見てくれている。
例え悲劇が起きても、それは神が与えた試練だ、と思える事で精神的に護られるわけです。

このメカニズムは、人生を他責にすることで自分を精神的に守るというものです。

一方、もし普段このルールを疎かにしてしまっていると、何か起きた時に「やっぱり自分が守っていなかったのが悪かったんだ」と自責に向かうメカニズムが発動します。


と、考えているうちに、社畜という文化が日本で根付いてしまったのは、根本的に無宗教が関係してるんじゃないか?ということにぶち当たりました

しっかりとした数字的根拠があるわけじゃないですが、よく働き方、生き方で日本と比較される米国や欧州諸国って、みんな何かしらの宗教に入ってることを考えると

「仕事なんて人生の一部」という彼らの考えの根底に、それぞれの宗教的教えがあるのではないでしょうか

つまり、心の拠り所として宗教がある

別に会社にどう思われようが、拠り所である宗教の教えに従い、やる事をしっかりやっていれば、心は強くあれる

一方、日本には外国ほど熱心な宗教がないので、そういった意味では心の拠り所がなく

その代わりにそれぞれの会社(及びその社則)が心の拠り所として根底に入りこんでしまってるんじゃないかと

だから、基本は人生において仕事を優先的に考えるし、理不尽なルールも甘んじて受けいれる。

とりあえず、縛られながらも仕事を毎日することで精神的に安定する

もし理不尽に罰せられても、自分が悪かったんだと思い込んでしまうようなブラック企業社畜マインドも、すんなりと理解できてしまいませんか?


働き方うんぬんについて語る人はプロアマに関わらず山ほどいますけど、この点にフォーカスを当てているプロがいたら、この僕の妄想に関してぜひ見解を頂きたいので、面白かったという人はシェアしてもらえると嬉しいです。

※本稿は宗教および信者を蔑むものではなく、多様な生き方という観点で考察したものであり、良い悪いを問うものではありません。

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