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お笑いド素人のド素人によるド素人のための記事

笑いとは、人々の想像や期待を裏切ることで生まれる。


基本的に「笑い」と聞くとボケとツッコミ、ギャグ、などが思い浮かべられると思う。

しかし、これらは前述の「人々の想像や期待を裏切って」初めて面白いものとなるので、これらが絶対的に面白いわけではない。

つまり、手段であって目的ではない


普段会話をしていると、普通誰もが自身の経験則から、この話はこういう展開になるんだろうなという想像や期待を無意識のうちにする。

そこで、その想像や期待を裏切られると

え、どういうこと!?となり

今何が起こっているのか?ということを理解して初めて、笑いに変わる。

相手が普通じゃないおかしいことを言っていると認識して、「そんなわけがない!」と自分の中でツッコむことで、笑いに変わるのだ。

これは、人が日々、秩序の中で生きていて、そこで急に混沌をもたらされると、感情が揺さぶられるが、その混沌の原因を理解することで秩序が戻り、それに対する安心が笑いに変わっている

と、思っている。

お笑い専門家でもないし、精神科医でもないので、完全に思い込みと勢いで書いているが、御容赦頂きたい


さて、今、サラッと「ツッコむ」という言葉を使ったが、これが非常に重要になってくる

実は、これは「今何が起こっているかを瞬時に理解し、秩序を戻すのに一番最適な言葉を選ぶこと」が求められる

お笑いの世界に生きている人間でない限り、普通の人には当然ハードルが高い。

だから、お笑いには「ツッコミ」というポジションが存在するのだ。

普通の人が「え?」となっているところに、「ツッコミ」が的確な言葉で秩序を戻してくれるので、笑いに変わる


この能力は、多少才能にも関わってくるが、基本は訓練で身につく。

要は、秩序と混沌のパターンをディープラーニングすることで、ある程度、話の展開に予想がつくようになるのだ。

この人なら、このタイミングでこういうボケ(混沌)をしてくるだろうという、
ある程度のあたりを頭の中でつけ、実際のボケが来たら、用意していた回答の中から
それに最適なツッコミ(秩序)を選んで返すのである。

もちろん、漫才やコントなどは度重なる練習の上に成り立っているので

頭の回転が速くなくても、おもしろい作品は作ることができるし、的確にツッコむことができる。

しかし、フリートークとなると、そうはいかないのだ。

フリートークの際は、上記の流れが、あのボケとツッコミのスピードで出来る必要があるため、ツッコミは頭の回転が速くないと出来ない。

ネタは面白いのに、フリートークになると全然ダメな芸人というのは、こういうところに原因がある。


この点から見ると、やはり関西出身というのは有利に働く

それは関西地域では、普段の会話にこの秩序と混沌があふれていて

なんなら、「混沌待ち」と言っても過言ではない世界が広がっているのだ

そんな世界で幼少期から鍛えられているので、いわゆるディープラーニングしている量が違うのである。

さて、「秩序」という言葉を既に繰り返し使っているが、簡単に説明すると、それは普段から
ルーティーンでこなしてきて、今までも、そしてこれからも予想がつく世界のことを指している。


そこにきて、関西人は「混沌待ち」しているものであるから

他地域の人が、秩序立った話をし始めるているのを聞くと

「お、この秩序をどう壊してくれるんや?」と勝手に期待して聞くのである


それが、聞けども、聞けども、秩序立っていて、まったく混沌がこない

というか、そもそもそれが普通。

なのに


「え!?お前の話、めっちゃ秩序立ってて、全然おもんないやん!」


となってしまうのである。


もはやツッコミで混沌をもたらす高等テクニックと言っても過言ではない。


なので、こんな混沌待ちしている輩には、「今から話す話は、めっちゃムカついた話やねん。特にオチはないねんけど、ただムカついたって話を聞いてくれる?」と言うと良い。

するとさすがの関西人も、混沌待ちしなくなるので、忙しくない限り、案外「ふんふん」と聞いてくれる。

まぁ、せっかちな奴が多いので、「いや、オチないんやったらええわ」となる可能性も多いかもしれないが。


さて、ここまで読んでいただいた人であれば、ギャグがなぜ子供にウケて、大人にウケないのか想像がつくだろう。

大人に比べて、子供は圧倒的にディープラーニングの量が少ないので、話の展開を予想できない。


つまり、話の混沌と秩序が理解できないのだ。


しかしギャグは違う。

ギャグというものが、明らかに自分が見てきた
世界の中で異質なものであり、それが彼らの経験不足な秩序の中に混沌をもたらしているのである。

ある程度、経験で話の予測をつけるようになった大人にとって、前後の文脈が全く関係ない
「ギャグ」が面白いものになるのは、極めて難しいのだ。


一発屋が子供に受けやすく、また簡単に飽きられるのもこのメカニズムである。

結局、目新しくて面白いものが、見慣れてしまうと当然、認識の中で秩序側に移動してくるので、面白くなくなるのだ。


一発屋が消えていくのもこのメカニズムを理解していないことが原因だろう。



・・・とまぁ、実は、昨日やっていたM1を見て、自分なりの評価を書きたいなぁと思って
かき始めただけなのに、こんなダラダラと書いてしまっている自分にビックリしている。


上記ダラダラ書いたことも含めて、僕が言いたかったのは、「和牛の一発目のネタが破壊的に面白かったよね。」ということでした。

おしまい。

サポートいただいたお金は、こんな僕を育ててくれた母ちゃんに還元したいと思います。