【ドイツ語】さらば我が愛しき大阪ゲーテ

一時期通っていて今もドイツ語のテストの時に行くGoethe-Institut Osakaが今年中に閉館するらしい。

通っていたのは10年以上前でA1.1を複数回受講するというポンコツっぷりだったからドイツ語に苦戦した(今も大苦戦している)思い出しかないのに今振り返れば遅く来た青春みたいだったと思う。

日本人で日本語を話すのに変わり者な上にポンコツな私のような人間にとってはこの国はとても生きづらい。(他の国で生きたことないけど)
しかしこの大阪ゲーテという空間は私と同じかそれ以上に変わり者で気の良い人達の集まる場所でとても居心地が良かった。
人間関係を続けるのが大の苦手な自分にしては珍しく今もつながっている縁があったりして、かなり思い入れの強い場所だ。

それがまさかなくなるなんて!

ドイツ政府が設立した公的な国際文化交流機関(Wikiより)だから、ずっとあるとか、いつかなくなるとかすら思わないくらいそこにあるのが当たり前の場所だった。

10年以上前にドイツに行ってからは完全に燃え尽き症候群になってしまい以降ドイツ語は辞めていたけど子供が生まれたことをきっかけにドイツ移住を真剣に考えるようになったここ数年は自習でドイツ語を再開した。
そして度々大阪ゲーテにテストを受けに行っては落ちる日々を過ごしている。
B1レベルすら受からないのってどうなの?という根本的な問題はさておき「いい加減またゲーテに習いに行こう」と決めた矢先のニュースでかなり動揺している。
なんなら今月から通おうと思ってたよ。

今から閉館までは同窓会みたいに知っている人たちが集まらないかな~と淡い期待をしている。
たとえ知っている人たちがいなくても日本の中にある異国の地であるあの場所には面白い人たちが集まってくることはわかっているけど偏屈というかへそ曲がり人間だから大阪ゲーテに通うことはもうない。
きっと来年の今頃には大阪ゲーテの最期を見届けなかったことを後悔していることだろう。

根性がないのに諦めが悪く素直じゃない。

大半の悲劇はこの性格が原因だとわかっているけど改善できないし多分このまま死んでいく。
今まで失ってきたもの以上に、この性格のせいでこれからも多くのものを失っていく。
理想の人生なんて一生送れない。毎日が後悔と自己嫌悪の連続。

だとしても大阪ゲーテが人生から失われるのは痛すぎる。
あるけど行かないのと消えてしまうのは全然話が違う。

ドイツ語を学ぶ方法はいくらでもあるし他のドイツ語教室もあることはわかっていても、あの空間がなくなってしまうことがとんでもなく悲しい。

こんなことならもっと早くドイツ語を再開して大阪ゲーテに通えばよかった。
そしたら今頃B1は取れていたかもしれないし、この閉館のニュースも外部者としてじゃなくて参加者として悲しみを共有できたのに。
もう今から白々しく通いだして長年の参加者の振りして悲しむなんてできない。

ドイツ語を辞めている間も新学期にはサイトを見ては「このコースだったら行けるな」と思う程度には気にしていた。
おかげでドイツ語は自分にとって苦しめられても嫌いになれない存在という好きとか楽しいとは違った別物であると自覚できた。

さようなら大阪ゲーテ。

私をドイツ語の世界に入れてくれて本当にありがとう。
ドイツに移住して向こうのゲーテに通うことが恩返しだと思っているから実現しようと思う。

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