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何十層世界

私は、確かに見たのです。インドラの張った網のひと握りを。
切れ端を空中のなかに彷徨わせている蜘蛛の糸、それは陽の光を受けて、絹糸のように輝かしく光っていました。
そのまま進んだら、顔にべっとりとついてしまうであろうそれを、私は避けきれずに、風で心細そうに漂う端に、私の頭が重なりました。
間違いなくそれは、私の顔に当たったはずなのに、私の顔には、粘着質のか細い糸がくっつく感触が分かりませんでした。
この世がもし、目の網膜のそれより細かくて、精巧な網が張り巡らされ、その網目が重なった一つ一つに、物体のの質量が絡め取られ、私たちが触れて分かるように物質として、誕生するのなら……。
私の目には、蜘蛛の糸の切れ端のように、映ったそれは……。
私は確かに、インドラの張った網のひと握りを見たのです。
嘗て法華経に記され、それに深い感銘と、影響を受けた、孤独でありながらも、身のうちに深い世界を宿した、星の河と鉱物砂礫で出来た岸を愛した詩人が詠んだもの。
世界に張り巡らされた、本来あってはならない網の破れ目は、そのうち天の使いの、星雲色の紗の着物に星座の留め具をあしらった童子がやって来て、銀の糸玉で、紡ぐのでしょう。
真新しい部分には、今度はなんの獲物がかかるのでしょう。
私は、日を改めてまたここに来る決心をしました。
今度は、空間が割れて、張りぼて世界の歪さを、見ることができるかもしれませんから。


しばらく歩いて、川の流れが段差を越えて、勢いを増しているところを見かけました。
私は、その近くになにか大きいものが泳いでいるような姿を捕らえて、うんと目を凝らしました。
最初は、果てしなく大きなドジョウのような、大袈裟な姿の魚類が泳いでいるものと、思われました。
ひょっとして、天から零れ落ちた龍の雛ではないかしら。
私は、人知れずそんな思いに駆られて、そのよく分からない影の正体が一体何なのか、観察してみました。
よく見ると、それはなんでもないものでした。
川底に沈んだ流木に、長い藻が絡みついて、風に靡く長い髪のように、もさもさした体を泳がせている、生命のないものでした。
私は、なぁんだと少しがっかりしました。
けれども、私はその時、よくよく考えてみました。
私が、そう思ったから、私の目にそう見えてしまっただけなのではないか、と。
過去の経験や記録保管庫である脳から、こうだと考えられる事象を、目の前の光景に当てはめると、途端に、本来の姿はめっきり見えなくなって、私が無意識に好ましいと思った影を、それに被せてしまったのではないか、と。
ともすれば、私がもずくの親分が水に抵抗している様だと捉えずに、初めに思った、得体の知れない生き物だとか、龍の落ち雛だと感じたままでいれば、そのように、目の前の現実に展開されるのではないか、と。
だとしたら、私が常識の手に叩かれて、目を覚ますまで、夢の中の生き物は、生きていたのです。
少なくとも、私の頭の中では。
私は、一瞬のうちに、一つの古代魚と龍を産み、光が通るより早く、長い体の古代の主と、煌めく鱗の神聖な生き物を、殺めてしまったのです。
神の真似事をした上に、自分のした過ちを気付かぬうちに、塗り重ねていたのです。
なんという罪人でしょう。
大人達は、子供の無邪気だという遊びに巻きこまれて、殺められる虫の魂を可哀想だと、口を揃えて言いますが、そんな大人達でさえ、昔は沢山の数え切れないほどの生き物を、この世に誕生させて、殺していたに違いないのです。
大人達は、子供が生み出した新しい生命や、ひいては友達を、まるでこの世に存在しない幽霊のように扱って、その存在を頑なに認めようとしません。
そのような事は、子供の時の、もしくは夢見がちな人間の、空想に満たされた頭の中にしか、存在してはならないとでも、言うように。
先程、インドラの輝かしい網を通った私の心境は、選ばれたものにしか通るのを許されない門をくぐり、厄をきれいさっぱり落とされた殉教者でしたのに、今は世界で禁忌と呼ばれるものに手を染めた、極悪も大罪も可愛らしく聞こえる、闇の魔王の心を勝手に宿されたようです。
私は、いてもたってもいられなくて、強い風が吹く中、半分逃げ帰るような気持ちで、家へと向かいました。
翌日になって、昨日訪れた、世界の綻びが感じられる場所に行ってみると、そこはもう元の通りに戻っていました。
例の童子か別の使いが、きっちりと役目を果たしたのでしょう。
私は、もしかして自分の他にも、網の破れ目を目撃したものがいるのではないか、と思いました。
その者は、ひょっとして網の境目を潜り抜け、こことは違う、向こう側の世界に到達したのではないかしら。
その時から私は、蜘蛛の糸の切れ端を見る度に、そんな思いに駆られるのです。

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