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月桃の花と象牙の女

港を牛耳っている商人の家には、それはそれは大きな物置がある。
そこには、もう買い手がつかなくなって処分に金もかかる骨董品や、祭りの日にしか使わない錆びた祭具のようなものがどっさりと仕舞いこんであった。
古物の密林の中で、ひっそり隠れ住むように置かれた、品物の中に、三日月のように弧を描いた象牙があった。
象牙には、女の精が宿っていた。
女は、物置の窓から毎晩のように本物の月を眺めて、ため息をついていた。
「本物の月は、太陽から光を借りてはいるが、まるで自身で光っているように照り輝いている。万物の命に温みを宿す陽の光を、銀の鏡で送り返しているから、どことなく柔らかい。」
「しかし、あたしはどうだ。自分で光を宿すことも出来ず、白い体は硬いばかりで、ほんとうに作り物のように冷たい色で、面白くもない。」
女の、常人に聞こえるはずもないため息は、羨望と嫉妬の気を、月の満ち欠けか、陰陽図のように繰り返していた。
ある日、商人の家で大きな宴が催された。
女が宿っている象牙は、衆目を集めるように、と大広間の、それも中央に移された。
そもそもこの宴は、商人の人脈作りと、客人からのお世辞を耳に入れて、悦に浸る為のものである。
只人には見えない女の耳に、本音を隠した中身のない言葉が、嫌でも入り込んでくる。
「こんなものを聞いているなら、夏の晩の、鈴虫たちの歌声を聞いている方が、よっぽどましだ。」
女は、横になって、頬杖をつき、間抜けな顔で大欠伸をした。
最もそれを窘めることが出来るものなど、誰もいないのだが。
塵芥のようにどうでも良い会話をぼんやり聞いているうちに、思考が夢の彼方へと飛び立ちかけたが、がやがやとした、鴨よりも煩い声の中では、どうしても寝入ることが出来ず、少しは面白いものが無いだろうか、と女はきょろきょろ辺りを見渡した。
ふと、隣に何かの鉢植えが置いてあるのに気がついた。
白い磁器に青い釉薬を塗られたそれの中には、想像でしか知りえない南国の砂が入れられて、白く小さな花が植えられていた。
白く小さな、痩せた梅のような形の花は、花弁の先端に、化粧を覚えたばかりの、娘の唇のような色を称えていた。
どことなく、産毛が生えた生き物を思わせる妙な気配もあった。
女は、初めて見る花に魅入っていた。
「人の事をそんなにじろじろと見つめるなんて、失礼だとは思わないの」
ふいに、花から声がした。
女は、はじめ狼狽えたが、花にも精を宿すものがいるのを思い出して、毅然とした態度で、少しぶっきらぼうに答えた。
「ふぅん、お前は目覚めたばかりの様だね。しかしまだ霊の姿を得ていない。それなのに、私に向かって、なんだその物言いは。」
「この家の旦那様が、毎日私を愛でてくださったので、私は意識を宿せたの、ずうっと湿っぽい物置に置かれて、このような日にしか、お天道様の下に出られないひとに、文句を言われたく無いわ」
女は、なぜそれを、と聞き返そうとしたが、花なのだから、私の象牙の体に積もった埃の匂いでも感じ取ったのだろう、と一人、心の中で納得した。
「綺麗な花に生まれなかったあなたはかわいそう、暗くて、話し相手もいない物置で、ずうっと暇を潰しているんでしょう。」
「ふん、いつか儚く散ってしまう生き物よりも、永遠にあり続ける久遠の石のような方がよっぽど良いさ。」
「分からないこと、短い命でもたくさんの人に毎日愛でられて、世話を焼かれる方が宜しいのに、無駄に長く生きるなんて、考えただけでもぞぞっとくるわ」
「お前に、考える頭があるなら、そうなんだろうねぇ。」
「私の頭は、ただの飾りでは無いのよ。あなたが思っているよりは、ね。」
「ふん、若造のくせに口ばかり達者なようじゃないか」
このような事を、月桃の少女と象牙の女はいつまでも言い合っていた。
女は、少しばかり気が紛れるような思いがした。

真上の月が雲に翳った。
宴もたけなわ、人もまばらになり、酔った客人を、従僕が支えて、侍女が背中を摩っていた。
「綺麗な花も、人に見られないようでは、まるで意味が無いだろうね」
「そっくりそのまま、あなたにお返しします。」
どうやら、この生意気な花は、本当に頭に来たようだ。
「……少し疲れました。今宵はこれでお暇します。」
「あぁやっとかい、これで少しはせいせいするよ。」
象牙の女も、久しぶりに誰かと喋って、しばらく使っていない頭の部位が、くたびれたような気がした。

女は、朝一番に仕事をする、陽の告げ鳥の可愛らしい鳴き声で目が覚めた。
微睡んだ眼で、隣に咲いているであろう、小憎たらしい花を見つめた。
半分目覚め、半分眠った頭の中に、枯れた花が飛び込んできた。
「ふん……。あいつめ、ようやく、話せるようになったばかりで、昨日の晩に、話し込むのに力を使い込んでしまうとは、大馬鹿な奴だ……。」
月桃の花は、まだ蕾だった。若い梅の形は、すっかり干されて、しわしわになった老婆のようになっていた。
あの花が咲けば、それはそれは、可愛らしい黄色をのぞかせてくれたのだろう。
「だから短い命など、意味が無いというのに。」
象牙の女の、少しばかり寂しそうなため息は、
宴の後始末の為に、早く起きてきた侍女には聞こえなかったようだ。
侍女は、何も知らない顔で、青色の鉢を持ち上げ、何処かに持って行ってしまった。
鉢の中身の枯れ草は、庭土の肥やしになってしまうだろう。
別の侍女と、従僕数人が、象牙の女に近づいてきた。
女は、またあの黴臭い物置に戻されて、体の上に、赤い埃避けの布をかけられてしまった。
この次の、商人の為の宴が催されるのは、いつになるか、検討もつかない。
「椛の葉が赤く染まる頃になると、また盛大に馬鹿騒ぎをし始めるかもしれないな。」
女は、その季節が来るまで、深い深い眠りに入る事にした。
もう、陽の告鳥の鳴き声でも、生意気で可愛らしい声でも起こされない程、深い眠りについた。

本当のところは、起きる事が出来るかどうかなぞ、女にとっては、どうでも良かった。
もう二度と目覚められなくても、大した問題ではなかった。
崩れた物置の壁から、すきま風が入ってきた。
柔い風は、白い三日月のような象牙の上にかけられた赤い布を、少しだけ揺らした。

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