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不協和音(10)

かくして城は他のバンドマンより幾分遅いスタートラインに立った。

しかし社会人になってからの城の周りに楽器を弾ける友人はいなかった。才賀とも卒業してからは疎遠とは言わないまでも接点がなくなり、わざわざ初心者相手にベースを教えてくれるような奇特な人もいない。かと言って今さら教室に通って習う勇気もない歳だ。

何はともあれまずは形から入ろう。楽器を買って引っ込みがつかなくなれば嫌でもやるしかなくなるだろうと安易な思いで城は大型の楽器チェーン店を訪れた。
幸い仕事をしていれば学生の頃よりは金銭的にも多少の融通がきく。でも初めから高い金額の楽器を購入して万が一途中で諦めたら、飽きたらなんて考えだすとそこまでハードルを上げたくもない。

そんな思いで売り場を眺めていても店員は容赦なく「何かお探しですか」なんて聞いてくる。何かをお探しなんじゃない、生憎やりたい楽器だけは決めてある。
私は、私にしかない何かが欲しいんだ。そこにもう疑問はない。

そう思って城が選んだのは中級者向け程度の金額の、木目が映えるプレシジョンベースだった。楽器だけでは音が出せないんでアンプも要りますと言われればじゃあそれも、シールドも要りますと言われればじゃあそれも、チューナーが要りますと言われればもちろんそれも。

初心者向けセットなら初めから何でもついてこの価格なんてやつがたくさん並んでたけど、私が欲しいのはそっちじゃない。一目見て気に入っていたこの子が欲しいんだと思えばもう迷うことはなかった。

まずは渋いと言われようが何だろうが木目が見えるやつ。後からサンバーストって名前を知ったがこれはけっこう王道らしい。服は黒みたいなものしか着ないくせに楽器はスタンダードが好きだなんて笑える。でもこういうものはフィーリングでしょ、なんて根拠のない自信が彼女にはあった。

こうして楽器は手に入れた。バンドスコアと呼ばれる楽譜はすぐ買わなくても、よく買う音楽雑誌の最後の方に載ってる。その時々で流行ってる曲のスコアが載ってるあれだ。好きなバンドや引きたい曲が増えてきたらスコアはいつでも買えるしと思った。

でも肝心のそのスコアはかつて城がこの世になくても良いと思っていた五線譜そのものだった。「こんなん読めるわけないじゃん」と思っていたら、下の方に音符とは別の数字が羅列してある楽器別の何かがあった。タブ譜というものらしい。よく見たら確かにベースを表す四本線に数字がたくさん書いてある。これがフレットを指すんだ、と気づくまでにもしばらく時間を要したけど。

それにしてもベースって聞き取りづらい。言い方は悪いけどギターやドラムなんて放っておいても耳が聞き取るのに、ベースは意識しないと耳に入ってこない。

それでもどうにかこうにか弾いてみたら、間違った時の違和感だけはしっかりとあるのだ。時間かかりそうだなと思ったものの、左手に弦の跡が残る感覚がやり甲斐になったこともあり、城はゆっくりと少しずつ楽しさを覚えていった。

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