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超次元的実戦川柳講座 その8「次元を超えたところのスターバックス伊那中央店(いま、あなたがここにいてほしい)」


(最初に注。今回は書き下ろしになります) 
(続いて注。というわけでこんにちはー。忘れた頃にやって来る超次元的実戦講座です。今日で8回目になりましたね。最初に予告していた通り、というか何となく言っていただけなんだけど、とりあえずの1クールが終わりです。六月からまた新たな単元はじめますね。というわけで引き続きお付き合いのほど、よろしくお願いします。という宣伝も終わったところで、今回は、今までの補論を少し、したいと思います)
(ついでに、いつもながら一部有料です。定額マガジンで読むとおとくです)


1.そもそもこの講座の問題点

 といきなり自己批判をしてしまいましたが(昔なら総括しろ、とか言われたんでしょうか。さすがに私もそこまで昔の人間ではありません)、川柳講座その1からはじまる「川柳の作り方」を見た時、前提として「17音」があったということです。もっと言えば、5・7・5に「あてはめる」ことを目安にして講義を進めてきました。
 参照としてこちら→超次元的実戦川柳講座 その1
 で、ですね。川柳には17音でないものも当然あるわけなんですよ。これで一句? と思うような句もあります。一句引きます。

  埋没される有刺鉄線の呻吟のところどころ。
  秩序の上を飛んでゐる虫のきらめく滴化
    /墨作二郎


 しつこいけど、この二行で「一句」ですからね。まあ極端な例を挙げたんですが。こういう長い型式を「長律」と言います。型式と言っても、ここに5・7・5・7・5・7・5とかそういう「型」があるわけではない。
 あくまでこの句のベースになるのは、「句としてのバランス感覚」以外の何物ではありません。
 また、「短い」ほうは「短律」と言って、例えばこんなのがあります。

  罠か
    /柳本々々


 ほんとにしつこく言いますが一句です。これらを読んでもらえればおわかりのとおり、一定のリズムによって一句が統御されています。
 で、これは必然性があるんですよ。
 作者が何を考えていたか、それは知りようがありません。ですから、読者の私たちが(ここで閑話。作者がブラックボックスとして見做されるのに、なぜ読者は「私たち」として無遠慮に同化共感することが可能、あるいは可能と思われることに鈍感なのか。閑話休題)、「読む」ときに発生する必然性ですね。
 この句の「意味」は読む人の数だけあると思うのです。ですから、その「意味」が人の数だけ発生する、という点に留意してください。なぜ人はこれを「読んで」しまうのか。そこには言葉のひとつひとつのベクトル、またそれと背中合わせの音律、などが複合されていると、とりあえずは言えます。
 ただ、真に重要なことはその「読解」ではないんです。いや読解はある地点においてとても大切なことではあるんだけれど。少なくともこの講座で大切にしたいものは、「各人がそれぞれの読解をしてしまう」という運動そのものを見つめるところにあります。
 なぜこれらはそれぞれの読解をしてしまうのか。
 結論から言ってしまうと、これらが5・7・5で無いから。
 といきなり大上段に構えましたが、どういうことか見てみましょう。
 ちょっと話をわかりやすくするために、皆さんがこの「埋没する〜」の句を「作る」立場として考えてみてください。
 この講座では、ある言葉を思いついて、そこから5・7・5にどれだけ嵌めて行けるか、ということを進めてきました。(参照→超次元的実戦川柳講座 その6 )
 で、この「埋没する〜」の句に関しては、それが通用しない。5・7・5じゃないですからね。空いた2字をどうやって埋めるか、とか意味ありません。
 ではどうやって作るか、と言ったら、自分だけの「定型」を自分だけで作るしか無いのです。これは自分で定型の字数を作って、そこに数の合う言葉を当てはめていくという意味じゃ無いですよ。まあ、そうして作ったのかもしれないですが、他人の作者のことはわかりません(笑)。
 ただ、自分の「定型」を作るって、自分がその句の世界をすべて作ることではあると思うのです。
 世界は別に美しいものでも、整然とあるものでもありません。しかし、ある人が「世界」を作った時、作った人間の言ってしまえば「癖」みたいなものは反映されるわけです。その「癖」をそのままダダ漏れにするのではなく、自分の「癖」をいかに制御していくか。そのせめぎ合いにこそ「世界」は生まれるし、自分の「世界」と他者の「世界」を決定的にわかつ指標もあると考えられます。
 ですから、人はそれぞれの読解を、それぞれの世界にしてしまうわけです。
 そしてこれが、自分だけの「定型」ということです。
 定型というものが、自分で自分を律するものであるということ。それが、この「埋没する〜」の句も定型である、と言える根拠になっていると思います。
 逆にこれは、「じゃあ、なんで5・7・5の17音なんて必要なの?」という問題を照射する問いに跳ね返ってきます。さあ、なんで17音なんでしょうか。なんで5・7・5なんでしょうか。次節で見ていきます。


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