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クソガキが関東に行くまで/1

前回簡潔に自分の「今」をお話しました。なので、自分を振り返るということも含めて、過去紹介やってみます。


「喋らない子」

1999年3月に僕は爆誕しました!

幼稚園の中学年に上がるまで、僕はあまり人と話さず遠くから人の動きを観察する子だったそうです...。

今思えばほぼ一年近く歳が離れてるのであまり喋らなかったのも当然なのかもしれないです。

また学んでいる途中だったのかもしれないです。加えて「ビビり」なので見ているものが害を与えないものか観察していたのかも...。


「母の苦悩、一方僕は」

僕が喋らないことで母は苦悩したそうです。なぜうちの子はこうなの?と。幼稚園の先生にも相談していたと聞きました。

そんな苦悩を知らない僕はいつの間にか友達を作って遊ぶようになっていきます。

子どもながらに社会の簡単な仕組み、みたいなものがわかったのかもしれないです。

単純に怖くなくなっただけなのか今はあまりわからないですが...。


「小学校に上がり問題に直面」

小学校に上がり、同じ幼稚園の子と同じクラスになりボチボチとクラス内に友達ができ始めました。

が、やっぱり「ビビり」はそう簡単には変わらないみたいで笑
同じ地区に住んでる子とばかり遊んでた記憶がうっっすらあります笑。

まさに** 「金魚のフン」**

〈そしてプチ事件が起こります。〉

二年生に上がりクラスに友達が0人になりました。「ビビり」の僕、どうしたか。

プチ不登校をかまします。

当時、集団登校をしていたのですが、学校に行きたくなさすぎたので嘘をついて集団から外れました。

そのまま探索を始めたり、やってない宿題を公園でしたりしてました。まぁすぐ学校から親に連絡がいき、すぐに見つかりましたが。

そこから2〜3日学校を休みました。

母にこっ酷く怒られた後、なぜそんなことをしたのか的な話をした気がしますが具体的には思い出せないのです。
ただとりあえず学校に行き始めます。

話を聞き休ませてくれた母に感謝してます
この時だけでなくここから度々迷惑をかけるのですが、見捨てないでいてくれた親には本当に感謝しています。

ビビり」の僕、ここでようやく勇気を出して声をかけ始めます。たぶん初めて自分から友達を作りにいったのでは?と今振り返ると思います。

そこからはトントン拍子で友達できました。


「順調には進まない」

友達もでき始め、「ビビり」ではありますが、若干「目立ちたがり屋」なのところがあったので学校行事も精力的に参加!

順調に進んでる!と思いきや、進みません。

表向きではいい感じでした。
しかし、よく親に怒られていたことや、一人よがりに考え、自己完結させる性格が災いし
この頃の僕は自分でいらない子認定をしていました。

何を言っても親が意見を変えることはない。
親は正しく、自分がダメだから何処かに消えてほしくて怒っているのだ。

みたいな感じで当時の僕は自分や親のことを考えてました。
卑屈感満載です...苦笑。

誤解を生みそうな書きかたをしてしまったので言いますと、確かに理不尽に怒られたりはありましたが虐待とか酷いことはされてません!
いい親です。今なら思えますし、尊敬してます。
親も人なので、嫌なことがあったら当たりたくもなりますよね笑
子どもに当たるのは良くはないことですが、仕方のないことです。当時の僕はここまで思えなかったのですが...。

この認知が小学校六年生に起きたある事件で僕の性格に深い影を落とします。

事件の内容は家庭内のことなので伏せます。

先ほどの認知に加えて、割りかし感受性が高いこともあってこの事件での悲壮感をダイレクトに感じました。
そして「不要な子」認定の確立。それに加えて「自分と関わる人は不幸になる」認定も確立!

今思えばアホですが、僕は要らない子だから怒られている。僕が良い子ではないから大事な家族に不幸が起こった。

幼い僕はこう思わないと生きていけなかったのだと思います。
そんな思いを抱えながら中学生へ

中学生編はまた明日

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