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流れていかない

 指先一つで、想い出は消えました。
 桜の開花宣言が出され春がきたと言われましたが、曇り空に包まれた海辺では冷たい風がどこからか運ばれてきて、液晶パネルも霜みたいに冷たくて画面を触る私の指はかじかんで実は消すのに結構時間がかかりました。別に一瞬で終わる作業なのだから家で暖かい布団にくるまりながらでもいいのではとあなたは思うかもしれません。その通りでしょう、私ですらなんでこんな寒い思いをしながらストイックなサーファーと浜辺でくっついて歩く(まるで昔の私たちみたいな)男女を横目に写真なんか消さなきゃいけないのか今を少し後悔しています。私は海岸の石の段に腰掛けて波のゆらめきを見ながらまだ送るかどうかも決めていないこの文章を震える指で打っています。「た」を触っているつもりなのに「あ」を触ってしまっていたり、これは私の指が震えているのか冷たくなった液晶の感度が悪いのか、そんなこともあり写真を消すことよりも断然に文字を打つのに時間がかかります。それでもこの場所で心に留まっていた言葉はざわめきなのか重たい波に引かれて押され、私の中からこぼれていくのです。広大で無限に感じる海を眺めているからでしょうか。途中でふと我に返りなんで家に帰らないのかと自問自答もやはりしてしまいます。正直少し面倒になってきていて愚痴も多いのですが、せっかく書けた(まともに打つのが時間かかるのよ本当)文章を消してしまうのも勿体無いからそのまま残しています。あなたとの写真は消したのにこんな私の心の声は残しておくのかと非難されそうですが最後くらい許してください。あなたに何か伝えるという目的よりも私の日記みたいなものなのかもしれません。ジコチュウという言葉で私のこの行動や言動を片付けてしまえばそれでおしまいですが、どうせ後々消されてしまうかもしれない言葉たちならばせめて私の中だけでなくてあなたの中に何かしらの意味をもって刻み込まれるものであると嬉しいなと思っています。決して嫌がらせなんて思わないでください。
 正直なんでこんなに長い文章をあなたに送ろうとしているのか自分でもわかりません。いつもみたいに「ばいばい」とかで済ませてもよかったでしょう。けれど黄緑色で一行ずつ送られていくのはさすがに、ああ言葉が軽いなと思われて仕方ありません。もちろん一行の「ばいばい」だからこその重みもあるでしょうが、そこに含まれた想いや意図を汲み取るのはあまりにも難しく齟齬が生まれてしまいます。あなたが「またね」と返してきたとしたらまたすぐ一週間後に会ってご飯を食べていつも通りにあなたの家にいくんじゃないかと勘違いしてしまいます。あなたの声が聞けて、あなたの文字通りくしゃっとした笑う時の目尻のシワに安らいでしまうかもしれません。ただ、そんなことはもうありません。灰色の絵の具を一面にこぼした空からは光が遮られていて、肌にべったりと重く吹き付ける潮風と波の音をただ聞きながら凍える想いをしにきたのではありません。何かを捨てるためにきたのです。そのために軽い言葉で済ませるのではなく歯車を噛み合わせて齟齬のないよう考えていることを伝えるためにはこれぐらいの長さが適当でしょう。
 今時刻は17:17で最近陽がのびたなといっても生憎の曇り空で茜色に憂で涙でも流しながらこうして夕焼けとそこに映る自分を客観視してセンチメンタルだなって映画のヒロインでもあるまいけれどそんなことを思うためにここに来ました。そんなことを思うのは意外と原宿で甘いものを食べるために並んでいる若い子と心持ちは近いかもと気づいたのです。海か原宿か、夕焼けかスイーツか、映画のヒロインかSNSの有名人か、実はそんなに変わらないのですね。そう思うと私はすでに達成できなそうなので尚更なんのためにここにいるのでしょうか。実は来てからもう30分くらい経っています。
 あなたがしたことはよくある話といえばよくある話だし、許されないことなのかどうかを私が裁くことができるものではありません。ただ体の中がむず痒いというのか、ウールのニットを着た時に肌に触れるあのチクチクみたいに如何しようも無く内側から刺激されるような違和感があって、やはりあなたも知っているようにお喋りな私は友だちやお母さんに出来事を話してしまいました。みんな口を揃えてやめた方がいいんじゃないのか、一緒にいない方がいいんじゃないのかと言います。こういうのは私の気持ちが一番大事だし自分で決めろよとあなたは思うかもしれませんが、私にはどうすれば良いかわかりませんでした。やはりダメとみんなが思うものがダメなんじゃないのか、社会は民主主義だしなんて思ってしまったのです。あの日は突然、さよならと告げてあなたを困らせてしまったかもしれません。ちゃんと考えられていなかったかもしれません。私たちの関係の奥底にあるスプーンでもすくえない部分まで知っている人なんて本当はどこにもいないし聞いた話でしかないから第三者から見るとどうしてもあなたは悪い人に仕立て上げられてしまいます。私と一緒にいる時にもきっとあの人のこと考えていたんだよ、なんて言われると過去の私の中で幸せだったはずの記憶も壊れていってしまいました。過去は変わらないなんていうけれど、その考え方や捉え方はあっちへこっちへ変わっていきますね。だから男女は別れた後に出来事をひた隠しにして、壊れたものから逃げるようにあらゆる写真を消していくのでしょうか。私も、壊れた記憶を全て海に投げ捨ててしまいたいとこの海辺まで来ました。でも本当に流れていってくれるのか全てを消した今でもまだわかりません。潮が引いて洗いざらい持っていってしまえと思っても波はまた押し寄せてくる。なかなか流れていってくれないのです。引いても引いても、また押し戻されてしまうのです。私の中からはあなたとの眩しい記憶だけが流れて頬をつたい、出ていって欲しくてもまた肌へ染み込んでいきます。目の前が歪んで、またあまり上手く文字を打てません。
 なんでちゃんと自分で考えなかったんだろうか、人の話なんて聞いても意味なんてない、あなたが私に対してひどいことをしていたから今までの幸せな日々が記憶が塗り変えられていくなんてそんなことはないと、なんであの時は思えなかったのかわかりません。あなたのどこかに落ち度があったとしても、その一部だけであなたの全てを、あなたと私の記憶を否定するべきではありませんでした。私とあなたの顔は滑稽なほどよじれているし、あなたの作ったオムライスの味は中のケチャップライスも味が濃い上にデミグラスソースと相まって胃がもたれたし、夏に見た長野の川は青を通り越してなんだか爬虫類みたいな色をしていました。この海辺で髪を乱しながらじっと見上げた刻一刻と濃く滲んでいく青と赤の空の色、胎児に戻ったかのように目を瞑ると全身に染み渡っていく波の音、べったりとまとわりついた汗を心地よく乾かしてくれる暖かく涼しい風、これらは決して変わることはないはずです。それは誰に汚されるものでもないし、あなたの一部の泥では汚れないほどに煌めいています。その事実は、私の中では変わりません。
 今時刻は18:34。もうすっかり暗いので海の中に人はいません。なぜか少し寒さが和らいだような気がします。何を伝えようと思ってあなたにこんな長文を書いていたのかよくわからないと、きっと最初の方に書いていました。今でもどうやって終わりに向かえばいいのかわからなくなっています。終わりというのは、この文章の終わりということです。少しだけでいいから、電話できませんか。




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