枠内

枠内

 目の前にいたその女は画面とは別物だった。
 画面からそのまま飛び出た姿を何度となく思い浮かべて、特に昨日の夜はじっくりと食い入るように眺めて少し長めに慰めていただけに、期待と現実との溝は深すぎて思わずスマホの厚みを確認したけれどいつも通り薄っぺらくて軽い。
 液晶が薄かったからなのか、夜になると眩しいくらいの光源だからなのか。ほんのりと内側に赤らみがあるようでキメの細かい色白の肌に、頬のあたりがシュッとして弛みなく、斜めに持ち上がった口角にチャーミングな薄いほうれい線が浮かび上がった笑顔の美女は、どうやら画面の中だけにしか存在しないらしい。画面から飛び出ると質量が増すのだろうか。スマホがあまりに軽量すぎて、画面越しの想像の重量が予想外だったから、いざお姫様抱っこで運んでみたわけでもないので彼女がどれぐらい重いのかなんてまだわからないのに、それでも一般的な年頃の女子の中では重いだろうなという予測はついた。この予測は夕方のテレビの天気予報に比べると割合確かな的中率で、それもそのはず明日の天気なんて目に見えるものではなくて、こちらは実際彼女の姿を目にしているわけだし較べられたら、天気予報士と一緒にいる黄色の鳥みたいなぬいぐるみが夜中に出てきそうだ。この子はもしかしたらあの鳥ぐらいに丸いんじゃないだろうか。ソラサブローとでも名付けようか。
「ユカちゃん。であってるよね?」
「ユカでいいよ。ラインではそう呼んでたじゃん」
 俯きながら視線を合わせようとせずにコロコロと呟いた。ボソボソ喋ってるはずなのに甲高いその声はコロコロ鳴いてるみたいに聞こえる。
「どっか行きたいとこある?ごめん、実はノープランなんだけど」
 行きずりの人々はこの二人組をどんな関係値と捉えるのだろうか。新宿東口のJR改札前で男女が話してるのなんて誰も見向きもせずカツカツとかゴトゴトとかザシュザシュとか三者三様どころか千者千様のリズムを刻んでは通り過ぎていき、話し声が遮られてしまう。
 聞こえてるんだったら何か答えろよ、聞こえてないならえっ?とか言えよみたいな軽いことでも苛立ちが芽生えてきてしまう。普段だったら苛立つようなことではなくて環境音という仕方がないものには諦めがつくはずなのに沸点が高くなるのは、少なからず顔とか雰囲気とかの総得点が期待値より低いせいだろうと合点がいった。
「なんでもいいよ」
 アヒルみたいにとんがらせても誰の心も動かせないのに上唇を曲げて小さい口が騒音にかき消されないように声をあげた。声色からは感じ取れなかったが、膨よかな頬の肉が小刻みに震えているようで、明らかに緊張している。そういえばプロフィールに人見知りですとかなんとか書いていたような気がする。人見知りは大都会のコンクリートジャングルの中知らない人と会えるものなのだろうか。それとも今のご時世そんなの当たり前なのか。なんでもいいならこのまま帰る?と一瞬口に出そうだったのを無理やり抑えた。
 ユカの瞼は薄らと紅の入った黒いシャドウにチラチラとラメパウダーが付いていた。いつだったか気になって「ラメ」ってなんだかわかるようでよくわからない言葉だしもしかすると何かの略語なのかと思ったことがあったのだが、フランス語でLamé、主な意味は刃で薄板や箔という意味もあるらしい。これはいつかマッチングしたフランス留学していたという首からストールぶら下げた気取った女から聞いた。

 ユカとは一週間前にマッチした。
 親指を右へ右へと、つまらない課題図書のページをめくるみたいになんとなく指を動かして引っかかったうちの一人だった。薄っぺらい液晶を薄っぺらい気持ちで触っているだけ。指の皮脂汚れが付着して液晶からRGBの光源が滲んだ油みたいに混ざりあって見える。こんな薄っぺらい板と三色が伝えてくる情報は途方もなくて、指を動かしても動かしても女の画像は次から次へと流れてくる。本来なら気にいる気に入らないという仕分け作業が行われるのであろうが、粗悪品を流用する工場ラインみたいにとりあえず全ての女を受け入れていく。こちらが気にいる気に入らないで選別していて女方も同様に選別していた場合に果たしてどれだけの人がマッチするというのか。世の中に無数にいるカップルや夫婦は奇跡といっていい。ただ、それも本当にお互いが気に入っているのかどうかは…いや、お互い気に入っているということにしておこう。
 とりあえずユカとマッチしてからのメッセージはスムーズだった。年齢も一緒ぐらいで、どちらも仕事を始めたばかりの研修期間で定時退社はできるし、お互いなにか物足りなさを感じているようで意気投合した。なんていうと三流ドラマの脇役が付き合う時みたいなセリフだが、実際はもっと餌を欲する鯉みたいに単純なもので、
「なんか、会社つまらなくない?」
 確かこんな形で問いかけたんだと思う。
「わかる。また今日も同期で飲みだって。本当よくやるよねー。私はだるいから帰ったー」
 みたいな返しが来た時に、ああこの子はあまり同期と馴染めていないんだろう、自分を肯定するために強がっているんだろうな。みたいになんとなく分析をしてしまって、こういうパターンの返しにはこのパターン、みたいなパッケージがあるわけではないが、この時にユカとは会えるだろうなとなんとなく思っていた。
「なんかみんなガキっぽいんだよねーwユカの同期もそんな感じ?」
「わっかっるうぅぅぅwww!本当みんなガキだよ、まだコールとかしてんの。大人になれよ」
 wを使うとやけにガキっぽい会話になることを彼女は自覚しているのかいないのか。ここで僻みあっているほうが余程ガキっぽいと客観的には思いながらも合わせるようにメッセージをやり取りした。ユカのプロフィール写真は三枚で、全てちゃんとしたカメラで撮影されたもののようだった。三枚とも決まって本人は引き目で撮影され、正確なディテールは分からなかったが、どれも笑顔が眩しい。控えめなのに小洒落た服装には確かな胸の膨らみを確認でき、寄りの写真を見るまでもなく彼女と居酒屋で頬を赤らめながら語らい合い、自然と終電をなくして布団に入るところまで想像するのが容易かった。ラインを聞くとすぐにIDを教えてくれる。もっと顔がよくわかる写真が欲しいというと、何枚も送ってくれる。
 どうしてまだ一度もあったことない得体の知れない他人に対して自分の情報を開示できるのだろうか。あれだけ学校教育では知らないおじさんについていってはいけないと教わるのに、知らないおじさんに自分の個人情報も顔写真も全て見せてしまう。個人の認識における「枠内」と全く関係のない他人や社会の「枠外」を境界するのは極めて薄い板のようなものなのかもしれない。電話が進化し、モバイル化が進んで薄い液晶をタッチするようになってから、個人の内と外の境界線も同じように薄くなってしまうのだろう。自分の内を広げようと外へと境界線の壁を押し広げているようで、その薄い板は壁としても境界線としても機能せずに外から侵食されてしまう。肉食動物ひしめくジャングルで、藁の小屋を作って安心しきっているようなものだった。
 ユカみたいな女は、時代によって薄くされてきた境界線の被害者なのかもしれない。これだけ可愛くてスタイルがよくて、しかも若い。液晶の中に写る彼女のきめ細やかな肌と嘘のない笑顔を見れば見るほどに不憫に思え、逆に悲しむ顔や辛そうに喘ぐ顔が見てみたくなった。まだ会ってもいないのにユカを抱きたいと思って自分を慰めるのには時間はかからなかった。ラインを交換してからすぐに日程を合わせた。それから会うまでの毎日、屈託無い笑顔の写真を見ながら目を瞑って、豊満な体の上に引っ付けたような笑顔を剥がした裏に潜む不憫な顔を想像して、手を下へと向かわせていた。

 結論から述べるのが論文の正しい書き方だと教わるものだから冒頭に書いてしまったように、ユカはそもそもの写真から期待される姿と大きくかけ離れていた。でもこれはユカとのマッチングという一つの物語の結となるのかどうかはまだ分からなかった。今彼女は狭いバスタブの中でシャワーを浴びていて、その隙間を縫って忘れないようになんとか酔いを冷まして振り返りながら書いている。水の流れる音は聞こえなかったが、シャンプーボトルを取る音なのかカタンと無機質な音が届く。出会ってから結局我が家へ流れ込んで彼女がシャワーを浴びるまでは、酒も入っていたしただただ無我夢中で今は詳細なディテールが思い出せない。
 二つ確かになったことは、写真の女と実際の女は同一人物でありながら、角度と加工によっていくらでも変身可能なこと。いや、こんなことは既知の事実だろう。もう一つは、見ず知らずの今日出会ったばかりの得体の知れない女を、自宅という最も個人的な「枠内」に招き入れてしまう自分自身が、外から侵食されているということだった。

 シャワーヘッドが置かれる鈍い音がした。

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