はかない一生、訪れたチャンスに気づかないかもしれない:GLAY第246曲『祝祭』(2021)
GLAYの歴史の中で「一つの時代の到達点だ」と思える楽曲はいくつかあるけれど、『祝祭』はその一つだと思う。
世界がコロナ禍に突入し、TAKUROが膨大な過去のデモテープと向き合う中で紡ぎ上げていった曲達と、そこで見出した"FREEDOM ONLY"という言葉。
もともと、この言葉はカーペンターズの『青春の輝き』の「Freedom only helps you say goodbye」という一節から引用したということだが、TAKUROはこれにさらに一文を付け加えて、素晴らしい境地に至った。それが次の歌詞だ。
"自由はあなたにさよならを言わせただけだった。だけど、真に愛することも、真に愛されることも、自由の中にこそ存在する"
(訳: メッキ張りのヒーロー)
この言葉にはどういう意味が込められているのか。
今日はその解説をしてみたいと思う。
まず元ネタとなる、カーペンターズの『青春の輝き』の歌詞について知っておく必要があるだろう。
(訳)
人生で一番難しいこと、それは信じ続けること。
この狂った世界にも私の運命の人がいるって。
色んな人々が行き交い、はかない一生のうちに、
私にもチャンスが訪れるかもしれないし、それに気づかないかもしれない。
(訳)
かつての私は言っていた。
「約束は要らないわ シンプルなままがいい」って。
でもその自由はあなたにさよならを言わせただけだった。
代償なしには何も得られないってことを学ぶのに少し時間がかかったわ。
私が払った代償は大きすぎるわ。
(訳)
分かってる 恋をしなきゃ
分かってる ずいぶんと時間を無駄にした
分かってる こんな不完全な世界で
完璧を求めていた事を
そんなものを探そうなんてバカだって事を
ここでの「約束」とは言うまでもなく付き合う事や結婚するという事だけど、「自由はあなたにさよならを言わせただけだった」や「代償なしには何も得られない」という言葉は、単に恋愛だけに当てはまるのはもったいないくらい、含蓄に富んでいる。
人と人がつながり続けるためには、基本的には「約束」が必要なのである。それは、「束縛」や「契約」や「関係性」と言い換えることもできるかもしれない。
夫婦という関係
仕事仲間という関係
親子という関係...
そこには役割と不可分の関係性が存在する。そして人はその関係性のなかにおいて人を愛したり助け合ったりする。たとえばあなたはこの世界において、A会社の会社員であり、誰かの娘であり、誰かの母親であり、B校出身者であり、C地区の町内会員である、というそれぞれの役割の中で社会生活を過ごしている。
逆に言えば、役割を取り払った本当の意味での自由な"個人"と"個人"が繋がり合うというのは、けっこう難しい。
だから普通、愛を得るためには、自己を家庭や社会の役割に縛り付ける必要がある。カーペンターズの言う「自由はあなたにさよならを言わせるだけ」や「代償なしには何も得られない」という事はこういう事であろう。
TAKUROの『祝祭』への昇華
『祝祭』では、
"True love to be loved in freedom only"
という一節が追加されている。
"真に愛することも、真に愛されることも、自由のなかにこそ存在する"という意味だろうか。
この曲は、自由を求めて戦い続ける人々の、勝利への渇望が描かれている。
今とは違う世界を追い求めることは、取りも直さず現状を壊して変化し続けることを意味する。さらにその中で人は間違いを犯したり後悔をしたりもする。しかし、人間とは本当は存在そのものが尊いものだ。
服従、連帯、家族、そういった関係性から解き放たれてもなお、人というものはそれだけで尊く、その果てに、人が、人の存在自体を愛することができたら、それこそが真の愛と言えるのではないか?
たとえば、家族だからとか、同じ国民だからといった枠組みを超えて人を愛することができたら、それは真の愛だろう。
また、今私が愛する人と、関係性や姿が変わっても愛し愛されること、それこそが真の愛だろう。
TAKUROはそんな事を言っている気がするのだ。
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