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★祝300回★ 賽を振る時は訪れます:GLAY第300曲『pure soul』(1998)

一日一曲GLAYの曲を紹介する活動もついに300回目か!
GLAYの発表済み曲も残すところわずかとなってきたのだが、今日は私が人生で最も再生したであろう曲『pure soul』について書きたい。

1:pure soul 誕生秘話

この曲はTAKUROがニューヨークに滞在していた時に作った曲らしい。ニューヨークでTAKUROは2曲を完成させるのだが、もう一つの曲は、かの有名な『HOWEVER』である。
どちらも、異国の地で独り、自分と周囲を見つめ直すなかで生まれた"愛の歌"であるが、『HOWEVER』が恋人への愛を歌っているのに対して『pure soul』は親や友への愛をうたっている。また『HOWEVER』は真っ直ぐに愛を伝えているのに対して『pure soul』は生き方への葛藤も交えて複雑な感情を描いている。
ニューヨークから帰国したTAKUROがこの2曲をメンバーに聴かせた際、『HOWEVER』のほうは非常に不評だったとの事だが『pure soul』に対してはどんな反応だったのだろうか?
当時、"どちらかをシングルにする"という話があったような気がするが記憶は定かではない。『HOWEVER』はキャッチーなのでシングル向き、『pure soul』はアルバム向きっていう感じはするけど。

そして、アルバム『pure soul』が発売されたとき、アルバムへの反響はすさまじいものだったようだ。初動時は「May Fair』や『ビリビリクラッシュメン』への人気が高かったと思われるが『pure soul』もそのクオリティの高さに、泣く子も黙ったに違いない。

2:pure soulを再生しすぎな件

iTunesで音楽を入手して聴いていた時代、曲ごとに再生回数が表示されたよね。ある時、再生回数をみて思ったねん。
ワテクシ、pure soul聴きすぎだ、と。

私にとって、いつも心を温めてくれるもの、迷ったときにヒントをくれるもの、そっと背中を押してくれるもの、pure soulはそんな存在だ。特にラスサビの歌詞はいつも私を導いてくれた。

賽を振る時は訪れ 人生の岐路に佇む
今いる自分を支えてくれた人
この歌が聴こえてるだろうか?

「pure soul」より

特にヘビロテしていたのは2012年頃で、地元を離れて東京で暮らし始めた頃だった。
お金を節約するために、深夜の高速バスを利用して東京と地元を行ったり来たりしてたんだけど、バスのなかでこの曲を聴くことが多かったな。この曲を聴くと、"明日からまた頑張ろう"とか、"周りの人を大切にしよう"と思える。
私にとってバイブルのような曲なのだ。

3:pure soulの魅力

"タクロー独白3部作"と私が勝手に名付けてる曲がある。
①軌跡の果て(1996)
②pure soul(1998)
③STREET LIFE(2003)
この3曲である。どれも共通してるのが歌詞が長くて語りのような曲になっているところである。
pure soulも、音楽を聴かせるというより、歌詞とメロディを聴かせるというところに主軸が置かれていると思う。
バンドたるもの、楽器演奏でバンドの魅力を伝えてナンボっていう考え方もあるし、もちろんGLAYにもその魅力が詰まった楽曲はたくさんある。
でもこの曲に関してはTAKUROの想いが先行しすぎて、他のメンバーがそれに付き合っているような感じ、そんな不器用な一面を感じる。そして、その不器用さが良いところなのである。

また、サビのメロディの美しさ。
ただ美しいだけじゃなくて、飽きのこない旋律。
何年聴いても奥深いメロディである。
こんなメロディを作るTAKUROって、ほんまに神やなって思う。

そして、サビの冒頭の歌詞は、pure soulの代名詞やな。

賽を振る時は訪れ 人生の岐路に佇む

「pure soul」より

そう、賽を振る時はやがて訪れる。
「BELOVED」にも同じようなフレーズがある。

やがて来る それぞれの交差点を
迷いの中 立ち止まるけど
それでも人はまた歩き出す

「BELOVED」より

BELOVEDと異なる点は、pure soulは"賽を振る"というのがポイントだね。
人は時として、どっちに進めばいいのか分からない道を、半ば神に委ねるような気持ちで博打に出る、というニュアンスを含めている。

そして人生の選択を迫られるとき、人は孤独なのだ。自分の人生は自分で決めるしかないから。
だからこそ、周りの人を大切にして、ともに歩んでいこうという気持ちが人の心を温かくするのである。

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