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50歳過ぎてこのまま会社に残るか、外に出るか?

50歳過ぎると誰もが抱える悩み

それぞれの人の人生の選択なので、どちらがいい/悪い、正解/不正解ではないと思う。どちらでも正解。

企業に残ったら残ったで、とりあえず、安定はしているかもしれないが「ぶらさがり」と言われる。

外に出たら、出たで「ぶらさがり」と言われる心配はないが、何の保証もない。

どっちも、どっちだと思う。私は後者を選びました。おそらく、このまま残っても間違いなく自分は衰退していく。そう、思い自分の市場価値を確かめ、かつ高めるのであれば外にでるしかない。そう思って、外に出ることに決めました。

ひとつ、言っておきたいのは残って「ぶらさがる」なら徹底的に「ぶらさがれ」ということ。中途半端じゃダメ。人に何を言われようが、何を思われようが、平然として「ぶらさがる」。「ぶらさがっている」とこに引け目を感じるようではダメ。何が降り掛かってこようが、柳のようにしなやかにそれらをかわしていく。そのぐらいのことができないと残るのは辛いと思う。

ここのnoteにもあるように、「ぶらさがり」 もそれはそれで正義である。今の日本の社会、出世競争に乗り遅れた、乗り切れなかった人達。残って「ぶらさがり」組、外に飛び出す組。8割〜9割方が前者を選ぶのではないだろうか。

ただ・・・今、これからの時代「ぶらさがる」にしても、それ相応の覚悟が必要である。

「ぶらさがり」の人たちは別に今に限ったことではなく、昔から一定数はいたのである。昔、よく言われた「窓際族」というのがソレである。しかし、昔、昭和の時代はそれでもよかったのだ。日本の人口の年齢分布を考えて欲しい。昔、昭和の時代は三角形型の年齢分布だった。なので、多少の「ぶらさがり」=「窓際族」がいても、企業は中堅と若い世代で支えていけたのである。

しかし、核家族化、少子高齢化がどんどん進み、人口の年齢分布が樽型、逆三角形型になってくると話は違ってくる。全員、「ぶらさがり」をやられると企業は支えていけなくなるのである。

つまり、昔の昭和の時代、「ぶらさがり」=「窓際族」を支えていた企業の費用を今の時代は人数比で分配しなければならなくなるのである。すなわち、それは待遇(年収)に影響してくる。人数が多くなればなるほど、山の高さが低くなるのは小学生でもわかる原理である。もし、待遇が変わらないというのであれば、「ぶらさがり」の何割かは脱落組がでてくることになる。

「ぶらさがって」しまえば安心は、それはもう、昭和の古き良き時代の話なのである。「ぶらさがって」もゴール(定年)まで逃げ切れるかどうかは誰にもわからない。逃げ切れればラッキーかもしれない。が、逃げ切るつもりで、逃げ切れなかった時が悲劇の始まりである。

外にでるのであれば、平々凡々な人ではダメ。ちょっと、奇人変人なくらいの特徴のある人。他の人にはない「何か」を持っているような人でないとやっていけない。よくある「課長ならできます」「部長ならできます」な人にはニーズは無い。自分もフリーランスになって思うのは管理オンリーの人材のニーズは少ない。よっぽど、何か特別な業績を上げた人でなければ難しいと思う。そういう意味でも企業組織に居る間でも自分のスキルの棚卸し、キャリアプランは大切である。

なので、総合的に考えると、このまま企業にのこっても、外にでても、どっちもどっちで変わらないのではないかと思う。少しでも、自分の可能性に賭けたいのであれば外にでるのが正解だと思う。

100ワニをパクって退職エントリでバズろうとしたけど、全然バズらなかったワニ。 副業のオファーあればよろしくお願いします。 Twitterのフォローもよろしくおねがいします。@180wani