コロナで経済を考えてみた

 あくまでも恣意であり、浅学な者の戯言である。

 コロナで飲食業が攻撃されていてふと思った。
 旨い物を提供することで稼ごうとする業界である。

極論を言えば「浪費を誘うことで繁栄する業界」である

 そこで周囲を見回すと、ほとんどの経済活動が浪費を誘っている。
 今の経済基盤や経済学や経営学政策論までがアメリカ主導のものであり、アメリカの基本が大量消費にあることからも、こうなることは当然のことだろう。

 一例が旅館の高額な宿泊費である。
 今の経営学の主流では、顧客を獲得した後には「客単価の引き上げ」が重視される。
 山奥でさえ海鮮料理を出し、海辺でさえ山菜料理を出して豪華な宿泊を装飾して「客単価を引き上げる」。
 このような安直な旅館の経営方針が、現在の不自然に豪華な部屋で不自然に豪華な料理という結果に至っている。
 話は変わるが、部屋や料理は豪華であるが、「おもてなし」を標榜する旅館のほとんどで、接客についての教育が不十分、あるいは、表面的なものでしかないのは、旅館業界の底の浅さと表面だけに踊っている宿泊客の悲劇を表現しているように思われてならないのは私だけだろうか?

 旅館に見られるように、表面的な豪華さで客単価を引き上げる、セレブへのあこがれにつけこむ浅薄な表面だけの対応やサービスや商品は、日本のあらゆる場面で見受けられる。

 とにかくどうであろうと客単価を引き上げるために無理な豪華さや高機能をひけらかして売り上げだけを上げようとする。

先ずは企業・会社・個人店の継続性

 そろそろ見直すべき時期である。
 世界の人気はSDGsにある。少なくとも「先進国と呼ばれる西ヨーロッパとアメリカ」では。
 経済も継続性について真剣に取り組むべき時期であろう。

 経済の継続ではなく、先ずは企業・会社・個人店の継続性。
 これを視野に入れながら経営を始める時期である。
 売り上げや利益や経営陣の個人益ではなく、継続することを重視する経営と従来の経営の双方を睨みながら経営を始める必要があるだろう。
 会社の存続の継続。会社の離職率の低減という雇用の継続での質の向上。継続を重視するための長期的視野による経営と安定、そして、確実な前進。
 会社経営や政治のかじ取りは、浮かれた浪費型と継続型の双方をにらみながら進める時期に入っている。
 いや、バブル時期からそうであるべきであった。
 間に合うだろうか?
 すでに日本は衰退している。

衰退が始まっているのではない
日本は既に衰退している

bye

ありがとー