ウクライナと人権費と人件費 恣意

 ロシアのウクライナ進攻が行われている。

 国際法上の検討以前に、国家の主権を尊重しないロシアは「植民地時代の政策論」で生きているのだろう。
 そこで一つ思いついた。

人権費という概念

である。

 ロシアの侵攻はロシア側にも損害をもたらす。
 兵士に死亡者ゼロなど、ロシアが主張しても誰も信じないだろう。
 それでもロシア(※)は侵攻をした。
 対する米と西欧は兵士を今のところ投入していない。

(※)私はプーチンだけを悪者としては糾弾しない。
 プーチンを国家元首としている取り巻き、そしてその取り巻きを許しているロシアの原罪の国民性。プーチンには逆らえないという言葉に隠れて安穏な生活に埋没しようとしている国民性を考えると、プーチンはロシアの現状を結晶化した存在でしかない。
 ヒトラーが旧ドイツの当時の国民性を結晶化した存在であったように、東条英機とその取り巻きたちが植民地競争に遅れた日本を焦っていた日本の国民性を結晶化していたように。安倍晋三が忖度を要求する責任回避制度の結晶であるように。

 話を戻そう。
 なぜ? 何故ロシアはウクライナに侵攻した?
 いや、なぜ、ロシアは侵攻できたのか?

 各国の事情もあるだろう。
 しかし、ここで人権費という概念を思いついた。

人権費とは、単純に人一人の価値である

 社会が(政府が)一個人を犠牲にする場合に要する、いろんな面での「費用」である。
 兵士の場合はその命と家族への補償、並びに、社会全体に跳ね返る社会的なトラウマ、その他諸々で生じる代償の総額である。

 アメリカは湾岸戦争における人権費として膨大な費用を要した。
 それによって兵の派遣に消極的になっているとも考えられるのである。
 人権感覚のあるアメリカでは、死亡した兵士は当然、肉体・精神障害を背負う兵士たちに要する費用と、費用以上に重要視される「政権への非難」というコストを無視できないのである。

 しかしロシアは?
 未だにロシアの人権費は低レベルである。
 ロシアで、アフガニスタン撤退後の兵士のトラウマ対策などをアメリカほどに取り上げているだろうか?
 旧日本軍が日本の兵士のトラウマを無視し、死した兵士を英雄として祭り上げて国民の非難を回避したように、ロシアでは兵士の人権費が低いのである。
 つまり、一つの尺度としての人権費面で、

ロシアが進行したのは人権費が低いから

である。

人権費から見た人件費

 兵士の命や精神と肉体障害を考慮した人権費を一般人に置き換えると、人件費に対する考え方が浮かび上がる。
 一般的な経営では、経営不振になると経営者はまず人件費の削減を考えるのが旧来の流れのようである。
 いわゆるサービス残業や残業代無払いなどもこれに当たる。
 しかし、若年人口が減少して労働力不足が叫ばれる「先進国」では、この方法は企業や店の崩壊を招く。
 残業代を払わない、サービス残業を求める、つまり社員やバイトやパートの犠牲を求める企業や個人店では、誰もそこで働かなくなる。
 誰も働かない企業や店は倒産するしかない。

 また、離職率の高さは、大企業でも無視できなくなってきている。
 単純に個人の方向と企業の方向が合わないから離職するという事例もあるだろうが、労働に対して給与が低い、不当に働かされていると思ったらすぐに離職する。
 労働力が不足してくる先進国では、離職しても生活には困らない程度の収入は確保できる。
 だから、就職難であった昭和や平成のように離職を恐れる割合は急激に減少している。

 ここで、

先進国とは何か? 人権費が高い国である

 人件費が人権費に左右されるのである。
 いや、経営側の持つ人件費に対するイメージが、人権費の高低によって変わってくる。
 変わらざるを得なくなる。

外国人労働力で回避する? 短期的な策である

 人権費が高い国では、たとえた国民であってもその人権は尊重される。
 だから、安い金で雇える外国人労働者は、短期的な対策でしかなく、中長期的には外国人を餌食にする企業や店というイメージとして、雇用側の衰退・倒産を招くだけのものでしかない。

人権費は国の尺度である

 人権費をきめるのは、その国のその時代の国民の持つ「人の尊重」の尺度である。
 人権費の低いロシアや中国は、個々の国民や、更には香港などの一地方を簡単に犠牲にすることができる。
 しかし、国民の発想力や独自性は失われ、中央集権にならざるを得なくなり、中央集権は更に権力の腐敗を招いて国力の衰退を招き、それが強硬論の噴出を招き人権費の低下を招き・・・
 という無限ループが出現するのである。

人権を無視すると衰退する無限ループが出現する

のである。

人権を知った現代は昔には戻れない

 封建時代のように、個々人の人権など誰も意識すらしなかった時代ではなく、人権と個人の自由を知った現代の先進国では、大々的な世代虐殺が行われない限り、昔の「国のために個人が奉仕する」社会に戻ることはできないだろう。
 企業のために、官庁のために、店のために犠牲になろうとする度合は低くなり、雇用側もそれに対応せざるを得なくなる。
 昔なら短期間で無視されていたような大阪の財務官僚の自死が、長期的な政府の傷になり始めているように・・・
 下の者に犠牲を求める上司や大臣や政治家は見捨てられる時代に入っているのである。

日本も人権費は高騰し始めている

 雇用者も被雇用者も、政府も市民も、そして能天気で浅学な事象ジャーナリストたちも、時代の変化に気づいていないが、確実に日本の人権費は高騰している。
 「お前たちを雇ってやっている」志向の経営者、政治家、官僚は早期に絶滅種となる進化ないだろう。

bye

ありがとー