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玉の井散策

今年は建築巡りや街歩きができていませんが、昔の面影を求めて歩き回るのが好きで趣味の一つになっています。写真で残しておけば充分としていましたが、急に記録として残したくなり、軽い日記程度としてまとめておくことにしました。

今回は玉の井(現東向島)について綴っていこうと思います。

玉の井が舞台の作品に惹かれて

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玉の井と言えば、永井荷風『濹東綺譚』、前田豊『玉の井という街があった』、滝田ゆう『寺島町奇譚』が有名でしょうか。中でも濹東綺譚の木村荘八画伯による挿絵は、観る人を感慨深くさせる魅力に溢れています。

今は現存しない、あの世界観を求めて何となく出かけた日のことを書き留めておこうと思います。


玉の井のこと

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滝田ゆう『寺島町奇譚(全)』株式会社クリーク・アンド・リバー社、2015

少しだけ玉の井について触れておきます。

玉の井は、関東大震災以降より売春防止法施行まで存在していた私娼街です。濹東綺譚には、大正中期頃、浅草観音堂裏の言問通り開通による立ち退きで、銘酒屋が玉の井に移ってきたのが始まりだと記しています。大正10年の「浅草社会地図」を見ればそこら中に銘酒屋が点在していたことが分かります。

震災後は浅草での再建が認可されず、数多くの銘酒屋が玉の井に移りました。それから東京大空襲まで、現東向島5丁目〜6丁目あたりで営業しており、東京の私娼街の中でも大変な賑わっていたそうです。


銘酒屋

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滝田ゆう『寺島町奇譚(全)』株式会社クリーク・アンド・リバー社、2015

当時、私娼を囲う娼家を一般的に銘酒屋と呼んでいました。表向きは飲み屋や小料理屋を装い、裏で売春営業を行っていたモグリです。ちなみに「銘酒屋」と書いて「めいしや」と下町では言っており、寺島町奇譚でもそう呼ばれています。


散策エリア

散策へ出かけたのは去年の春。濹東綺譚の地図を元に、大まかですがマップにピン(♥マーク)を立てておきました。黒いピンは古い建造物です。東向島駅からスタートし、東向島5丁目で濹東綺譚の跡を巡り、ついでに墨田3丁目をブラブラしながら鐘ヶ淵駅で散策を終えました。

街の印象
時が止まったような少し哀愁漂う空気感。水戸街道から一歩入れば、賑わっていたであろう、いろは通り沿いに昔を偲ぶ建物が並んでいます。ぽつぽつ営業している商店はありますが、人の往来は少ない。平日の昼間だったからかもしれませんけど。

お雪さんと出合った辺りのポスト
当時のものではないでしょうが、ポストは作中に何度か登場しています。

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お雪が髪結の帰り夕立に遇って、わたくしの傘の下に駈込んだのは、たしかこのポストの前あたりであった。

ポストの立っている賑な小道も呉服屋のあるあたりを明い絶頂にして、それから先は次第にさむしく(…)すぐさま自転車預り所と金物屋との間の路地口に向けられるのである。

永井荷風『濹東綺譚』

お雪さんの家周辺
雨の日は、溝川の水が溢れるような場所に家があったと書かれていたと思います。この細い路地の一部は溝川だったのでしょうか。地図を辿ると細い路地が入り組んでおり、荷風先生がラビラントと評したのも分かる気がしました。この一帯に、「ちかみち」「ぬけられます」の看板が乱立していたのでしょうね。このラビラント、果たして容易に抜けられたのでしょうか。

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寺島町奇譚はラビラントの様子が分かりやすく描かれています。

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滝田ゆう『寺島町奇譚(全)』株式会社クリーク・アンド・リバー社、2015

貧乏稲荷はお寺の一部にあるようなのですが、見つけられませんでした。

村上酒店

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関東大震災前から営業している村上酒店。休憩がてら店先の自販機でジュースを購入し、店構えを眺めていると店主が出てきました。店主が言うに、若い人が店を眺めているのが珍しかったとのこと。酒店はいろは通りにあり、関東大震災前から商売をしているそうです。

建物は総檜造りで、店内は昔の酒屋そのものです。屋根は瓦だったそうですが、震災時に全て落下してしまったとか。店内には戦前のポスターが飾られ、古いグラスが並んでいました。その店主の代で店仕舞するとのことで、昔の物は少しずつ処分しているんですって。欲しい代物ばかりでしたが、流石に伝えられませんでした。

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扉も昔のゆらゆらガラス。濹東綺譚や寺島町奇譚の時代から存在していたと思うと感慨深いです。

その他いろは通りの古い建造物

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マンサード屋根の住宅。

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看板建築の酒店。

戦後のカフェー建築が未だに残る
タイルやアールにはめ殺しの窓。カフェー特有の建造物も散策中に見られます。カフェー風に建てられたのは警察の指導によるもの。

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戦後は墨田3丁目や曳舟の鳩の街に移転し、売春防止法施行まで営業が続きます。鳩の街には、古書肆右左見堂(2019年に閉店)とこぐまカフェへ時たま行く程度で、街を散策したことはありませんが、商店街に看板建築や古い建物が残っていました。確か商店街が活気づく目的で、若い人の出店を支援していると聞いた覚えがあります。

終わり

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滝田ゆう『寺島町奇譚(全)』株式会社クリーク・アンド・リバー社、2015

街の変遷を知らない部外者である私は、かつての賑わいを想像し、面影を追うことはできませんでした。ただ、地図を頼りに知らない街を彷徨ってみた…それだけです。濹東綺譚は荷風先生の体験談であるのは有名な話で、作品に惹かれたとて、そこまで入り込むことも難しかったです。こういった物語や絵は実像を追い求め再現すること自体、入り込めない私にはナンセンスなのかもしれません。それに本来、遊郭や私娼街だった土地を散策する趣味はありません。理由は、心霊スポットへ行く感覚と同じで怖いからです。特に吉原遊廓などは中を探索したくありません。現在は住宅地として整備されている場所がほとんどですが、土地の雰囲気やニオイというのは時代を経ても残り続けるものだと思います。

玉の井については、米沢光司さんという方のブログが分り易く面白いです。街の探索はこちらの記事を参考にさせてもらいました。